新国立劇場 中劇場
白衛軍
ナカムラの心に残るシーン。
「ここではウクライナ語を使え」
からの短いやりとり。
言葉は文化だ。
文化は国であり、国とは文化だ。
そしてなにより
言葉はアイデンティティである。
こまつ座さんの雨という作品を思い出す。
言葉、言語というものが
いかにアイデンティティであるのか
しみじみと考えるような舞台だった。
ここではウクライナ語を使え。
あれ?どう言うんだったかな。
もういい、ロシア語を使え。
悲しいんだこれが。
なんだか、重いんだなぁこのシーン。
ほんの短いやり取りだけど、
とても大きい会話であると思った。
新国立劇場中劇場にて。
「白衛軍」観劇。
今これを日本初演として上演する
新国立劇場さんはやっぱりアツい。
重厚な絵のチラシだけれども、
ずっと重苦しいムードでもなく。
誰だっていつの時代だって、
一人一人、自分の人生を生きてる。
一人一人、色んな顔をする。
休憩中に若い男子たちが
「話がさっぱりわかんねー」
なんて話してたり、
隣の席の女性が、
マクシム(大鷹明良さん)のシーンでだけ
すごい楽しそうに笑ってたり。
ナカムラもつられて笑っちゃった。
大鷹さん出てる!と思って観に来たし。
演劇などを通して、こうして、
大きな流れの中に
色んな一人一人が生きていて、
それぞれ違う所に立っていたり、
違うものを大事にしているんだと、
そういう姿を見るのは大事。
そう思う。とても。
演劇はそれが得意なはず。
前進座公演 雪間草 観劇
三越劇場である。
でかい暖簾をくぐる。
場違いな空気だ落ち着かない。
しかしセコセコと歩くなかれ。
お、おちつけ堂々と歩け。
(落ち着かない)
路肩にキャデラックが横付け。
(落ち着かない)
千利休(林与一さん)登場。
会場から拍手。スタアである。
自然に美しい所作。
静かな確かな存在感。
これが、佇まいというものか。
自然と目線が吸われる。
この時代、男性が世の中心であり、
戦の世界こそ男で構成されているので
話も男の登場人物が進めてゆく。
二幕目から、より観客としては
千利休の動向に意識が集中していく。
何をどう話し、どうするのか。
タイトルは
雪間草 利休の娘お吟
だが、
幕が降りて感じたのは
雪間草 お吟の父 千利休
だったかな?
でもさまざまなバランスを考えたら
そうなるよね?
見応えありました。
客席を見回すに、ほとんどが
自分の親世代で埋まってる感じ。
かくいう仲村も母を伴っていた。
生で観る与一さんの姿に感動していた。
舞台は、いいものなのである。
時代劇が出来る役者が
絶滅しない事をただひたすら祈る。
ヒトハダさん情報に、注目の昨今。
12月は浅草の九劇にて
「杏仁豆腐のココロ」。
いち早く申し込んだので、
今日コンビニで発券をした。
気合の最前列ゲット。
ヒトハダさんの公演、
[杏仁豆腐のココロ]
第一希望でチケットが取れた🎫
浅草の九劇だ!
楽しみです。
今年の観劇納めはコレかも。