8月18日有機農業研究会・夏のシンポジウム
「田中正造の思想と有機農業の未来」に参加した際、
福岡正信著『緑の哲学 農業革命論 自然農法 一反百姓のすすめ』
をご購入して下さった、
海洋観光研究所 エコライフコンサルタント「中瀬勝義」さん
が瓦版を送ってくれます。
一部ご紹介いたします。
2013年08月28日
福岡正信『自然農法一反百姓のすすめ 緑の哲学農業革命論』
http://blog.canpan.info/oedofunaasobi/archive/525
『自然農法一反百姓のすすめ 緑の哲学農業革命論』
はじめに――国民皆農
私の自然農法が理解され、国民皆農が実践されるようになれば、
私の理想国家の夢も実現するのだが。そのためには、為政者の社会
機構の改革が断行されねばならない。
自分が生きるだけの食物をつくり、食っちゃ寝、食べちゃ寝る
だけの生活に満足するようになれば、すべては一挙に氷解する。
そんな国には、宗教家や政治家、兵隊はいらない。
(1)農業の源流
・ 人類の未来は今、何かを為すことによって解決するのではない。
何もすることは、なかったのである。否、してはならなかった。
人間は自然科学や文明の発展で、次第に自然から離反し、自然
の反逆児として人間独自の文明を築いてきたが、破壊の道へ。
人間はノミ1匹も造り、統御し得ないのに、指揮棒を振り始めた。
・ いつの時代も、農民は支配者の側には立たないで、
ただ服従して奉仕する側に立っていた。
原始的農耕は幾千年と続いてきたが、終戦後頭脳的近代農業が展開されたとたん、農業は多様化し、農法も激変し、農民の数は激減し、農業自体も加速度的に崩壊し始めた。近年、農業の国際分業論が盛んであるが、万国民にとって根本的な仕事は農である。自らの食は自らが作る!!
(4)自然農法
・ 自然農法による米作:緑肥草生(クローバー)の米麦直播き法が基本である。
一般農家にとって、除草が手軽くできることは夢であった。除草剤の開発を、一つの福音として受け取り、何の疑いもなく、この技術を受け入れた。しかし、これら化学物質が土壌微生物を殺戮し、日本の土壌を荒廃せしめることになった。完全な無農薬が私の念願で、最後の難関が除草剤の廃止であったが、緑肥草生の米麦連続不耕起直播き法によって望みをつなぐことができた。
・ 緑肥草生の米麦連続不耕起直播というのは、クローバーやレンゲの中に、コメや麦を直播する方法で、マメ科植物と禾本(稲)科植物の共生栽培である。冬にはレンゲと麦を、夏はクローバーと籾を播き、麦や稲の肥料に活用する方法である。
・ 私はあえて堆肥無用を叫び、麦作には生の稲わらを、稲には麦わらを、田全面に振り撒く被覆を提案した。これは、健全な強い、稲、麦を作ることを前提として、初めて成立する技術である。
麦は播種と敷きわらが主な作業で、麦の収穫期まで何もすることはない。
・ 四季を問わないビニールハウスの野菜周年栽培の開発によって、虚妄の自然の中に人間が埋没してゆく姿は悲劇である。
むすび――私の結論
・ 農業は、自然食をとる正食、自然農法を実践する正行。
・ 林業の革命は、単純樹種の人工造林を中止し、自生する自然の樹を愛護し、自然循環を守ること。
・ 漁業は、無為自然の漁法に還るべき。養殖技術は本末転倒になる可能性がある。
・ 教師には、無教育の教育の発掘に期待したい。
・ 美術家には、無作為の芸術に還ることを警告する。
・ 政治の要諦は、「為さざるを以て貴しとする」の一語に尽きる。
・ 医者と病人と軍隊がおらず、警察官がのんびり暮し、官公吏が暇で、商人の腰が低くなり、法律の収縮や消滅を政治家が真剣に考えてくれる時代が来ることを願望している。
所感: 人間は戦争をし続け、また原発事故で取り返しのつかない大打撃を受けている。そんな中、刺激的な本に出会った。最後まで福岡先生の側にいた斎藤裕子さんのご主人と日本有機農業研究会セミナーで隣り合ったのが幸いした。お二人は、茨城県で一反百姓「じねん堂」で文字通り自然農法を実践されている若者である。そんな若者が有機農業を展開していることに明るい未来が感じられる。江戸時代中期の安藤昌益の直耕・平等の先進性を連想することができた。
一方、農機具メーカー、農薬メーカー、田んぼ整備土木業者や金融業のような農協などに牛耳られた日本農業を抜本的に改革しない限り、日本の未来は難しいのではないかと思う。
「資源のない国」から「自然豊かな国」への転換、海洋観光立国を夢見て。
この文章は お江戸舟遊び瓦版に載せました。