八戸の煎餅の挽歌のつもり

昔の新聞のスクラップブックを取り出して感想を書いたり書かなかったり。

ガソリンカーという気動車が走っていた

2019-11-14 | 日記
 六一  八戸の砂ホコリ

 八戸市までは尻内からガソリンカーが出る。これは鮫駅まで行く、尻内から八戸まで約十分位である。八戸市は海岸に列んでゐる八戸、小中野、湊、鮫、種差なんて云ふ數ケ町村が、併合して出來てゐるのであるから、恐ろしく長い町だ、何でも二里位はある。市に八戸、湊、鮫なんと云ふ驛がある。旅館は八戸の方にも良いのもあるが、鮫の方にも料理兼業だが良いのがあると云ふ。國富さんと猪狩さんが瑣談の種を播かれたのは、鮫の石田屋と云ふのださうだ。酒は地のものに八鶴と云ふのがある。専門家の三浦喜一君が一口味ひながら、是は飲めると折紙を附けたから確なものであらう。
 お酒だけ紹介したのでは、甘黨からお小言が出ないとも限らない。此處には八戸煎餅と云ふのがある。直徑七センチ位厚さ三ミリ位の堅焼きで、臺はメリケン粉である、表には黒ゴマが一面に振つてあり、裏には松の繪か又は八戸煎餅と文字が入れてある。ポキンと割つて喰べて見るに、堅いには堅いが、一寸鹽気があつて美味い、丸でソウダ・ビスケツトの様だ。只堅いので瑣談子の様な老人にはチトこたへるが、齒の良い人なら美味いに違ひない、尤も禅味を帯びたものだから、若い方にはどうかと思ふが、夫れでも日高博士は、甘い/\とほめながら、立てつゞけに二三枚ガリ /\やられてゐた。<略>
(岡田武松著「續 測候瑣談」121ページ、昭和12年8月、岩波書店)