青森巡講第一回(旧南部)日誌
大正七年七月廿五日午後六時随行松尾徹外氏と共に上野發発に乗込、乗客満室、終宵眠り難し。<略>七月二十八日(日曜)炎晴、但し風ありて涼し午前汽車に駕し、尻内にて換車し、八戸町に至る、剣吉より四里半あり、午後劇場錦座に於て一席は生徒の為め、一席は公衆の為に講話をなす、<略>余が今より二十七年前本県を一巡せし際は、真宗大派願栄寺に宿泊せり、住職吉川圓成氏今尚健在なり<略>八戸名物を聞くに、雲丹をアハビの貝殻に入れて焼きたるもの、これヤキカゼといふ、カゼとは雲丹の方言なり、又砂糖気のなき胡麻煎餅も名物とす、之を南部煎餅といふ。
(東洋大学井上円了研究会第三部会編「井上円了研究」3巻29ページ、井上円了「南船北馬集第一六編」より、昭和60年3月、東洋大学学術情報リポジトリ=インターネット版、
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6978&item_no=1&page_id=13&block_id=17 )
大正七年七月廿五日午後六時随行松尾徹外氏と共に上野發発に乗込、乗客満室、終宵眠り難し。<略>七月二十八日(日曜)炎晴、但し風ありて涼し午前汽車に駕し、尻内にて換車し、八戸町に至る、剣吉より四里半あり、午後劇場錦座に於て一席は生徒の為め、一席は公衆の為に講話をなす、<略>余が今より二十七年前本県を一巡せし際は、真宗大派願栄寺に宿泊せり、住職吉川圓成氏今尚健在なり<略>八戸名物を聞くに、雲丹をアハビの貝殻に入れて焼きたるもの、これヤキカゼといふ、カゼとは雲丹の方言なり、又砂糖気のなき胡麻煎餅も名物とす、之を南部煎餅といふ。
(東洋大学井上円了研究会第三部会編「井上円了研究」3巻29ページ、井上円了「南船北馬集第一六編」より、昭和60年3月、東洋大学学術情報リポジトリ=インターネット版、
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