いまの社会に生きていて、つくづく思うのですが。
自然とのつながりがある人、自然とのつながりが切れかけている人、はたまた人工的な存在になる一方の人がいるのではないかと。
自然とのつながりがある人、自然とのつながりが切れかけている人、はたまた人工的な存在になる一方の人がいるのではないかと。
現代社会においては、そもそも善悪の判断をすることが難しくなっています。価値観の多様化、価値の相対化、人工的な価値観の広がり。
昔の日本であれば、お天道様が見ているという価値基準がありました。善悪の基準というのは、お天道様という自然にあったわけです。
それは誰か賢い人によって作り出された主義主張によるルールを学習することによってではなく、自然の秩序を尊重する情緒によって知られていたのです。
昔の日本であれば、お天道様が見ているという価値基準がありました。善悪の基準というのは、お天道様という自然にあったわけです。
それは誰か賢い人によって作り出された主義主張によるルールを学習することによってではなく、自然の秩序を尊重する情緒によって知られていたのです。
お天道様につながる心が良心であるといえます。
良心が大事だと思う人、判断がつきかねる人、そんなものはどうでもいい人、いるのではないでしょうか。
人には、自分の生命を自分で作りだすということはできません。
そのうえで、日々を当たり前のように生きていくのか、ありがたさを忘れないように生きていくのか。
どちらの「あ」を選ぶのか、それによって、見える世界が、ものの見方が違ってきます。人間は、生きている限り、どちらでも選べます。
自分という小さな枠からはみ出ることのない視点からものを見るのか、お天道様の視点からものを見るのか。
自分だけ人間になってしまうと、情緒が分からなくなります。人間の言葉以外のものを理解できなくなります。
自然は人間の言葉で話しかけることはないし、目新しさもありません。
でも、人工的なものは、その逆です。もっともらしく聞こえもするし、人目をひこうともします。正しそうにも見えます。
子どもたちの情緒を大事に育てていきたいものです。情緒こそが人として生きるために、大事な土台となるものです。