宝泉寺 ブログ

「臨床仏教師」とは

「臨床仏教師」の講座を10回中、9回受講した。1回は、うっかりミスで見逃してしまった。
ところで、「臨床仏教師」という呼称は、おそらく聞いたこともない方が殆どであろうと思う。デジタル大辞泉によれば、「臨床」とは、「病床に臨んで診療すること。患者に接して診察・治療を行うこと」とされる。病院や施設・自宅などで、患者に直接会って関わることである。欧米では、チャプレンとよばれるような宗教者が、病院に入って、患者の話を聞いたり、来世のことを話したりする伝統がある。
日本においては、僧侶が、病院に入ることが、何となく縁起が悪いと敬遠されることもある。それに、僧侶が、いったい何をするんだろうかという不安感もある。
しかし、長寿となり、また病院で亡くなる人が多くなった今、心の不安は増すばかりだ。特に、自分の死生観がない人にとっては、死への苦しみが増していって、不安ばかりにさいなまれることにもなる。
そういう苦しみに向き合う僧侶を、育成して活動を弘めようというのが、臨床仏教師になる。
10回の受講をしたから、臨床仏教師になれるわけではない。まだ5回の研修が必要だし、研修をしたからといって、現場には入れるわけではない。しかし、現場に立つという意志を持つことは、大きな目標にもなる。
臨床仏教師に求められる力とは
1:信じる力
2:自分を知る力
3:聴く力
4:構造を理解する力
5:寄り添う力
6:方便の力
7:耐える力
私も、こういう力を持ちたいと思う。

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