八戸の煎餅の挽歌のつもり

昔の新聞のスクラップブックを取り出して感想を書いたり書かなかったり。

濱の真砂は尽きるとも世にデタラメの種は尽きまじ

2020-01-06 | 日記
ごまいりなんぶせんべい【胡麻入り南部煎餅】 岩手県の南部煎餅協同組合で創製したせんべい。小麦粉と食塩を主原料に,ゴマを表面にぎっしり埋めつくした素朴な伝統せんべい。砂糖は用いない。最近は青森県,宮城県の特産になっている。又,落花生入りせんべい,サンショウの葉のついたせんべいもつくられている。砂糖も用いる。変種に落花生入り南部せんべいがある。
(391ページ)

なんぶ【南部】 ゴマを用いた料理につけられる名称〈南部揚げ〉(切りゴマまたは半摺りのゴマをつけて揚げる)〈南部焼〉(ゴマだれをつけて焼いたものか,焼き上がりにゴマをふって焼く)などがある。
(756ページ)

なんぶせんべい【南部煎餅】→ごま入り南部せんべい
(756ページ)


監修
小原哲二郎 東京教育大学名誉教授
細谷憲政  東京大学名誉教授

編集委員
片岡邦三 前慶應義塾大学医学部講師 東海大医学部付属東京病院講師
草間正夫 東京家政大学名誉教授
小崎道雄 東京農業大学名誉教授 昭和女子大学大学院教授
五島孜郎 東京農業大学名誉教授
佐藤泰  名古屋大学名誉教授
菅原竜幸 女子栄養大学教授
谷村顕雄 元国立衛生試験所所長 昭和女子大学大学院教授
林淳三  元関東学院女子短期大学教授 彰栄学園園長
三浦洋  元農林水産省食品総合研究所所長
吉松藤子 お茶の水女子大学名誉教授

執筆者 70人は省略
    (監修者,編集委員も執筆)

 こんなアホなことを書いていた字引の書名
簡明食辞林 平成9年4月第2版 樹林房

砂糖気のなき胡麻煎餅

2019-12-29 | 日記
青森巡講第一回(旧南部)日誌
 
 大正七年七月廿五日午後六時随行松尾徹外氏と共に上野發発に乗込、乗客満室、終宵眠り難し。<略>七月二十八日(日曜)炎晴、但し風ありて涼し午前汽車に駕し、尻内にて換車し、八戸町に至る、剣吉より四里半あり、午後劇場錦座に於て一席は生徒の為め、一席は公衆の為に講話をなす、<略>余が今より二十七年前本県を一巡せし際は、真宗大派願栄寺に宿泊せり、住職吉川圓成氏今尚健在なり<略>八戸名物を聞くに、雲丹をアハビの貝殻に入れて焼きたるもの、これヤキカゼといふ、カゼとは雲丹の方言なり、又砂糖気のなき胡麻煎餅も名物とす、之を南部煎餅といふ。

(東洋大学井上円了研究会第三部会編「井上円了研究」3巻29ページ、井上円了「南船北馬集第一六編」より、昭和60年3月、東洋大学学術情報リポジトリ=インターネット版、
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6978&item_no=1&page_id=13&block_id=17 )


10年前、旧友からの煎餅に入っていた手紙

2019-12-27 | 日記
 小生「せんべい」と云えば幼い頃家が近かったので番町の岩舘のせんべいしか食べておらず、口に馴染んだ味で、美味なりと思っておりました。××時代にもよく云われて「岩舘のせんべい」を運ばされたものです。
 つい先日岩舘のせんべい屋に行ったら「どうぞ餅せんべいを食べてみて」と焼き上り2枚ほど貰いました。
 家に帰ってまだほか/\していたものを食べているうち貴君から「てんぽせんべい(餅せんべい)を食べたことがない」ということを聞いておったことを思い出し「てんぽせんべい」を送らうとなった訳です。
 今日岩舘のせんべい屋に行き味見用にその場で焼いて貰いました。冷めると食感は焼き立てと一寸違いますが焼き立てが美味のようです。レンジで戻してもやはり一寸微妙な差があるみたい。幼い頃せんべい屋では焼き終わりの時に作っておったように思います。でもそんな場面はなかなか会えず、冷めたものを食っておったんですから冷めて当たり前と思っておった訳です。賞味期限は5日位かなと云っておりました。併せて小生の口に馴染んでいたゴマせんべいを少々送ります。

   おーい、天国に君の口に合う煎餅屋はあるかァー

煎餅につける胡麻

2019-12-06 | 日記

   八戸の駅        村次郎
  
 故郷の門、八戸の駅よ。おまへはいつものやうだ。
その広場では、またいつものやうに早春の淡い日向で胡
麻を干してゐる。懐しい故郷の名物の煎餅につける胡麻
を干してゐる。
 はるか海の方、アルミナ工場や、近くのアルコー
ル工場の建築工場の見える八戸の駅よ。東京ではよく
高いビルデイング街の空を私の泪のやうな鳩たちが飛ん
でゐた。
 ああ、そしてそれに疲れて私は帰ってきたのだった。
だが故郷は、またなんと多くの烏たちであらう。工場の
上に舞ひ上がる烏たちであらう。私の郷愁が、思考がい
つも黒い小さな点になって飛び散るやうに。
 黒い烏たちよ。私には想はれてならない――胡麻は
おまへたちの泪だったのだと。
 ああ、だがこの私の不覚の泪は、なに。
(村次郎詩集刊行委員会編「忘魚の歌」24ページ、昭和60年4月、村次郎詩集刊行委員会=原本、)