入水不濡、入火不熱(大宋師):水に入れど濡れず、日に入れど熱せず
---水におぼれず、火に焼けず---
真人はどんな運命にも泰然としている
自然を悟り、体得した人を「真人」いうが、真人になると、高い所へ登っても、恐れない。
水に入っても、濡れない。火に入っても、熱くない。と、荘子は言っているのだが、これをまともに受け入れたら、
老荘思想は、常識では、とても考えられない神秘的なことを言っている、と、思えてしまう。
高い所とは、世俗的に言えば、功名とか名誉とかを得たときに・・・・・・と言う意味なのである。
普通の人なら冥利・名誉・功名を得たら、この上ない幸福なことだと、仰々しい態度をとるであろう。
が、自然を友として生きている真人は、決して、大袈裟に得意な態度をとらない・・・・・・と言うことをいいたいのだ。
水に入っても、とは、倒産とか、破産とかいう状態である。真人はそんな冷酷な運命に陥っても、泰然としている。
火に入っても、とは、たとえばバブルに出会っても、利欲に目をくらませて、熱くなって燃えあがらない、ということだ。
ねぇ、イガ爺、老荘思想の学びって、まさに大自然の一部である、人間が踏み行わなければ
ならない、大自然の摂理への感恩奉謝の境地だよね。
人世で起こりたることすべて、自分ではどうすることも出来ない事象。
ならば、感謝で受け止めて、百難を我が身へ・・・・・・・・・・・・。
と、そこまでの心境には、おいらなれないなぁ~(--!!
ログから眺める、耶馬の峰や庭の木々が、日々に趣を変える。あー、秋だよね!!
17:30分投稿
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