「バカでもチョンでもは差別じゃない」
芝居の終わり、拍子木の「チョン」は差別表現じゃない、という薀蓄が近年、繰り返し拡大されています。実際「朝鮮人を指す」との解釈とともに長らく使われてきたもので、差別表現の範疇に入ると考えます。
@takanoryu
社会的な問題を議論する時、全体の構図や力学などに目を向けず、ひたすら登場人物のキャラクター(人格)の論評だけに終始するのは「井戸端会議」的だが、古賀氏の件では一般人だけでなく、プロの「メディア業界人」や「ジャーナリスト」までもが、その「井戸端会議」に参加しているのが異様だと思う。
現在、古賀氏の行動に向けられている「メディア業界人」や「ジャーナリスト」の批判の内容は、どれも古賀氏には想定内だと思う。あの最終回出演以外の仕事では、振られた質問の枠内で意見を述べるという態度だったと思うし、あれ以後に出演している関西のテレビ番組でも、余計な自己主張はしていない。
では、なぜあの『報道ステーション』最終回出演だけ、敢えて「禁」を破ったのか。その背景を考えると、今まで政権や政治部の「政権寄り」からの圧力から番組を守り続けた気骨ある女性プロデューサーが更迭されたという人事異動との関連に興味が沸くが、古賀氏批判の議論は、その部分には全く触れない。
古賀氏は『報道ステーション』放送内で「更迭された」女性プロデューサーに触れ、古舘氏も「更迭ではないと思いますけれども」と、人事異動の存在を認めた。一般に、この番組の踏み込んだ批判的報道は「古舘氏の功績」のようなイメージがあるが、実は背景にこんな人がいたんですよ、と古賀氏は伝えた。
今まで政権や政治部の「政権寄り」からの圧力から番組を守り続けた気骨ある女性プロデューサーが更迭され、後任がどんな方針で番組作りをするのか。政権寄りにシフトするなら、批判を浴びないよう当面は今までの路線を続け、視聴者が気づかない程度のスピードで少しずつ、ハンドルを切っていくだろう。
もし番組の方向性が政府に迎合する方向へ変わるなら、後で「あの女性プロデューサーが『更迭』されたのが転機だった」と評されるかもしれない。それが嫌なら、後任プロデューサーと古舘氏は今までの路線を堅守するしかない。古賀氏が「古舘プロ会長」の名を挙げたのも、その牽制だったのかもしれない。
NHKの籾井勝人会長が関連会社2社の不正を契機に自ら設置した「NHK関連団体ガバナンス調査委員会」(委員長・小林英明弁護士)の調査費が約5500万円。通常より数倍高額だと指摘する専門家も(毎日)bit.ly/1ND4hzo この調査費も受信料から出ているのか?
@kinokuniyanet @takanoryu 言葉の原理による蘊蓄では、使われた状況から生じる民族感情は説明できないと思います。言語学では手の及ばない範囲でしょうね。日本人についても、原義とは無関係に「ポン」とかいう表現が習慣化する可能性もあったかもしれませんね。
新入社員の親御さんから「うちの子は出来が良いので新人研修には参加させずすぐ希望の部署に配属させていただけませんか?」という御電話を頂いたのが午前中のハイライト。
スマホでアルジャジーラを見ていたら在ヨルダンのイラク難民のドキュメンタリーを放送していた。アーカイブもあったのでご紹介します。英語字幕付きです→ From Riches to Rags @AJEnglish aje.io/2by8
つい先ほど同僚女子が「ツイッターって変な人ばっかりじゃないですか」と言ってたのだけど、それって動物園に行って「動物ばっかりじゃないですか」と言ってるようなもんだと思う。
【鍵bilderberg54 まあバカチョンカメラという言葉は私らが大学時代のころまで普通に使っていましたね。ガッキーは古い人間なんでしょうな。】
普通に使ってましたね、意味も知らず、考えよう、調べようなんて発想もなく。普通に誰も疑わず日常使ってたから疑わなかったんでしょーけど。