『忠臣蔵』
まぁ日本国民ならば大抵の人が知ってる物語だと思います。 毎年・年末の時代劇スペシャルとかでTV放送される事も多いですしね。
んで、その悪役と言えば、これまた誰もが知ってるであろう
吉良『上野介』義央公です
一般的には「浅野内匠頭を虐めて、刃傷沙汰にあった」ってイメージで語られると思いますが、さて他のイメージは? と問われると答えられない方が多いと思います。
地元・愛知県吉良町の観光協会ホームページでは
「地元の発展に寄与した名君」
として取り上げられ、吉良公ゆかりの名刹等が掲載されてます。
吉良公個人に関する資料としては実際に浅野氏以外の他者に対する陰湿な苛めがあった、と言う説もありますが当時の世の中では賄賂の横行は当然で逆に浅野氏が苛められるのは仕方ないと言う説もありまして吉良公に対する評価は別れますが、現に単純な悪人ならば地元(実際に領地に赴いて統治してた訳で無く吉良公自身は旗本なので江戸から統治してたらしいですが)での高評価には繋がらないと思いますが、如何なものでしょうか?
実際に最近までは吉良町の住民と赤穂市の住民の互の感情は余り宜しくなかったみたいで……和解したのは昭和58年の茶会と言うのも問題の根深さあってこそ?
――何せ江戸時代の事ゆえに、正確な資料が余り残って無いと言うのも事件の正確性が失われる原因だと思います。
『吉良公が悪人』と一方的に語られるのも、後世の創作ってのも有り得る訳ですしね。
死人に口なし
物語を見る方としては『勧善懲悪』とスッキリしてるのが見やすくて良いんでしょうがねぇ……
そう言えば
昔、何回か『忠臣蔵』を放送してた時毎回、吉良上野介を討ち入り時に発見した時
「吉良が居たぞ!」
って台詞があったが、「『赤穂浪士は吉良公との面識が無い筈なのに』この台詞はおかしいだろ?」との指摘があったのか(指摘ごもっとも)最近放送された『忠臣蔵』では別に捉えた吉良邸の住人に
「こいつは吉良か?」
と言う確認させる場面に変わってて、「あぁ、視聴者に突っ込まれたのね」と思い内心笑ってました。
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