こんばんは1年の大脇です。
現在千葉に帰省しているのですが、外の気温は夜になっても14℃と温かく、一度は札幌の寒さに慣れたこの身も、戻るころにはすっかりリセットされていそうで戦戦兢兢としています。
千葉市にある実家に帰って感じることは、とにかく風が強いということです。東京湾からの海風が年中吹きつけ、マリンスタジアムでは野球の試合が中止になり、京葉線は防風柵が設置されるまでは頻繁に止まっていました。たしか千葉市は、県内で銚子市に次いで風が強く、風速10メートルを超える日が年80日だか90日あったと記憶しています。中学と高校は自転車で通学していたので、風が強い日はうんざりしていました。
自転車通学の敵には風のほかに坂がありますね。千葉市に坂のイメージはないかもしれませんが、臨海部の美浜区、中央区以外は下総台地の上にあり、少し内陸に向かうと必ず坂を登らなければなりません。それも結構急です。なぜ急な坂があるかというと、海水面の変異が関係しているのではないかと予想しています。(以下の部分は個人の適当な感想なので参考にしないでください)現在も千葉県は利根川と江戸川により隣接する県と繋がってないことは一部に知られていますが、縄文時代には海水面が高く、今よりずっと島に近い状態でした。その頃、もしくは海退期に雨水などの浸食で台地に切り込む形で谷が形成され、それが現在急な坂になっているのだと思います。地図を見るとその名残を確認することができますし、谷津などの地名にも表れています。(ラムサール条約に登録されている谷津干潟などが有名です)また、これは通学を通して経験的に得られたことなので、習志野市と花見川区に限定されますが、急な坂を登る、もしくは下ると、その先は平坦であるということがあります。これも、台地と谷、そして堆積物による平野部がこのような特徴を形作っているのではないでしょうか。
ここまでだらだらと実家周辺の気候や地理について書いてきましたが、当初は帰省中にしたことを書こうと思っていました。しかし、COVID-19の感染状況を踏まえ、事前に立てていた東京の博物館・美術館巡りなるものは断念しました。残念です。その変わりに、佐倉城址にある国立歴史民俗博物館に行ってきました。以前行ったときにはなかった、満州事変頃からオイルショック頃までを扱う第六展示室が目的だったのですが、宝永7年(1710)に華厳宗の学僧によって描かれた、贍部洲万国掌菓之図(なんせんぶしゅうばんこくしょうかのず)に惹かれました。仏教世界と西洋からもたらされた知識を融合させた地図で、なんかいいっすね。(語彙力)
帰省中に博物館に行くくらいだから、勉強していそうなどど思われそうですが、そんなことはありません。ゲームや睡眠の誘惑に勝てず、読みたいと思って購入した本やダウンロードしたPDFファイルなどはことごとく放置されてしまっています。せっかくの春休みなのにこれではいけませんね、とりあえず今プレイ中のマヴラブをクリアしたら、手を付けようと思います。