こんにちは😃
一昨日天候不良の中、無事に名古屋より帰って来ました。
ジジババが居ない間、鹿児島は大雨で大変でしたが、死者が出ず本当に良かったです。
さて、4月20日から一昨日まで約1ヶ月の間に、
福岡2回長崎1回名古屋1回とハードスケジュール(苦笑)
さすがに旅の途中から、時差ボケの時の様なふわふわ目眩になって
ちょっと辛かった。
しかし、昨日からは平常運転しております(^^;;
さて、ゴールデンウィークの島原旅行の続きです。
霊丘神社から15分ぐらい車を走らせて、やって来たのは「本光寺」。
この山門は元禄3年(1690年)浄林寺と言われていた頃の遺構だそうです。
ここは寛文8年(1668年)以降、島原藩の藩主となった松平家の菩提寺です。
その頃は浄林寺だったのですが、明治維新で浄林寺は廃止され、柏野というところに有った本光寺を移し、現在に至るそうです。
観音堂にはは鎌倉時代の青銅座像、如意輪観音、深溝松平城主位牌などが納められています。
六羅観音や墓所は階段を上がって行きます。
この位置の右手には、丸尾城跡という看板が有りました。
天正12年(1584年)の沖田畷の戦いで島津軍が佐賀勢を迎え撃った所だそうです。
そして近くには、十六羅漢石像が有ります。
天文4年(1739年)実山惠梁和尚の時、城主松平忠刻に許可を願い出て、島原領内の石工に刻ませたものです。
先ほどの階段を登っていくと、松平家一ノ後廟所。
先ほどの観音堂の横には、島原藩別邸「常盤御殿」が明治初年に移築されました。
そちらが今は歴史資料館として公開されています。
写真は撮れませんでしたが、
「混一疆理歴代国都之図」1402年朝鮮製世界地図の写本で、世界最高、最古の世界地図だそうです。
「伏見城攻防ノ図」慶長5年関ヶ原の合戦の前哨戦である伏見城のこうぼうせんの様子を記録した絵図。
他にも織田信長が徳川家康に当てた書状、豊臣秀吉が大阪城で諸大名にルソン壺を茶壺として競り落とさせた古形ルソン壺。
他にも上杉謙信、石田三成等、多くの武将の書状、絵画、仏像等数満点の中から、選んで展示してあるそうです。
観音堂の中には、黒くなった如意輪観世音菩薩像が有りました。
これは鎌倉時代の物ですが、信長の比叡山焼き討ちの際、
明智光秀の家来が焔の中から救い出したと言われる比叡山焼け残りの唯一の仏像です。
とても貴重な品々が古い歴史的な建物に展示して有ったので、災害や火事が心配になりました。
こちらの御朱印は印ですが、頂いて来ました。
さぁ、次もお寺さんに行きますよ。
いや、本当着陸するまで気を抜けませんね。
と言いつつ、私寝てましたけど(笑)
ここは山が近いから、肥後大変の時も大丈夫だったみたいです。
さすが松平家の菩提寺だから、珍しい物が有りますよね。
そうね、暗い感じのお寺さんだったわ。
古いおバカが多いからここには卒塔婆無かったかも。
次のお寺さんは、新しいお墓が多かったから、
確か卒塔婆が有ったかもしれないよ。
もはや記憶が〜〜薄っすら(苦笑)
御朱印集め楽しいよね。
迷惑にならないように心がけて頂いてるよ。
私達が居ない間、大雨になったみたいです。
そちらも大雨や地震で大変ですね。
地震気を付けて下さいね。
暫く緊急地震速報に悩まされますね。
お寺や神社も被写体として良いですよね。
是非パパさんの撮ったお寺さんみてみたいですね。
ガイドさんの時行かれたんですか?
16羅漢九州では珍しいかもしれませんね。
資料館、素人でも貴重な品が一杯でしたよ。
消火設備が整っていれば良いですけどね。
名古屋に行ってる時、あちらは良いお天気でした。
鹿児島が大雨で、帰りも雨雲が悪さをして相当揺れました。
今年も線状降水帯がかかる大雨で災害増えそうですね。
本当どこに災害が起こるか、分からない気候ですね。
大雨の中帰宅大変だったね。
由緒あるお寺さんね。
松平家の菩提寺な上、城跡や戦のあともあるとは。
一か所にそれだけの事が重なるってすごい。
だからかな?ちょっと暗い感じがする。
そういえばそこも卒塔婆ないね。
やっぱり雨風強いから置かないのかな?
地域で違うってハリーママさんに聞いて知ったものね。
御朱印凄く立派ね♪
旅行あちこちに行ったからいっぱい溜まったかな?
良い思い出や記念ね♪(⌒∇⌒)
今日は千葉も凄い雨です。
お寺、絵になりますね~。
落ち着いたら、私も撮りたいな~!
たしか、16羅漢を見に行っていたと思います・・・
こんなに詳しく書いてくださったので、とても勉強になりました!
そうですよね、歴史的にも貴重な品々は、きちんと保存できる所に収めておいてほしいですね~
東海地方のお天気、ひどかったみたいですね!
ご無事でお帰りになって良かったです・・
屋久島すごいと聞いたけど、鹿児島もだったんですね~
これから雨の季節になるので、また今年も怖いですよね・・・(-_-;)