一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と共に、家庭自給生活を自学自習中

先駆のエコロジスト・田中正造翁の足跡を辿る

2013年08月19日 | T&T研究所・研究員(鴨川自然王国内@所長・加藤登紀子):斎藤博嗣

祖父の7回忌で栃木県佐野市へ。
実は田中正造さんが亡くなられた雲竜寺(正確に言えば、その近くの個人宅)
から、ちょっと行った所に私の母の実家があります。また曾祖父は聞くところによると
村長をやっていたらしい。田中正造さんと何か関係あるかもと調べなくては思いつつ時は流れ、
田中正造翁没後100年のこの年に足跡を辿る旅となりました。
祖先が住んだ地域を、子ども達と一緒にいけて良かったな。

田中霊祠


黒澤酉蔵さんの名も…。


田中正造旧宅案内・田中正造邸宅



財団法人 小中農教倶楽部 
正造が小中地区民の将来のため、まだ残っていた家屋敷や田畑などの寄付を申し出ていた。
「小中農教倶楽部」の名称は正造の原案そのままです。
小中村将来の発展は農業の振興と人々の精神の教育であると期待しての、「農教」であったからです。
●博嗣(談)
「農協」も「小中農教倶楽部」の「農教」くらいの役割を担ってくれれば、もっと農業は・・・。
頑張っている農協さんもいらっしゃると思うのでこれ位に。
「小中農教倶楽部」のような寺子屋的存在。
今の時代にこそ必要だと思います。
地元茨城県牛久・住井すゑさんの「抱樸舎(ほうぼくしゃ)」のような所が今無くなっているのは大変もったいない。

行く先々で、田中正造翁にまつわるイベントのポスターが貼られていました。

今回は訪れたのが有機農業研究会のシンポジウムの翌日で月曜日であったこともあり、
行政施設は開いていないため行けませんでしたが、また行きたいですね。足尾の方にも。。


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