大知(だいち)は閑閑(かんかん)たり、小知(しょうち)は(かんかん)たり。(斉物論)
---寛容な知恵はゆったりしている---
ご都合主義の知恵はこせこせしている。
天地自然の広く大きい知恵は、やったりしているが、世間の是非善悪のご都合主義の知恵は、
こせこせしている。天地自然の広くて大きい人の心から生まれた言葉は、うつくし、やさしく、
楽しい。世間体ばかり気にして、世間の評価ばかりに精神を使っている自己本位の言葉は
つめたく、鋭く、思いやりがなく、くどい。
与(とも)に接して構(こう)をなし、目に心をもって闘(とう)す。(斉物論)
小知、つまり、世間の「いい・悪い」の判断だけで生活していると、相手に会うと、すぐ、身を
つかまえて、頭の中で『いい・悪い』と考え、年がら年中、争いのために心をくもらしてしまう。
善悪のうるさい人がいて、なにかにつけて「お前はよくない」「きみはああすべきだ、こうすべきだ」
と言われ続けていると、はじめはびくびくと恐れている程度ですむが、その恐れが大きくなるに
つれて、心の平安を失い、生きる勇気が失われ、鬱(うつ)の病におかされる。
世間の善悪の考えで一切を仕切ってはいけない。
イガ爺、納得、合点ですね!!
今、世間の常識は、天地自然の法則(摂理)から見れば、非常識であるって事。
即ち、大自然の摂理に沿って生活する事は、世間の常識からすれば、非常識
ってことになる。世間の常識(是非・善悪)から物事を捉えてはいけないって事
人は、森羅万象(衆生)と共に、大自然の一部として、この世に、生み出された
大自然の法則なくして人間は、この世に生きてはいけないのである。
朝、目覚める事も、自分の意志ではない?、
死も、自分の意思では出来ない?
生き仏(おばあちゃん・おじいちゃん)は、「迎えが来るまで、がんばって生きてます」
って言うよね。 わかってらっしゃる!! 若造よ、大先輩(生き仏)に学べって事
秋分の日まで、あと2週間、まだまだ、外は残暑って言うより、盛夏って感じの暑さ!!
午後からの作業を前に、今ほどからパソコンに向っています。
そろそろ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 14:22分投稿
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