この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地だったそうです。
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708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたのですが、悪魔の悪戯だと思い信じず、再び同じ夢を見たのに、また信じなかった。
ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見たそうです。
翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、やっと大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりだそうです。
966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、その後増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったそうです。
中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきたところです。
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11~12世紀に完成した修道院付属の教会です。
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何度か崩壊し、修復され、本堂北側は12世紀ロマネスク様式、内陣と後陣は15~6世紀のゴシック様式だそうです。
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何故か天井は木材の様な……フランスに来て初めて見る天井の作りです。
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聖ミカエルの像、15世紀に作られ、最後の審判の時、魂の重さを図るそうです。
彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教においてもっとも偉大な天使の一人であり、
ヨハネの黙示録に登場し、竜(悪魔)と戦い、それを打ち倒したという事で、
東欧から、西欧へ崇拝が進み、1000年ごろになると聖ミカエルを奉る教会や礼拝堂が丘や岬の上に築かれる様になりました。
英国との100年戦争中、ここは要塞となり、30年に渡り攻城戦を耐えたそうです。
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礼拝と瞑想の場である回廊、植物のモチーフや悪を象徴する龍などの逸話を表現したレリーフが施されています。
次に行く食堂の建物が見えます。
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修道士たちの食事の間、美しくカーブしたアーチの天井や光がほのかに差し込む59の小窓が神秘的です。
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食堂から移動する途中の階段にオベール司教の彫刻が有ります。
巡礼に訪れた貴賓を迎えた。多くのフランス国王も訪れた修道院長によるもてなしの迎賓の間を過ぎて、
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太い円柱が見ものの地下礼拝堂。10本の柱が教会を支えているそうです。
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11世紀に建てられたそのままの聖マルタン礼拝堂。
南側の土台となっているところだそうです。
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この岩山の岩がそのまま現れています。
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フランス革命時に修道会が散会してから、ここは監獄として使用された名残。
6人の囚人が車輪の中に入り、人力で荷台を運ぶ昇降機を動かしていたものです。
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19世紀まで死者の安置所だった聖エティエンヌ大聖堂。
キリストの亡骸を抱く聖母マリアの像「ピエタ」が置かれている。
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11世紀から、13世紀に天井の建築様式が、ロマネスク様式からゴシックへ移行するのが分かるところだそうです。
修道僧の遊歩道と言われる部屋です。
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修道院の出口にある、修道院尖塔の聖ミカエル像のレプリカです。
長く監獄として使われていたモンサンミッシェルですが、
1874年、歴史的建造物に指定され、大掛かりな修復工事が施される事になりました。
そして、現在も中断される事なく、修復されているそうです。
1979年より、モンサンミッシェルはユネスコの世界遺産に指定されました。
長々となりました。ご覧頂き、ありがとうございます。
モンサンミッシェル、もう一回続きます。
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708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたのですが、悪魔の悪戯だと思い信じず、再び同じ夢を見たのに、また信じなかった。
ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見たそうです。
翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、やっと大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりだそうです。
966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、その後増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったそうです。
中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきたところです。
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11~12世紀に完成した修道院付属の教会です。
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何度か崩壊し、修復され、本堂北側は12世紀ロマネスク様式、内陣と後陣は15~6世紀のゴシック様式だそうです。
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何故か天井は木材の様な……フランスに来て初めて見る天井の作りです。
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聖ミカエルの像、15世紀に作られ、最後の審判の時、魂の重さを図るそうです。
彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教においてもっとも偉大な天使の一人であり、
ヨハネの黙示録に登場し、竜(悪魔)と戦い、それを打ち倒したという事で、
東欧から、西欧へ崇拝が進み、1000年ごろになると聖ミカエルを奉る教会や礼拝堂が丘や岬の上に築かれる様になりました。
英国との100年戦争中、ここは要塞となり、30年に渡り攻城戦を耐えたそうです。
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礼拝と瞑想の場である回廊、植物のモチーフや悪を象徴する龍などの逸話を表現したレリーフが施されています。
次に行く食堂の建物が見えます。
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修道士たちの食事の間、美しくカーブしたアーチの天井や光がほのかに差し込む59の小窓が神秘的です。
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食堂から移動する途中の階段にオベール司教の彫刻が有ります。
巡礼に訪れた貴賓を迎えた。多くのフランス国王も訪れた修道院長によるもてなしの迎賓の間を過ぎて、
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太い円柱が見ものの地下礼拝堂。10本の柱が教会を支えているそうです。
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11世紀に建てられたそのままの聖マルタン礼拝堂。
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この岩山の岩がそのまま現れています。
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フランス革命時に修道会が散会してから、ここは監獄として使用された名残。
6人の囚人が車輪の中に入り、人力で荷台を運ぶ昇降機を動かしていたものです。
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19世紀まで死者の安置所だった聖エティエンヌ大聖堂。
キリストの亡骸を抱く聖母マリアの像「ピエタ」が置かれている。
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11世紀から、13世紀に天井の建築様式が、ロマネスク様式からゴシックへ移行するのが分かるところだそうです。
修道僧の遊歩道と言われる部屋です。
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修道院の出口にある、修道院尖塔の聖ミカエル像のレプリカです。
長く監獄として使われていたモンサンミッシェルですが、
1874年、歴史的建造物に指定され、大掛かりな修復工事が施される事になりました。
そして、現在も中断される事なく、修復されているそうです。
1979年より、モンサンミッシェルはユネスコの世界遺産に指定されました。
長々となりました。ご覧頂き、ありがとうございます。
モンサンミッシェル、もう一回続きます。
よく見るのは外からの城だから、こうして内部が見れるのは貴重~♪
装飾一つ一つが素敵♪
でも、監獄の歴史の長いから、やっぱり残っているのね。(・・;)
世界遺産登録をされているから、これからまた長く残されて、次の世代のそのまた次の世代の人も見られるね♪
ここは登っていくのが大変だよね。
足腰弱らないうちに、、行きたいけどね〜
有名なオムレツ屋さんは行った?
旦那は、行ってるが私は全然だから
行きたいなぁ〜
色んな様式があるわけだよね。
外からの写真はいっぱいあるけど、中身は行かないと見れないものね。
要塞や監獄になって、現存する事になったんでしょうね。
これからも修復されるみたいだから、
世界情勢が変わらない限り残るだろうね。
大事にして欲しいね。
そうそう、結構登るから大変だけど、
ボチボチ登ると着くよ。
有名なオムレツ屋では食べなかったけど、
ほかのレストランで食べたよ。
玉子の生臭が無くて、私は好きかも。
旦那様は、観光出来たのかしら?
是非ママさんにも行って欲しいね。