1987年10月1日私は正社員になった。この日の日経225は21,564円。(=写真)
前製版責任者が退職して後任となった。
その後1989年12月29日に、日経平均株価が史上最高値3万8915円87銭を記録した。
入社から820日間株価は上昇トレンド。
巷は好景気で竜宮城のバカ騒ぎ。
製版部門では、100万円ほどの仕入れ材料費が90万円に減った。
これは仕入れ先変更の私の提案を社長が了承したから。
3ヶ月後に私の給料は3万円増えた。
次に刷版の内製化。
150万円と聞いたプロセッサーを購入。
最低2000円×10版=2万円
最高3000×30版=9万円
ポジ版の外注費削減となった。
毎日4万円位は加工高の外注費は減った。
月に100万円ほど。
私の給料は1ヶ月16万円のアルバイトで採用されて5年後には約2倍になった。
90年バブル期は良かったが崩壊後が大変。
受注が激減。機械が止まる。従業員は遊ぶ。
盛者必衰、栄枯盛衰。
90年バブルから20年後に、会社は「破産手続開始の決定」となった。
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