兎月庵日記

五句三十一音詩は名称を変えつつ時代の波をくぐり抜けてきた。衰退と復活、上記視点から五七五七七の未来図を航行しています。

11月22日(金)

2024-11-22 21:05:43 | 日記

円の会の11月の自由詠の作品評一首を投稿した。プリントアウトした『草食獣・曳杖篇』を読む。セブンイレブンで買い物、歩数は4,465歩だった。


11月21日(木)

2024-11-21 21:03:26 | 日記

円の会の11月自由詠の作品評を一首投稿する。YouTube(立花孝志、バカな人達いかに利用するか?)とヤフーニュース(稲村和美、刑事子告訴へ)から各一件をに取り込んだ。歩数は1,492歩だった。

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『狂歌東乃春(きょうかあずまのはる)』

鬼のやうにきのふいはれしかけ乞もはるにやはらくけさのかほつき
   年内立春                     枩青
ゆけもはやけふハ霞とたつ風呂のとしの内なる春そ汲しる
                            波静
啼そむる月星日とて年の内に春のためしを引やうくひす
 *「月星日」=「鶯のさえずる声をいう。月日星(つきひほし)」(日本国語大辞典)
                            唾高
としのうちに来るとハいへと春たつはせとはかりかは空そかすめる
 *「せと(瀬戸)」=「(「せど」とも。「せ」は「狭(せ)」と同源か。「と」は、両側からはさまれて狭くなっている所の意)狭い海峡。両方から陸地がせまっている小さな海峡。また、川の瀬の幅が狭くなった所」(日本国語大辞典)
   歳暮                       松青
大節季人もいそかしとしの暮くれぬものかハかけも乞ねハ
 *「かけ(懸・掛・賭)」=「金銭の支払いを後でする約束で行う売買。かけ売り。かけ買い」(日本国語大辞典)
                         波静」(七オ)
世話しきも静におもふもけふ越て暮行丑のとしの坂かも
                            唾高
此ころは隙行駒も牛とてもあしはやなれや暮るとしの尾
 *「ひま行(ゆ)く駒(こま)」=「(『荘子ー知北遊』の『人生天地之間、若白駒之過郤、忽然而已』による)壁のすきまに見る馬はたちまち過ぎ去ることの意から、月日の早く過ぎ去ることのたとえ」(日本国語大辞典)
   追加
     車坂の年のくれを              芙蓉花
一とせもめくりてはやくくるま坂油断するまも跡へもとらす
   試筆               下谷三枚橋 高田圓乗
寅の春けさハうそふく風もなく松もならさぬ門の松竹
   年内立春                    仝
年の内と思ひの外に春もはやけふもち花のつきて賑ハし(七ウ)


11月20日(水)

2024-11-20 21:35:52 | 日記

朝一で藤末医院に行く。泌尿器科である。玄関で靴を脱ぐ際、その椅子に腰を掛けようとしてバランスを失い、こけてしまった。お尻と頭を打ちもたもたしていたら看護師さんが助けに来てくれた。10時10分、帰宅。疲れた。午後、遅くなって机周辺の整理をする。歩数は6,345歩だった。

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『狂歌東乃春(きょうかあずまのはる)』

     雪のふりけれハ                立久
空からも祝ふて雪のみつきもの積てくるまの行うしの年
                            松蘿
老ゆけと春来ることの嬉しさにくるゝをうしとも思ハさりけり
                            二山
暮祝ふ中もいそかし奥女中としのお末の身にいたるまて
 *「とし(どし・同士)」=「動作・性質・状態などにおいて、たがいに共通点
  を持っている人。名詞に直接ついて、接尾語的にも用いる。たがいに…である
  者。同じ仲間。どち」(日本国語大辞典)
 *「お末(御末)」=「江戸時代、将軍家または大名家で、水仕(みずし)・雑役
  などに従事した下級の侍女」(デジタル大辞泉)
     ふるとしの冬東都に下りて           鷺雪
 *「ふるとし((旧年)」=「新年からふりかえって、過ぎ去った年。去年」(デ
  ジタル大辞泉)
いそかしやよる昼わかぬ鶏かなく吾妻に越てはやとしの算
                            蓋風
おしめとも終にくるまのわれしらすうしにひかれて越としの関」(六オ)
                            月汀
つくろはぬ身にも師走の畳かへさすか表をはるや待らむ
 *結句「張る」に「春」を掛ける。
   追加
     糀町の初春を                芙蓉花
蓬莱に祝ふところや何やかやかちくり蜜柑かうし町かも
   試筆               下谷車坂下 小林松青
大坂のかうらいはしもこの江戸を虎のはなとて千里同風
 *「はな」=「物事の初め。最初」(デジタル大辞泉)
                         日下部波静
けさ山の腰の霞ハ着かさりし熨斗目とみゆる春の空色
 *熨斗目(のしめ)=「練貫(ねりぬき)の平織り地。また、これで仕立てた腰
  替わりの小袖。腰のあたりに多くは筋や格子を織り出したもので、江戸時代、
  武士が礼装の大紋や麻裃(あさがみしも)の下に着用した」(デジタル大辞泉)
                         喜多山唾髙」(六ウ)


11月19日(火)

2024-11-19 21:39:44 | 日記

プリンターが来た。以前と同じである。妻がA3で印刷することがあるからである。業者のSさんも、60前後であるが脳梗塞にかかっている。後遺症はない、克服したように見える。そのような体験もあってパソコンの押し間違い等につついてアドバイスしてくれた。夜、『草食獣・曳杖篇』を印刷する。歩数は2,061歩だった。

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『狂歌東乃春(きょうかあずまのはる)』

大かねよりおもき寿命をけさむかへねねのはさむと思ふ初春
 *「かね」=「金」であり「鐘」であろう。
 *「ねね」=「寝ること。ねんね」(日本国語大辞典)
                          成瀬鷺雪
とろ〳〵と一夜ねた間に町の名の糀に花の春は来にけり
 *参考「糀の花」=「麹かびが繁殖して淡黄色になったもの。転じて、酒をいう」(日本国語大辞典)
                          町野蓋風
蓬莱の山ほとこゝちよい春と若やきいはふ海老もめてたき
 *参考「えびかざり(海老飾)。正月に、輪飾り、蓬莱(ほうらい)などにイセエビを添えて飾った。飾りえび」(日本国語大辞典)
     五十三歳の春をむかへて          安部月汀
初春にめてし道中双六やふりて若やく五十三つき
   年内立春                     立久
山もまた寒けなりけりとしの内に春たつ霞のきぬうすくきて
                            松蘿」(五オ)
南より梅ハひらかんとしのうちの春やきたむく枝をミるにも
                           二山
針仕ことせはしき暮に春もたつ霞の衣や袖のうら〳〵
                            鷺雪
霞つくうら〳〵もけふなかめはや年のうちより春に立いて
                            蓋風
としの内に霞の袖ハさほ姫の身しまひはやく春やきぬらん
                            月汀
年のうちに春たつ老の算用ハ損とやいはん徳とや云む
   歳暮」(五ウ)


11月18日(月)

2024-11-18 21:33:24 | 日記

ホームページの鏡を整理した。歌集との関連である。歌集10冊、評論集等12冊、これが既刊である。明日、印刷機が入るので、散らかった部屋の整理をする。歩数は1,505歩だった。

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『狂歌東乃春(きょうかあずまのはる)』

よろつ世もとしくれ竹の煤とりやさき払してまつ虎の春
                            風篁
賑ハしく売買ふ聲や群集してをしつめてくる年の市人
   追加
     外桜田の年内立春をおもひて   一本亭 松濤芙蓉花
はや春の霞の関こす年の内外さくら田や花のお江戸は
   試筆                  牛込 宮川琴松
福ふくと朝は祝ふてにつこりとわらやも宮もおなし初春
   年内立春                   同
としの内にうつゝうか〳〵来る春をおもへハ節季に夢やさむらん」(四オ)
   歳暮                     同
月も日もなかれ〳〵て河水やゆくとし浪ハとめられもせす
   追加
     うし込のとしのくれを            芙蓉花
一にさんくろきをよしと年の夜や暮さし祝ふ牛込の門
 *「さし」、「鎖す」=「門、戸口、錠、栓などをしめる」(日本国語大辞典)
 *「門(かど)」=「家。家屋。宅」(日本国語大辞典)
   試筆                  糀町 善方立久
曇りなき御代のためしのかゝみ餅すはりてそみる嬉し初春
 *「かゝみ(鏡)」に「屈み」を掛ける。
                          和田松蘿
七十に手がとゝけとも年徳の棚につられてよよ祝ふ春
 *「年徳(としとく)の棚」=「其歳の吉兆の方を兄方と称し、家毎に其方に向ひ高く棚をつり、芦索を飾り、供物燈火を献じ、これを祭る、凡新年出収物、飲食の類は先これを献ず、神仏参詣万事の経営此方より始む」(『古事類苑』神祇部洋巻第一巻九三六~七頁)
                          久保二山」(四ウ)