五里霧中/放浪記

過重労働/過労死ライン



「時間外労働の強制はできない」
これは常識だろう。

1964年東京オリンピックの時代、私はカーディーラーの整備工場にいた。
残業は5年間に20時間位だった。
17時になったら手を洗って帰るは常識だった。
「股関節障害でこの仕事は続けられない」と思っての転職で座業を選んだ。

残業が多かったのは、製版レタッチ。
座ってライトテーブルに向かって100時間残業常態化。
昭和のタコ部屋、残業を皆んながしている。自分だけ先には帰れない。

低賃金長時間労働の製版屋は、コンピュータの進歩で存在価値を失った。
福岡市内の主だった製版会社は自己破産などで終わった。

過重労働など、これから先はAIにやってもらえばいい。


2023/06/13撮影


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