オリンピックのトリビア

古代・近代オリンピック、パリ五輪2024等について

選手団パレードと 東京の通りのトリビア (中央通りと 明治大正昭和通り)

2016-11-02 | オリンピック
 
 


リオ五輪選手団のパレードが開催された 「中央通り」

江戸の市域 ≒ 元々の(明治 大正 昭和初めの)東京市 の 形を描く 「昭和通り」「大正通り(靖国通り)」「明治通り」



リオ五輪 日本代表選手団の 中央通り 合同パレード(2016年10月7日(金) 銀座-日本橋)の 様子



中央通りは 日本橋から 南北に伸びる 江戸時代以来の 基幹道路、様々な人が 歩く 「通り=広場」です

  (新橋 - 銀座 - 京橋 (東京駅前) 日本橋 - 神田 - 秋葉原 - 御徒町 - 上野)

cf.絵巻『熈代勝覧』に見る 江戸時代の 日本橋室町(三越前)の 中央通りを歩く 様々な人々

  (映像には 踊る女性等。行き交う 車椅子の人、盲の 琵琶弾き 按摩達や、登城外国人宿泊所辺の 風景も)







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1.中央通りのパレードは 五街道のパレードでもありました

(五街道の起点 外国人を含む様々な人や 様々な物を 結ぶ 集積地/交流地 日本橋)


さて ここで 問題です。通過した 五街道の名前は それぞれ何でしょう...?



解答例 : 通過順に 「東海道」「甲州道中」→ 日本橋の橋 → 「中山道」「日光道中/奥州道中」

(*)画像出典 : 江戸まちっく

・京への東海岸の道「東海道

   :「日本橋 → 銀座 → [品川宿] → 東海 → 京」

・甲州(山梨県)への道中「甲州道中

   :「日本橋 →(日本橋交差点右折)→ 東京駅日本橋口 → 御城大手門 → [内藤新宿(新宿)] → 甲州(山梨)」

     (*)「内藤宿」でなく「内藤新宿」なのは 元々無かった宿、新しく追加された宿 だから → 今日の「新宿」

・京への中央山地の道「中山道

   :「日本橋 → 秋葉原手前で左に逸れて → [板橋宿] → 中央山地 → 京」

・栃木県日光への道中「日光道中」/ 東北奥地への道中「奥州道中

   :「日本橋 →(三井タワー向 yuitoを右折)→ 両国広小路 → [千住宿] → 栃木日光/東北奥州」


cf.五街道の四宿 : 日本橋から一つ目の宿。

「日光道中」「奥州道中」は 途中までは 一つの道なので、一つ目の宿は 四つ

下の地図の 中央が[日本橋]。下から 時計回りに

1.[品川宿](東海道) 2.[内藤新宿(新宿)](甲州道中) 3.[板橋宿](中山道) 4.[千住宿](日光道中/奥州道中)





2.下に挙げるのは 関東大震災(1923)の復興事業による 幹線道路

五街道の四宿を 南北に結ぶ「第一号幹線」、東西に結ぶ「第二号幹線」と、

震災復興事業 戦災復興事業として 順次完成した

五街道の四宿を 環状に結ぶ 基準環状線「環状五号線」の地図です



江戸の市域 ≒ 元々の東京市(↓)の外縁(ふち)に 五街道の四宿があり



五街道の四宿を結ぶ幹線道路は 江戸の市域 ≒ 元々の東京市の 軸と 輪郭を 描いています





さて ここで 問題です。


1.縦軸となる 「中央通り」の副道「第一号幹線」の 愛称は 何でしょう

  (ヒント 昭和三年(1928年)完成)

2.横軸となる「第二号幹線」の愛称は「大正通り」。現在の愛称は 何でしょう

  (ヒント 靖国神社前を通ります)

3.「五街道の四宿を結ぶ 基準環状道路の 愛称は 何でしょう

  (ヒント 明治神宮前を通ります)




解答例

1.縦軸となる 「中央通り」の副道の愛称は 「昭和通り

2.横軸となる「大正通り」。現在の愛称は 「靖国通り

3.「五街道の四宿」辺を通る 環状道路の愛称は 「明治通り



cf.以下に挙げるのは 今日の道路行政上の「昭和通り」「靖国通り」「明治通り」の区間

「昭和通り」の下に 第一京浜の一部を足したものが「第一号幹線」。

「靖国通り」の右に 京葉道路の一部を足したものが「第二号幹線」

(地図の出典 : 東京の道路の名前)






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(以下 解説)


■中央通り

「江戸の市域 ≒ 元々の東京市」の核を成す 「東京の古町」を 南北に貫く 中央通り

中央通りは 日本橋から 南北に伸びる 江戸時代以来の 基幹道路です

日本橋は 五街道の起点、人と物の集積地/交流地。長崎から 江戸に登城する 外国人の宿泊所所在地

cf.登城外国人による日本橋の記述例

「距離は全て 国のひとつの点、即ち「日本橋 niponbas」(首都江戸にある橋) からのみ 測られる」

医者 植物学者 thunbergさんの十八世紀の日本橋への旅行記録より(第三巻 122頁 5-8行目, スウェーデン語)



下の地図の右下に 1932年(昭和7年)に「隣接五郡」を併合する以前の 「元々の東京市」が見えます

(「元々の東京市」≒「江戸の市域四里(16km)四方 日本橋から半径8km程の地域)



下に挙げるのは「元々の東京市」の 拡大図

赤字の地域が 「東京の古町」の地域 (外濠の内側の 二里(8km)四方 日本橋から半径4km程の 地域)

赤字の地域の周りの地域が 山や田圃等で 町が途切れる地域

赤字の「東京の古町」を 南北に貫く 基幹道路が 中央通り




東京二十三区の名前よりも身近に使われる

「元々の東京市(東京市十五区)」を構成する 十五区の名前 (「麹町郵便局」「牛込郵便局」...)

東京市十五区は 古町から「の」の字順に読むのが 慣例になっています


読み順 : 「の」の字順

麹町 神田 日本橋 京橋」(古町) 「芝 麻布 赤坂

四谷 牛込 小石川 本郷」 「下谷 浅草 本所 深川

  (*)今日の地名との対応は 以下のとおりです

  「麹町 神田(千代田区) 日本橋 京橋(中央区) 芝 麻布 赤坂(港区)」(都心三区:千代田区 中央区 港区)

  「四谷 牛込 +郊外(新宿区) 小石川 本郷(文京区) 下谷 浅草(台東区) 本所 +郊外(墨田区)深川 +郊外(江東区)


cf.江戸時代から続くパレードと言えば「江戸の三大祭」

古町の縁(ふち)で 古町を守護している「日枝山王」「神田明神」「富岡八幡」のパレードが 日本橋にやってくる 祭

下の図の 桃色の丸が 麹町「日枝山王(山王祭)」、神田「神田明神(神田祭)」、深川「富岡八幡(深川祭(水掛祭))」




文政六年(1823)の神田祭の着ぐるみの例



文政八年(1825) 音楽芸能関係の企画制作を得意とする
日本橋の元吉原の町の人達の企画制作による 神田祭の附け祭の パレードの 絵巻の例
巻1:桃太郎等 巻2:分福茶釜等 巻3:花咲爺, カチカチ山 内裏雛(だいりびな)... 巻4:猿蟹合戦 巻5:龍宮城
巻3から 日本橋人形町 元吉原大門通りの「茗荷屋茂兵衛 (御雛人形細工所 兼 足袋店)」の提供による
「座りながら 足袋を履いて歩く 雛人形の五人囃子」 (叩くと拡大できます) ...



cf.アテネから北京への引継式 (茉莉花♪) 選手達を楽しませる お祭りのパレード
(選手達の周りの 隊列、選手達が至近距離で楽しむ 会場中央の 細長い舞台)


cf.リオ・デ・ジャネイロ市 isabel町の 町の人達による 謝肉祭のパレード



■五街道の四宿

日本橋から半径8km程

江戸の市域 ≒ 元々の東京市の 外縁(ふち)に位置する

江戸の市域 ≒ 元々の東京市の 出入口が 五街道の「四宿

(*)五街道の四宿 : 日本橋から一つ目の宿。

「日光道中」「奥州道中」は 途中までは 一つの道なので、一つ目の宿は 四つ


下に挙げる地図は 四宿(ししゅく)の 地図

地図中央が 日本橋。下から時計回りで

1.「品川宿」(東海道) 2.「内藤新宿」(甲州道中) 3.「板橋宿」(中山道) 4.「千住宿」(日光道中/奥州道中)

(*)「内藤宿」でなく「内藤新宿」なのは 元々無かった宿、新しく追加された宿 だから → 今日の「新宿」




東京日本橋から旅に出て、

  東海道(京への東海岸の道)は 中央通りを下に。

  甲州道中(山梨県への道中)は 中央通りを下に → 50m程先 日本橋交差点右折

  中山道(京への中央山地を通る道)は 中央通りを上に。

  日光(栃木県日光)/奥州(東北奥地)道中は 中央通りを上に → 100m程先 yuito(三井タワー向かい)を右折


一里(4km)程行くと 古町を囲む外濠。古町を抜けると 山や田圃等で町が途切れて...

二里(8km)程行くと 東京の町とは違う 宿場町(「品川宿」「内藤新宿」「板橋宿」「千住宿」)が現れます



■中央通りの展開

関東大震災(1923)後の帝都復興事業(道路 橋梁 小学校 公園...)として計画された 震災復興道路の基幹線

日本橋から半径8km程

「江戸の市域 ≒ 元々の東京市」の 外縁(ふち)に位置する

「江戸の市域 ≒ 元々の東京市」の 出入口 「江戸四宿」を結んで

「江戸の市域 ≒ 元々の東京市」の形を描く 三つの 基幹道路



五街道の四宿を縦に結ぶ「幹線第一号」 横に結ぶ「幹線第二号」 環状に結ぶ「環状五号線」




下に挙げるのは 今日の道路行政上の「昭和通り」「靖国通り」「明治通り」の区間 

「昭和通り」の下に 第一京浜の一部を足したものが「第一号幹線」。

「靖国通り」の右に 京葉道路の一部を足したものが「第二号幹線」

(地図の出典 : 東京の道路の名前)





関東大震災(1923)後の帝都復興事業(道路 橋梁 小学校 公園...)として計画された

(縦横の基幹軸)

「中央通り」の副道 「幹線第一号
東京市の縦の軸 昭和三年(1928年)完成 (「昭和通り」+ 第一京浜の一部)

   「品川宿」「日本橋(江戸橋)」「千住宿」を結びます

「幹線第一号」と直交する「幹線第二号
東京市の横の軸 (「大正通り → 靖国通り」(cf.靖国神社)+ 京葉道路の一部)

   「内藤新宿」「日本橋(両国広小路)」「亀戸」を結びます


(基幹となる環状線)

「元々の東京市」の外縁の「五街道の四宿」を環状に結ぶ「環状五号線」(「明治通り」(cf.明治神宮))

   因みに 環状一号線は 麹町の御城の内濠沿いの内堀通り。

   環状二号線は 古町を囲む 外濠沿いの通りである 外堀通りの延長で、

   選手輸送(選手村-スタジアム)の専用車線を設ける 2020五輪道路として 選手村に 延伸中



1923年関東大震災の7年後、1930年復興事業完了の新聞記事の例

// 復興計画中の基本骨子を為すものは道路である。
// 復興帝都の動脈とも言うべきは二大幹線道路で、
//
// 其の一は南は品川の八ッ山橋から起り、芝口から曲って銀座通りの東裏を通り、
// 和泉橋を渡って千住に至る十八間乃至二十四間の第一号幹線と、
//
// 今一つは市谷見附から九段坂を下り、
// 神保町から須田町、更に和泉橋広場から両国橋を渡って、亀戸迄行く第二号幹線である。
//
// 此の十字の二大幹線に配するに、
// 幹線五十本、補助線百二十一本と無数の区画整理街路とを以てすることとしたのである。



明治/大正/昭和通りは 車の増加を背景に、車道と歩道を分けた道路

歩く道路であるとともに、歩く道路を 断ち切る道路ともなりました

cf.昭和通り + 高速自動車道 が断ち切る 日光道中/奥州道中...



■オリンピック会場の配置

東京オリンピック 2016/2020招致計画において、会場の配置は

江戸の市域元々の東京市同様、四里(16km)四方(半径二里(8km))に収まるように設定されています


ただし、2016招致計画と 2020招致計画とでは、

選手の動線の有り様は 大きく変わっています


(2016招致計画)

選手の移動距離と経費を最小化する

「コンパクト五輪」を謳っていた2016招致計画では、

二里(8km)の円の 中央の「通り=広場」に 主要な動線が 集約されていました


下の図の 中央「結びクラスター(結び集積地)」に集積する 主要施設 (選手村 + スタジアム)。

選手村と スタジアムを「結」ぶ 様々な人が 歩く 「通り=広場」


「結びクラスター(結び集積地)」は

1964大会のレガシー(ヘリテッジゾーン)と 未来の都市環境モデル(東京ベイゾーン:広大な空地)を 「結」び、

歴史と未来、都市と自然、アスリート(選手)と市民(観客)、東京と世界(外国)を 「結」ぶ、象徴的な集積地とされました

(8kmの円の中央に 隣接する 選手村(olympic village (ov)) + スタジアム(聖火))




(2020招致計画)

2020招致計画では 選手の移動距離と経費を最小化する「コンパクト五輪」がいつの間にか謳われなくなりました。

選手村とスタジアムは 円の中央と左に分離して 車による専用車線の移動が 予定されています

(8kmの円の中央に 選手村(olympic village (ov))、円の左に スタジアム(星丸))、






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