こんにちは佐藤です。
名古屋での七帝戦が終わり、目標としていた三連覇を達成することができました。
4年目の皆さん、そして大脇さん。本当にお疲れさまでした。
北大の勢力全体の取り力が昨年から大きくダウンするする中、三連覇のプレッシャーを背負うのは想像を絶するものであったと存じます。
良くも悪くも桑村さんたちの代は、北川さんたちの代に比べて後輩を積極的に気にかけていただき、親しみやすい幹部であったこともあり、3年目以下はのびのびと自らの役割を全うすることができたのだと思います。感謝しております。
自分は今年選手として出場できず、試合における直接の戦力として貢献することはできませんでした。
時を戻すこと昨年8月、自分は練習中に前十字靭帯を断裂し、復帰のために再建手術を余儀なくされました。
10月半ばに再建手術をし、いつごろ復帰できるのかを医師に尋ねたところ、
「焦って復帰して再断裂してしまっても仕方がないし、早くても9か月は待ってほしいな。」
との言葉。名古屋での七帝戦までは残り8か月半を切っていました。
「自分が来年の大会に出るためには、リハビリをハイペースで回して結果で医師を黙らせるしかない。」
絶望の窮地に立たされた自分に天から舞い降りたこの唯一の脆き蜘蛛糸に縋り、這い上がるしか残されていなかったです。
しかし運命は残酷か、この蜘蛛糸は道半ばで途切れ、私は奈落へと落とされました。
手術後に患部側の足の筋肉が想定以上に落ちてしまい、競技復帰を目指す上であまりに使い物にならなくなったのです。
加えて自重が重いことも災いし、リハビリでもスクワット面で大幅に手こずり、ペース面で後れをとりました。
レッグカールをやろうにも、重さの負荷を全くかけていない鉄屑棒を足で上げるだけでも、スピードがつかずにゆっくりしか上がらず、膝関節や膝蓋腱付近には激痛が走ります。
認めたくはないものの、かなり早期の段階で多少柔道をかじってきた者の脳内に「この足は使い物にならない。来年の七帝には出れない。」という判断が浮かぶのは妥当なものでした。
桑村前主将には「君は今年は療養して、次の札幌大会で頑張ればそれでいいさ。」と言葉をかけていただきましたが、自分としてはなあなあにリハビリをして、指をくわえて七帝当日を待つわけにはいきませんでした。
昨年の東京大会では、自分は1年目ながら北川主将率いる艦隊の一員として、東大、九大戦に出させていただきました。
決勝の九大戦で訳の分からない外国人に訳の分からないまま取られたことは今でも心残りです。この悔しさをバネに今後も頑張っていきます。
(実際ジェイクの強さは俺の想像を超えており、自分ごときでは手も足も出ず、結果的に後ろに控えている北川さんにケツを拭いてもらうことになってしまいました。引退する頃には彼と十分に戦えるレベルになりたいですね。)
ですが、自分の役割をこなした自負があるからこそ、優勝後の都ぞ弥生の大合唱では自ずと涙がこぼれてきました。
だからこそ、今年は試合に出られないなら出られないなりに、チームを優勝させるためにできることがあるはずである。
優勝し、都ぞ弥生を歌う際に自ずと涙がこぼれてきてこそ「今年における自らの役割の達成の証明」であり、仮にそうならなかったのであれば、自分が今年七帝のために自分がやってきたことは評価に取るに足らない糞であり、単なる他力本願な輩であると。
そんな思いを胸に今年は北大の参謀・裏監督として動かさせていただきました。
桑村前主将から直々に承った以上、めちゃめちゃ他大を研究し、自分なりに出来ることをして勝ちに行きました。
北大の大砲が数多く属するである北川さんたちの代が引退した中、三連覇のプレッシャーを背負う幹部や、もう一年七帝柔道に身を捧げると決めた大脇さんに優勝して、三連覇してほしかった。
北大の「飛車」となるべく想像を絶する鍛錬と追い込みをしていた横森さんに報われてほしかった。弩級として暴れてほしかった。
週六日厳しい練習をこなしてきた部員たちに、自らが強くなったことの証明と練習に対する意義を実戦で感じ、見出してほしかった。
結果、北大柔道部は念願だった三連覇を成し遂げることができました。
優勝後の都ぞ弥生では自ずと涙がこぼれてきました。
その後の祝勝会でも、清田監督や桑村前主将、笹谷さんなどから数々のお褒めの言葉を頂きました。
「お前がいたから勝てた。」 この八か月半自分が密かに求めていた言葉なのかもしれません。
畳の上では貢献できなかったものの、優勝のためにやり切ったという自負を持てました。
自分の影響で勝てた要素の試合は確かにあるかもしれませんが、結局は三連覇は畳の上での選手の頑張りによるものです。
皆が役割を果たした上、自分の想定の上を行く活躍をしてくれた選手が何人もいました。
本当にお疲れ様でした。
授業中にもかかわらず、このブログを書いていたら泣けてきました。周りの学生の視線が痛いです。
来年度、北大柔道部は横森新主将の下、4連覇&主管優勝というさらなる高い壁に部員一同挑みます。
自分としても横森さんを絶対に勝たせたいし、あれだけストイックにやっている人を勝たせずに悔し涙を飲ませるわけにはいきません。
自分もぼちぼち練習に復帰し、来年度は畳の上で選手として道着を着て、他大の皆さんを迎え討ちます。
膝の影響で思うような戦いはできないかもしれません。ですが、1年間備えて全力を出し切ります。
応援よろしくお願いいたします。
堅苦しい話はここまでにして、名古屋大会で起こったエピソードを紹介します。
---------------✂️キリトリ✂️--------------
①佐藤、早狩さんと間違えられる
一日目、自分が反対の試合場で行われていた東大vs京大の試合の撮影を終えて帰還し、佐々木コーチの横で九大vs北大の試合を観戦していた時に事件は起こりました。
OBの中島さんが佐々木コーチにご挨拶をしにいらしたと思ったら、衝撃の一言。
「佐々木さん、早狩さん。お疲れ様です!!」
なんと、早狩さんと間違えられてしまいました。恐らく最近20年貫いた坊主をやめ、サイドとバックは刈り上げつつトッブを伸ばすようなヘアチェンジをしたら早狩さんの髪形に酷似してしまったこと、体型が似ていることなどが考えられます。
狙ってやったわけではないのです。偶然なのです。
その後の祝勝会でもこの件はネタにされ、正式な早狩さんの弟キャラとなりました。
早狩さん。今後ともよろしくお願いいたします。
そのうち田酒を買い、上手い海鮮を食いにいくために青森にお邪魔するかもしれません。
②曽我明愛号泣事件
北大柔道部きっての宇宙人曽我さん。その奇行は引退試合後にも見られました。
曽我さんはこの一年間、強くなるために後輩に技術を習うという決断をし、横森鬼教官監修の下必死に縦返し・帯取り返しを練習し、抜き役になろうと頑張っていました。
結果的に七帝本番では抜くことはできませんでしたが、東北戦や京都錬成ではしっかりと相手を抜いてこれ、分けどころでは自前の筋肉とスタミナを持ち味に安定した引き分けを行える非常に安定感のある選手でした。
そんな曽我さんも決勝で九大甲斐さんと安定して引き分け、試合場の後ろに下がって行きました。
そしてふと目をやれば、試合場の外の壁にもたれかけ、坂田さんと澤田さんの横で曽我さんが座りながら号泣していました。
「引退試合を終えて現役生活から解放され、こみ上げてくるものがあるんだろうな。やっぱり七帝本番のプレッシャーってえげつないよなぁ…。」
と思っていました。
だがしかし、この曽我明愛という男。やはり宇宙人であり、我々の一般常識は通用しなかったのです。
佐「お疲れさまでした。やっぱり最後の試合を終えるとこみ上げてくるものがあるんですね。」
曽「いや、帰りの礼したタイミングで膝外れた…。痛いよぉぉぉぉぉ!」
huh?
③今井、坊主になる
今年の1年目は全員モチベーションが高く、戦力的な面では本当に大きく助けられました。
一個上の代として礼を言います。入部してくれてありがとう。そしてこれからもよろしく。
そんな一年生ですが、彼らの中で最近坊主ブームが到来しています。
キムが昔への原点回帰として坊主にしたのがまず事の発端でしたが、そこから「俺一人だけ坊主は寂しい」というわけで一年目のなかで誰か一人を坊主にする仁義なき戦い(坊主めくり)が行われ、坂下が犠牲になりました。
さらに6月末には、何かやらかしたわけでもないのに小野がしれっと坊主になってました。
そんな中、七帝戦が近づくにつれてアンチ坊主派のO野と今Iから「試合で負けて帰って来ないために、緊張感を持つにはどうしたらよいのか。」という話を受けました。そんな最近の一年生の事情をふまえて、
「ん~。じゃあ負けて帰ってきたら坊主でいいんじゃない?これなら己のプライドが許さないだろw」
という形で折り合いをつけ、名古屋の地へと向かいますた。
結果的にO野くんは坊主を回避するべく死ぬ気で引き分けてきましたが、今Ⅰくんは一取り後だったとはいえ、次の相手に負けてしまいました。
いずれにしてもガッツポーズの贖罪は取らなくてはいけませんね。
体重別選手権での今Ⅰくんの坊主姿にご期待くださいませ。