パウロの生涯(06)
聖霊が働かれ、祈る教会
※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。
※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。
※今回は説教というより、聖書の学び(解説)が中心になります。
多様性の中の一致
"さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。(使徒13:1)
アンティオキア教会は、多種多様な人種、人材が集まっていました。
バルナバはキプロス出身で、エルサレムの神殿で奉仕をしていたレビ人。(ギリシア語が話せるバイリンガルの祭司)
ニゲルと呼ばれるシメオン。ニゲルは、ニグロつまりアフリカ系黒人。
クレネ人ルキオ。クレネは前回出てきましたが、アフリカ北部のリビアにある港湾都市。
ヘロデの乳兄弟マナエン。領主ヘロデ・アンテパスと一緒に育てられた。
マナエンの父は、アンテパスの父ヘロデ大王から優遇されていたので、マナエンも裕福で優遇されていたであろう。
サウロは言うまでもなくパウロのこと。タルソ出身でエルサレムで厳しい教育を受けたパリサイ人。ローマ帝国の市民権を持っていた。
預言者や教師だけでこれだけの多様性があったのだから、信徒全員となると、さらに人種・言語・地位など多種多様な人たちがいました。
しかし、一体どうしてこれだけの人たちが一致することができたのでしょうか?
その答えは2節と3節にあります。
「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が『さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい』と言われた。
そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。
二人は聖霊によって送り出され・・・」(使徒 13:2〜4)。
アンティオキア教会の一致の秘訣は、人間中心ではなく、神中心であったことです。
ペテロたちも過去にこのようなことを言っていました。
「しかし、ペテロと使徒たちは答えた。『人に従うより、神に従うべきです。』」(使徒の働き 5章 29節)
確かに、人の意見を聞くこと、人の言葉に耳を傾けることは大切なことです。
しかし、現代の教会でもありますが、
役員など特定の一部の人の意見しか聞かなかったり、
あるいは「あちらを立てれば、こちらが立たず」ということになってしまうこともよくあります。
アンティオキア教会で、そんなことをしていたら収拾が付かなくなってしまうでしょう。
アンティオキア教会の人たちは、
何よりもまず主を礼拝し、断食して祈りました。
そして人間の思いや願いではなく、神様の御心を尋ね求め、神様の御心に従おうとしたのです。
何よりもまず主を礼拝し、祈ること。
それが教会がまず第一になすべきことなのです。
そして祈って得た結論が、自分の思いとは違っていても、それが神様の御心であると信じて、それに従うのです。それによって多様な教会は一致することができたのです。
聖霊による一致
第一コリント12章13節に、
「私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。」
と書いてあります。
ここでは、ただ一つの聖霊によって結び合わされて、一つの体(=キリストの体である教会)になったと記されています。
1つ目に語ったことは、神様の御心を知ろうとして断食して祈る教会の姿でした。
神様につながろう、人間から神様へというベクトルです。
それに対して、パウロが第一コリント12章で語っていたことは、
聖霊なる神様が、全知全能の知恵と力によって、多種多様な兄弟姉妹たちを結び合わせ、一つの教会を創り上げたということです。
順序から言えば、
まず聖霊なる神様がアンティオキア教会を創られ(救いとバプテスマ)、
教会員になった人たちは、集まって礼拝を守り、神様の御心を求めて祈った。
そこにさらに聖霊が働かれて、バルナバとパウロを選んで、世界宣教という新しい業へと導いていったのです。
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