仲村屋

まがったヘソで生きていた

2024-12-13 | 日記
養成所初年度。
まずは、日本の国語教育は、
日本語の法則を教えないという話から。
日本語のアクセントは高低である。
とか、
鼻濁音、母音の無声化。
鼻濁音は、正しい音節で。
複合語の場合の分け方。
例外にあたる単語云々。
その中でのまた例外云々。
尾高アクセント単語+助詞「の」は平板化。
滑舌、アーティキュレーション。
じゃまず外郎売の読み方をあたって、
暗記して噛まずに暗唱しましょう、
最後に表現を加えて個別に発表します。
その間、アクセント課題たくさん。
とにかく正しいアクセントは、という意識。
この頃のことは
厳しかったからよく覚えてる。

鼻濁音がちゃん言えず
無声化がうまく言えず
滑舌がなかなか良くならず
アクセント間違いを指摘されて、
即座に言い直せないと
音感が悪いと怒られる。
ジワジワ基礎の段階で人が減り
二年目には3クラスが2クラスになった。

マイクを立ててレッスンというのは、
1年目にはもちろんなかったのだった。
まず、スタート地点まで行くための基礎。

なんか、最近になってよく思い出す。
基礎に始まり基礎にかえるのかな。

とにかく言葉。
言葉に対する回路の強化が最近のテーマ
だからかもしれないなあ。
歌舞伎の台本を読んで
名優の音声を聴いたりして、
日本語をより意識していると
母音子音連母音…アクセントの高低。
日本語は美しいなと思う。

劣等生なりにもそんな事を最近考えている。







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