夢殿

やっと出産!

早いもので、H19年8月23日に姫2号を出産してから、もう1年と5ヶ月が過ぎました。

今回の子育てで一番嬉しかった事は、何といってもほぼ完全母乳で育てることが出来たということですね。
長女の時は、正直あまり母乳の出が良かったとは言えず、今度こそ出来れば母乳一本でいけたら良いなと願ってはいたものの、まさか自分が本当に母乳オンリーで育てる事が出来たなんて!というのが正直な気持ちです。
強い信念をもって臨めば、願いはきっと叶うってことですね。

でも、あんまり気張りすぎて「絶対母乳だけじゃないとダメな母親だ!」なんて無理に自分を追い込まないことも、とっても大事。
もし母乳だけで足りなきゃ、ミルクを足せば良いんですもんね。


そして、完全母乳育児が達成できたのも、やはり「ぽぽたん」の力による部分も大きいかも?(わたしゃティーライフの広報担当か?笑)
いや~、さすがぽぽたんの実力は大したものですよ
前にもさんざん書いていますが、妊婦さん、母乳育児のお母さんには本当に特にお勧め

おかげさまで、ぽぽたんは最近はもう飲んでいないのですが、今現在も一日1回はまだ母乳をあげています。

そうそう、ぽぽたんを飲むのを止めてから気付いたのですが、何となく飲んでいた時の方に比べて手足が冷える気がするんですよ。
ということは、ぽぽたんを飲むと体もとってもあったまるし、体調も整い冷え性対策にも効果有りってことでしょうかね?
もしかしたらただ単に、ぽぽたん断ちをした1月頃から、気温がぐっと下がって寒くなっただけかもしれませんが(笑)
とにかく、栄養豊富で体に良い飲み物だということは間違い無いでしょう。


実をいうと、一歳の誕生日を過ぎた頃、もうそろそろ断乳、もしくは卒乳させた方が良いんだろうか?と結構迷ったのです。

ちょうどぽぽたんの買い置きも残り少なくなってきて、また買い足そうか、それとも、もう母乳を止めるのなら買うのをやめようか・・と迷いまして。
でも結局、母乳がいつ出なくなってもいいように、ぽぽたんが余らないように一ヶ月分づつチョコチョコと買い足してましたけどね。


でも昔と違って今は、無理にあせって断乳しなくてもいいでしょう的な考え方に変わってきているようなので、じゃあ母乳が出てくれているうちはあげればいっかな~ぐらいの気持ちで、今は気楽に考えています。
まあ、喜んで飲んでくれるうちが華ということで(笑)

姫にとっても、母乳は多分オプション的な存在のようで、ご飯はちゃんとたくさん食べてくれているし、夜もお乳がないと寝てくれないわけでは無いので、姫が「もう私にはおっぱいなんて必要ないのよ~」と思えば、姫のほうから「もう要りません」と言ってくれるでしょうから(多分



さて、少し前になりますが「世界仰天ニュース」で出産の事をとりあげていて、新山千春さんの出産ビデオや、病院まで間に合わずに自家用車の中で出産をしてしまった助産師さんの話、双子ちゃんの出産のことなどを放送していました。

出産というのは、1人1人にそれぞれドラマがあって、母親というのは自分の命をかけて新しい小さな命をこの世に送り出す!という大役を担っているんだなと、改めて思います。

それに、自分以外の方の出産エピソードというのは、実に興味深いです。
妊娠中どんな風に過ごして、どういう感じで陣痛が進み、どれぐらいお産に時間がかかったのかなど、他の方の色々な体験談を聞いてみたいとやっぱり思うものですね。
そんな事を考えていたら、
「あ、そういや自分も書きかけだったわ」と思い出しました(笑)

というわけで、9月25日の記事からの続きを書いていきたいと思います(やっとかよ!

出来ましたら、もう一度前々回の記事を読み直してから今回の記事を読んでいただけると、話がスムーズに繋がってより分かりやすいかと存じます(笑)


~~~~*~~~~*~~~~*~~~~*~~~~*~~~~*~~~~*~~~


平成19年8月23日、午後1時頃。

腰から下の感覚がどうにかなってしまいそうな痛みに耐えながらも、私は激しい陣痛の痛みと闘いながら、病院に向かうために何とか車に乗り込みました。

この時にはもう、とにかく必死で、陣痛が何分おきに来ていたかなんて時計をみる余裕などありません。

そして数分後、今度は駐車場ではなく病院の表玄関へ車をつけると、そこにはすでに助産師さんが車椅子を準備して待っていてくれました。

ところが、数分ごとにくる激しい痛みで、なかなか車から降りられない!
でもそこはさすが助産師さん。
「痛みが引いた瞬間をねらって、さあ頑張って車から降りましょうね!」との励ましのお言葉が。

この車椅子は、陣痛真っ最中の妊婦にとっては大変ありがたかったですね~。
ここまで陣痛が進んでくると、もう歩くのもかな~り辛くなってくるのです。

そしてやっとの思いで車椅子に座ると、急いで外来の診察室に通されました。
それからすぐに先生が内診をしてくれたわけですが、当然これまたクソ痛いのをこらえて、あの診察台によっこらしょと座らなくちゃいけないわけですよ!
ひぇ~!です。

この時先生に何を言われたか、もうよく覚えてないんですが、ここでやっと、やっっと!入院が決定しました(入院までがなげーよ)

で、このあとすぐに分娩準備室へ案内されたわけですが、さあ、ここからが本当の苦しみの序章です。

他の病院ではどうなのかよく分かりませんが、あの準備室というのは、ベッド一台があるだけの、殺風景な狭い個室なんですよね。
決して居心地が良いとは言い難い空間なわけです。
そこでまたお腹にぐるっと監視装置を巻かれて、痛みでう~う~唸りながら、その時まで耐えなければいけないわけです。

多分皆さん感じているだろうと思うのですが、あの分娩監視装置ってヤツは、ハッキリ言ってうっとうしい!邪魔なんですよ!
あれがお腹にグルっと巻きついていると、暴れだしたいほど痛くても、自由に横を向いたりなかなか体を好きなように動かしづらいというか、もうこんなの取っちゃってくれ!と言いたくなります。
でも、赤ちゃんの状態を見るのには、これはやはり必要なものなんですよね~。
何かこう、あんな風にお腹に巻き付けなくても、もっと妊婦にとって楽な装置が早く開発されることを切に願います。


ところで、うちの旦那と長女は病院についてからどうしていたかと言いますと・・。

旦那は一応、立会い出産を希望していたので、付き添いの為に分娩準備室へ一度は入りました。
長女は、入院の知らせをうけて急いで病院へかけつけてきた実家の両親と共に、廊下で待機。

でも、助産師さんの「まだ、あと何時間かかるか分かりませんよ」との言葉を聞いて、じゃあとりあえず両親と長女は実家で待っていようか?ということになったらしいです。

で、旦那はというと、「じゃあ私も、長女の着替えやら、食べかけになっている昼御飯の弁当やらを取りに、家へ一度帰る。」と言い出した。

この時私は、激痛で思考回路が鈍くなりながらも、
「何で??立会いするんじゃなかったのか?どうして今、ここで帰るんだよ???」と思ったのです。
しかし「あ、そう」と言うのがやっとの状態だったのか、特にその意見に反論することもなく、家に一旦帰るという旦那をあっさり見送ってしまったのでありました。

しかーし!ここで彼は大きな判断ミスをしていたのだよ。
この時、いくら腹が減っていたとはいえ、食べかけになってた昼飯なんぞほっといて、陣痛に苦しむ大事な奥さんの痛みを少しでも和らげるべく、背中をさすったり、腰をもんだりとかして付き添ってくれていたら良かったものを!!
何でこの時、やつは帰っちゃったのかね~

その後私は、1人準備室に残されちょっと寂しい状況に。
まあ、でも結局頑張るのは、お腹の赤ちゃんと自分だから、別にいいけんだけど!別に!フンッ


そうして、ここからが本当に笑っていられない状況ですよ。

準備室に入ったのが、確か午後2時45分頃だったかな?
それからは助産師さんがちょいちょい顔を出しては
「下から突き上げるような痛みはきてますか?」とやたら聞くのです。
何だか良く分からんが、そんな痛みはまだのような気もするので「いいえ?」と最初は答えてました。

しかし、だんだん陣痛の間隔も狭まってきて、声を出したくなくても「ひぃぇぁ~~!」とか妙な叫び声が自然にもれてしまうぐらい痛みが我慢できなくなってくると・・・!
「きたきたきたー!!これがその突き上げる痛みというやつか!!」と、すぐ分かりましたね。
その時に来てくれた助産師さんが
「あらあら、子宮口がもう全開ですねぇ。もうこれ以上いきんじゃダメですよー。すぐに分娩室の用意をしますからねー」と軽~くおっしゃったのですが、そんなの無理!
そんなこといわれても我慢できるにも程がある!
いきむな!って言われたって、もう今にも赤ちゃんが出てきちゃうよー!
グイグイ赤ちゃんが頭で押してる気がするよーー!!

てな感じで、私は全身汗びっしょりになりながら、痛みがマックスになってきたのを懸命にこらえて頑張っていたわけです。

多分、助産師さんが思っていたよりもかなり早く、子宮口が全開になってしまったんでしょうね。

しばらくすると「じゃあ分娩室に移動しましょうかね。立てますか?」と助産師さんがやって来ました。
でも立てますか?って言われたって、そりゃあんた、辛いに決まってんだろがよ!と思いながら、私がなかなかベッドから起き上がれずにいると

「自分が歩く気にならなきゃ、行けませんよ」と助産師さんが、ぴしゃりと一言。

ああ、そりゃ確かにそうだわよ。
この一言で「なにくそっ、やってやるよ!」と思ったよ。
でも、この助産師さん、出来ればもうちょっと優しく言ってくれたらよかったんじゃねーの?と、この時は正直思いましたね。


そしてやっとの思いで、自力で歩いて分娩室へ。


実は、今回の出産で私は「フリースタイル」、つまり妊婦の好きな格好で出産するというのを希望していまして、畳にしいた布団の上で出産したのです。
なので、いわゆる分娩台というものは使いませんでした。
布団といっても、もちろん分娩室の中なのですが、その一角にスタジオのセットのような感じで和室もどきのスペースがあるわけです。
もちろん、すぐ隣にはもしもの時の為に、分娩台がちゃんと準備してあります。


で、分娩室に入ってすぐ、私はその布団の上に倒れこむようにごろんと寝転ぶと、
「はぁ~~・・」とちょっとホッとしたような気がしました。

いつも家で寝る時は和室に布団派の私には、やっぱりこれが合ってたのかな?


それからはもう、
「ぐ~~~っ!はぁはぁ・・・、んん~~~~!、ぜぇぜぇ・・・」と、いきんで、休んで、いきんで、一休みして、またいきんで、の繰り返し!

一昔前は、いきむ時の「ひい、ひい、ふー」なんて掛け声をマザークラスでも練習させられたもんですが、今時はそんなことやりませんね。
助産師さんは全くといっていいほど、「はい、いきんで~」とか、「はい、やすんで~」なんて事は言わず、どうぞ私のペースで進めてくださいみたいな雰囲気でお産は進んでいきました。

助産師さんが2~3人お産についてくれたのですが、「そうそう、うまいうまい。お上手ですよ~」とやたら褒めてくれたのは、ちょっと嬉しかったですね


そして、やっと赤ちゃんの髪の毛も見えてきた頃、産科のドクターが登場。

先生はしばらく見守っていたものの、あと一歩のところでなかなか頭が出てきてくれなかったのを見てか、
「ちょっとだけ切開してもいいですか?」と冷静な口調で私に確認を取ろうとします。
でも、こっちはその質問にお答えする余裕なんぞなく、しばらく答えられずにいたのですが、やっぱりもう1回挑戦してやろうといきんでみましたが、またダメ。

すると先生がもう一回、今度は若干強め口調で「切開してもいいですね!?」と言われたので、私はこくんと頷きました。
いや、先生、こういう時の妊婦はなかなか冷静には答えられないと思うよ?
いちいち確認取らなくても、切ってくれちゃっても良かったんだけどね。
まあ、後々妊婦から「勝手に切られた!」とか文句を言われても困るだろうから、一応確認するんだろうけどね。


しかしさすがですね。
切開した後は、もうスルスルっと生まれてくれました!
出生時刻、午後4時32分。
準備室に入ってから2時間かかりませんでした。
これって結構早い方なのかな?

でも母子手帳には、「分娩にかかった時間は12時間」と記入されていたので、多分はっきり「これが陣痛だ」と分かった時点から計算されるんでしょう。
私の場合は、明け方の4時頃から陣痛が始まって、夕方4時半に生まれたので、合計12時間かかったということになるわけですね。

そして、めでたく生まれて来てくれた赤ちゃんとご対面~~!
ああ~、この顔、この手、この足だったんだね~、今までお腹の中で暴れてたのは!


と、感動にひたっていると、そこへやっと旦那登場

・・・何やってたんだよ、あんた。

遅いよ、お・そ・い!!

出産に立ち会うって言ってたのは誰だよ?

わざわざ会社も休んで、十分立会いできる状況は揃っていたのに、肝心な所でいないんだから、全く
もしここにちゃんといたら、へその緒だって旦那に切らせてくれたのに、ああ、もったいない。
貴重な経験し損ねたな、あんた。


でも、無事に五体満足で健康に生まれてくれただけで、十分すぎるほど幸せな事ですよね!

生まれてきてくれて、本当にありがとう




以上、陣痛から出産までの、長~い一日の記録でした
ここまでお付き合いしてくださって、ありがとうございました!

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