パウロの生涯(04)
神との交わりと人との交わり
※以前に掲載したものを改訂して再掲します。
※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。
※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。
ここでは説教より学びが中心になります。
「使徒の働き」と「ガラテヤ人への手紙」で整合性が取れない(矛盾する)記述がありますが、
パウロの真正の書簡であるガラテヤ書の記述を優先させていただきます。
この学びは、
藤本 満 著『ガラテヤ人への手紙』
佐竹 明 著『使徒パウロ』
を参考にしました。
聖書の記述
「そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、食事をして元気になった。
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、
ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。
これを聞いた人々はみな驚いて言った。「この人はエルサレムで、この名を呼ぶ人たちを滅ぼした者ではないか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではなかったか。」
しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。(使徒 9:18〜22)
使徒の働きによれば、
アナニヤの訪問を受けたパウロ(ここでは、まだサウロですが、便宜上パウロで統一させていただきます。)は、
すぐにバプテスマ(洗礼)を受け、
食事をして元気を出し、
まずダマスコの会堂でイエス様のことを宣べ伝え始めました。
その後しばらくのパウロの働きは、
ガラテヤ書に次のように記されています。
「私は血肉に相談することをせず、
私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。
それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。
しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒たちにはだれにも会いませんでした。
神の御前で言いますが、私があなたがたに書いていることに偽りはありません。
それから、私はシリアおよびキリキアの地方に行きました。"
ガラテヤ人への手紙 1章 16〜21節
ここから分かることがいくつかあります。
まず要点だけをざっくり言いますと、
1.パウロはエルサレムから距離を置いていた。
パウロがエルサレムに行ったのは、3年後に15日間の滞在で、
しかも、ケファ(ペテロのこと)とヤコブに面会しただけでした。
これについては、パウロにとって、キリストの福音は、神様から直接 啓示を受けたのであって、
エルサレムにいる使徒たち(=人間)から教わったわけではなく、
また、伝道活動も、エルサレムに依存せず、独立して行っていたということを強調しようとしています。
つまり、ここで、パウロは「人によらず、神(キリスト)によって」ということを強調したいのであって、
他の使徒たちとの横のつながりはどうでもよかったわけではありません。
藤本満氏によると
「もし、パウロがエルサレム教会に身を置いて、その影響下にいたなら、
異邦人伝道に対する神の御心を、これほど鮮明に見定めることはできなかったことでしょう。
これほどまでに大胆に異邦人伝道のために出て行くこともできなかった。」と言っています。
また、異邦人伝道(伝道旅行など)が本格化するのは、アンテオケ教会が宣教拠点として充実してからですが、
まだ期が熟していなかった。
準備が整っていなかったのです。
2.伝道旅行に参加するまで、
パウロは、一人で、ダマスコ、アラビア、シリア、キリキアなどで伝道していました(キリキアはパウロの生まれ故郷タルソがある地域)。
アラビア伝道について
アラビア(ダマスコの東側)には、
ナバテア王国というアラビア人の国があり、ダマスコはこの国の首都でした。
パウロはここに3年間滞在し、アラビア人伝道を試みますが、
これはうまくいかなかったようです。
Ⅱコリント11・32~33には、
「ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました。そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました」
と書いてあります。
ここに出てくるアレタ王というのは、ナバテア王国の王、アレタ四世のことです。
おそらく一神教が、アラビアの習俗(風習)と合わなかったのでしょう。
しかし、失敗も次への肥やしとなります。
この失敗の経験も、その後のパウロの伝道活動に役立ったことでしょう。
私たち現代のクリスチャンも、
証しや伝道をしようとして失敗することもありますが、
失敗を引きずらないように、むしろ肥やしにして次に生かしていきましよう。
エルサレムでの交わり
それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。
しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒たちにはだれにも会いませんでした。(ガラテヤ 1:18〜19)
パウロはエルサレムでケファ(=ペテロ)とイエス様の弟ヤコブに面会して会談しています。
おそらく、公生涯中のイエス様のことを聞いていたのだろうと思います。
それはそれは楽しい15日間だったことでしょう。
イエス様のお言葉に
「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:20)
というのがありますが、
目には見えない復活のイエス様もそこにおられ、
主にある兄弟姉妹たちと交わることができる。
それは何にも代え難い恵みのひとときです。
教会は神の家族(エペソ2:19)ですから、教会でも、神の家族の聖い交わりを大切にし、楽しみたいと思います。
優先順序
しかし、ここから学ぶべき大切なことは、
パウロは人との横の交わりも大切にしましたが、
それ以上に、神様(キリスト)との縦の交わり(関係)を大切にしていた(優先していた)ということです。
教会活動には《優先順序》が大切です。
聖徒の交わりも大切ですが、
神様(キリスト)との縦の交わり、つまり礼拝が優先です。
パウロの姿勢からそのことを再確認させられます。
時が来るまで
さて、パウロはエルサレムでの15日間の交流の後、
シリアと彼の生まれ故郷タルソのあるキリキア地方に行き、そこで伝道旅行の備えができるまで、10数年間を過ごすことになります。
私たちも――伝道や奉仕だけでなく、結婚や仕事などでも――時が来るまで(期が熟するまで)、待たされることがあります。
何ごとにも、時が来るまで待つことも大切です。
パウロに関して言えば、
①伝道旅行の拠点になるアンテオケ教会の発展と充実。
②パウロ自身の――時には失敗からも学ぶ――備え。
この両方の準備期間が必要だったのです。
私たちも、待たされる時期は備えの時期であると信じて、祈って備えながら待ちましょう。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
(伝道者の書 3章 11節)
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