こんばんは、1年目の長尾です。3月1日の割り当てだったのですが遅くなりました。
光陰矢の如しということわざがありますが、なぜか浪人になって以降時間の進み方がとても速くなったように感じます。あと記憶力も低下したように感じます。年を取ったからでしょうか。前期になにをやっていたのか何も思い出せません。本当に何もやっていなかったかもしれませんが。
さて、自分は今回のブログが自己紹介以後初めてなので何を書いていいのかよくわからないので三国志について語ろうと思います。
まず三国志というのは大まかに二つあって、一つは一般によく知られている物語としての三国志で、三国志演義と呼ばれているものです。そしてもう一方は正式な歴史としての三国志で、こちらは正史と呼ばれています。もともと三国志は三国志の後に中国を統一した晋に仕えた陳寿という人が編纂した歴史書で、それを明初期に羅漢中という人が物語として編集したものが広く世間に知られている三国志演義のもとになったといわれています。あくまで史実をもとにした物語なので、三国志演義の中身は史実と大きく乖離しているわけではないですが、人物や出来事を改変して物語として面白くなるような工夫がされています。
演義で改変された出来事で有名なのは赤壁の戦いです。諸葛亮が祈祷して東南の風を起こし、周瑜の水軍が火攻めをして曹操の水軍を破ったというのが演義での内容で、その後逃走する曹操を関羽が見逃す展開があり、三国志演義の名場面の一つなわけですが、実際はあまり大規模な水上戦は行われず、疫病の蔓延によって曹操軍は撤退したというのが本当のようです。やはり時代が変わっても長江周辺では疫病が発生するんですね。それはさておき、実はこの演義における赤壁の戦いのモデルになった戦いがあるといわれていて、それが明を建国した朱元璋が敵であった陳友諒と戦った鄱陽湖の戦いです。この戦いで、陳友諒の水軍が巨大な船を集めて鎖で繋いでいたところに朱元璋は攻撃をしかけ、偶然東北の風が吹いたのを見逃さず火船を突撃させて陳友諒の水軍を火だるまにしたといわれています。どこか聞き覚えのある話です。
それにしても史実であれ物語であれ、2000年近く前のことが真偽は分からないとはいえ現在に伝わっているのは凄いことだと自分は思います。
ではまた。