安時而処順:時に案じて順に処(お)る(養生主)
---すべてが順番である---
- 死ぬべきときがきたら、死ぬ
死ぬべき時がきたならば、その順番に従って死ぬ。生きることも、死ぬことも、一つの流れであって、そこに、
悲しみや苦しみの感情を入れてはいけない。(そんな事いったって、ねえ!!・・・・・・・。)
荘子たちは、ひとが死ぬと、「天地自然に帰った」といって、喜んだともいわれる。むかしから、今日まで、もしも、人が死んだ時に
天地自然の元の生命に帰命した事を、喜び合う習慣を持ち続けていたなら、どんなに幸福であったことか。?
荘子がいうように、生死は、自然現象の一つであることは、たしかなことである。
そのことが頭で分っていても、死ぬと言うものは、われわれが普通意識する以上に、人間の本能のドン底から、恐ろしいことなのでる。死ぬ時に、名誉や地位や財産が、思うままに手に入っていたら、どうであろう。
必ず、一日でも長く生きたいと踠(もが)くであろう。逆に、絶望の苦痛に踠いでいる毎日を送っていたら、どうであろう。
死を唯一の心の癒しとして、順序に従って大往生するのであろう。
今章の荘子の言葉は、おいらには、大変考えさせられる問題だなぁ。
死、といってもいろいろなことが考えられる、が、しかし、死に急いではいけないって事だよね。
順番がある、そんなに急がなくたって、いずれ、死ぬ時がくる、大自然がくれる、順番によって
人間の死亡率は100%である。死に急ぎ、あの世で心静かに!!って考えは、大きな間違い!!
順番を待たずして、死に急いだ人の魂は、あの世に行く途中で、修行しなくてはいけない。
長く、苦しい修行だそうだ!!。どうです、イガ爺さん
衆生本来仏なり,水と氷のごときなりとある、多くの輩(生きとし生きるもの/万象)に学んで、今と
明日に生きぬく!!イガ爺であってほしいと思う、おいらであります。
10:25分投稿
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