写真は5月15日の大浦湾。空には飛行機雲が北へ向かっています。
沖縄には、何回でも行きたくなる不思議な空気感があります。
キャンプ・シュワブゲート前には、また行くと思います。
たとえ、米軍基地があろうと、
大浦湾に軍港ができてしまったとしても、
非暴力の闘いが続いている現場には、
強さとやさしさと、寛容さがあると思います。
この寛容さが、沖縄の特長なのかと思ったりする朝4時・・・
以下は1時間ありますが、ぜひ・・・
【特集 Beyond 70+】
「2個の手榴弾を渡されて、半袖、半ズボンで戦場に送られた」
沖縄戦 少年兵の実態を元知事が証言
http://8bitnews.org/?p=5955
J-WAVE「JAM THE WORLD」が戦後70年をテーマに特集する特別企画〈Beyond 70+ いつまでも戦後であるために〉 。
この番組でナビゲーターをつとめる私は米軍基地問題と向き合い続けてきた沖縄の歴史を知るために、先日、元沖縄県知事の大田昌秀氏をはじめ沖縄戦を体験した方々の元を訪ねた。
大田さんは1925年生まれの90歳。
学徒兵として沖縄戦の戦場に駆り出され、およそ20万人もの人々が犠牲になったといわれる過酷な戦闘状況の中でなんとか生き残った。
戦後は、研究者として、そして政治家としてこの基地問題に関わり続けてきた。沖縄の米軍基地の歴史と内幕を一本のタイムラインで途切れることなく語ることができる数少ない人物だ。
「沖縄戦の場合は法律もないまま、法的な根拠もないまま全ての学校の10代の若い生徒たちが戦場に出されて、過半数が犠牲になったわけなんですよね。私たちはですね、銃1丁と120発の銃弾と、2個の手榴弾を持たされて、半袖半ズボンで戦場に出されたわけですよ」
普天間基地辺野古移設の問題を考えるには、戦前、戦中、戦後の歴史を紐解かなくては問題の本質はなかなか見えてこない。
読者の皆さんが歩むそれぞれのタイムラインとの接続をはかるため、まずは大田元県知事の証言をシェアしたい。
_________
以上転載
沖縄には、何回でも行きたくなる不思議な空気感があります。
キャンプ・シュワブゲート前には、また行くと思います。
たとえ、米軍基地があろうと、
大浦湾に軍港ができてしまったとしても、
非暴力の闘いが続いている現場には、
強さとやさしさと、寛容さがあると思います。
この寛容さが、沖縄の特長なのかと思ったりする朝4時・・・
以下は1時間ありますが、ぜひ・・・
【特集 Beyond 70+】
「2個の手榴弾を渡されて、半袖、半ズボンで戦場に送られた」
沖縄戦 少年兵の実態を元知事が証言
http://8bitnews.org/?p=5955
J-WAVE「JAM THE WORLD」が戦後70年をテーマに特集する特別企画〈Beyond 70+ いつまでも戦後であるために〉 。
この番組でナビゲーターをつとめる私は米軍基地問題と向き合い続けてきた沖縄の歴史を知るために、先日、元沖縄県知事の大田昌秀氏をはじめ沖縄戦を体験した方々の元を訪ねた。
大田さんは1925年生まれの90歳。
学徒兵として沖縄戦の戦場に駆り出され、およそ20万人もの人々が犠牲になったといわれる過酷な戦闘状況の中でなんとか生き残った。
戦後は、研究者として、そして政治家としてこの基地問題に関わり続けてきた。沖縄の米軍基地の歴史と内幕を一本のタイムラインで途切れることなく語ることができる数少ない人物だ。
「沖縄戦の場合は法律もないまま、法的な根拠もないまま全ての学校の10代の若い生徒たちが戦場に出されて、過半数が犠牲になったわけなんですよね。私たちはですね、銃1丁と120発の銃弾と、2個の手榴弾を持たされて、半袖半ズボンで戦場に出されたわけですよ」
普天間基地辺野古移設の問題を考えるには、戦前、戦中、戦後の歴史を紐解かなくては問題の本質はなかなか見えてこない。
読者の皆さんが歩むそれぞれのタイムラインとの接続をはかるため、まずは大田元県知事の証言をシェアしたい。
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以上転載