親切にするだけでも、徳積みにつながる
物がないといって善意を行わないのは、
志がないだけだ。(無住)
著者は、無住のこの言葉を受けて、身近な、小さな行いでも相手が、
喜んでくれたり、あなたがそばにいたからこそ、と感謝される。
親切にするだけでも、徳積になるというのです。そして、次のような
話を紹介しています。
ある村に、開業医を営む一人のおじいさん先生がいました。
そのおじいさん先生が、紫綬報酬を受賞することになりました。
村では花火が上がり、多くの人がお祝いにかけつけました。
その中には村の出身で、東京で活躍している経営者や芸能人もいた
といわれています。
なぜ、これほどまでに盛大に祝ってもらえたのでしょう。
理由は、おじいさん先生の日ごろの善行にありました。
一人暮らしのお年寄りの家には定期的に往診に行き、話し相手になってあげる。
悩みを抱えている人がいたら、深夜まで相談に乗ってあげる。
数十年にわたって、こうしたことを続けてきたので、村人の多くがおじいさん先生
に感謝していたのです。
著者はこの話を通して言いたいのは、と、続けます。
誰かの話し相手になってあげたり、相談に乗ってあげたりするだけでも、
相手に喜びを与えたり、尽くしたことになるということです。
そうです。物やお金を与えるだけが徳積みとは限らないのです。
そばにいてあげることで相手の心を癒してあげたり、心を温めてあげることも、
立派な徳積みにつながっていくのです。
自分には与える物やお金がないという人でも、自分という人間を誰かのために
有効に役立てることができます。
ポイント:自分という人間の存在を誰かのために有効に役立てよう。
イガ爺さん、やはり、先人の知恵(英知)には、愚者のイガ爺さんや“おいら”にも心に響きます。
[何もしないで、ただそこにいるだけで、もう「利他」になっているのが「上機嫌」
です。上機嫌は周りの人の心を明るく幸せにするからです。]
どうです、イガ爺さん、すごいでしょ、善行とは、我の行いではない。
何もしないで、ただそこにいるだけでよい、実践精進の賜物(上機嫌な人)
なのである。ってね・・・・・・・・・・・。 愚者の“おいら”が言ってもね(≎=!!
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