似火救火:火をもって火を救う(人間世)
---火で火を消すのは無理だ---
火を消すのは「寛容と沈黙」という水が必要だ
火をかけて、燃え盛る火を消そうとする。
人が議論をしているときに、その議論を沈めて、何とか和やかにしようと、二人の中に入って、いろいろ工面をして言葉をかけていると、
その言葉尻をつかまえられて、二人の議論がもっと燃え上がって、収拾がつかなくなってしまう。
議論と言うものは、もともとは、飼うがるし移動でもよいようなことを言い合っていても、いつの間にか、天地や世界がひっくり返るような重大な意味を持ってしまう。世の中と言うものは、正しいとか正しくないと言うことばかり言っていたのでは、収めることが出来ない。そんな事はよく分っていても、ひとたび議論に入ってしまうと、相手を打ち負かさないと、自分の考えていることが正しいことであると言う証明が出来なくて燃え盛る。
議論を納めるために議論を使っていては、句に中の議論が激しくなるばかりだ。火を消すには、火ではなく、水だ。
議論を収めるには、議論ではなく、寛容と沈黙だ。
器の大きな男性は、女々しくはない。(イガ爺の遠吼)かな!?
よく、女どもが、「なぜ、黙るの、何か言ってよ!!、言えないでしょ、卑怯よね」なんて、まるで鬼の首でもとった様に、
上から目線でものを言う、 今日の荘子の教えの通りだって、と蚊の泣くような、小さな声でまたは、心の中で、叫んでいる。
イガ爺家ではこの様な事はありませんよね、多くの女性と関わりがあるイガ爺は、そんな女性に遭遇する事が多い?。
が「議論は避けろ」って教わるので、寛容?と沈黙を決め込むのだろうね。
まあ,ちっぽけな心臓の持ち主であるイガ爺、火が自然鎮火するのを、ひたすら沈黙の中で待っている。って事なのか?
いいじゃないの、別に命に別状がある訳でなし、議論で戦う、言力もないし!!
あんた、なんぼのもんよ!!って、天空から、鉄拳を喰らうよりいいって事・・・・・・・。と、おいらは思う!?
13:48分投稿
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