閑古止利

感じていること

2020/03/07

2020-03-07 | 日記
実際に、障害者アートの先進的取り組みをしている施設を訪れて、その詳細を見てきたわけではないので、世間に発表されている、いわゆる障害者アートというものが、どのように産み出されているのかは、厳密には分からないかもしれないが、NHK教育TVのバリバラなどの放送を見ると、やはり、障害者アーティストには、必ずといっていいくらい、所謂指導者なり、アドバイザー的なひと、または制作の準備などをするひとが寄り添っているようである。

じつは、この事が私にはとても引っ掛かるものがある。
普通、健常者の普通の?アートというものは、そのアーティスト、作者というものが、制作において、指導者もアドバイザーも必要とせずに制作している。作品の素材選びから、それを購入、入手する段取り、制作じょうの細かな過程の構成から、制作上必要な技術の習得や、発明までをすべて自ら行う。それらが、所謂障害者アートには欠損していることが殆んどである。

陶芸課の隣の建物には、アート課がある。そこにも、所謂、指導者、アドバイザー、がいて、作品造りの下準備をしたり、制作のヒントを提供している。

この現実を見ると、障害者アートは、そのアーティストをアシストする健常者がいなければ、成り立たないものである場合が殆んどではなかろうか。
さらに、自閉症者やダウン症などの人達は、皆んな素晴らしい芸術的才能を持っているのだと、世間は誤解しているのではないか。

私が、ただ、粘土を渡して、何でも好きなものを造ってみてくださいと言っても、なにも造らないひと、眠ってしまう人、どうしていいのか不安そうな表情を見せる人がいる。希には嬉々として作り始める人もいるが。
嬉々としてつくられたものでも、素焼きすれば、くっ付けた部材がはがれ、穴だらけにしたところが、窯のなかで爆発したりということがおこる。
いや、そもそも、陶芸のイロハの技術的なことを理解できないので、自分だけで陶芸作品を造る事は、基本的にほぼ、不可能なのである。
べつに、障害者をばかにしているわけではない。事実、現実を言っている。

いちばん大切なのは、自発性。
障害を持っているので、周りの手助けは、場合によって必要なところもある。

施設や周りの人達が、つくらせるものでは無い。
障害者は、皆んなアーティストなのではない。
世話する人におんぶにだっこしなければ成立しないアートも多いのが厳然たる事実なのである。

あと、どうしても気にかかる事がある。
この、所謂、障害者アートというもの、特に、自閉症者の絵画や造形には、共通する特徴があるものが多い。自閉症の境界例と思われるアーティスト達(草間弥生氏、岡本太郎氏などなど)の作品にも共通点が見て取れる。
その特徴というのは、「埋め尽くす傾向」のことである。
すべての作品に共通するものでは、もちろん無い。しかし、明らかに多くの作品に共通している。
この事が、障害者アートの持つ、圧倒的なパワーに直結している部分は大きいと思われる。

ここまで見てきたように、所謂、障害者アートというものに、様々な問題点というか、疑問点とでもいうものが、内包されていると、私には思えてならない。個性が強烈なように見えて、じつは、みんな同じ傾向のある作品になっていて、果たしてこれが本当に個性と言えるのかを疑わざるを得ない作品群も存在している。
現在もてはやされつつある障害者アートというものの芸術性や、障害者アーティストという人達の芸術家性というものを、いわゆる普通の健常者の作品群の芸術性や芸術家性と同列に評価する事が行われてもいるが、わたしには、それは過ちに見える。

実際には、今はこの事業から手を引いている。端的に言えば、魅力的ではなくなってしまったし、私には他に力を尽くすべきところがあると感じている。わたし一人が何を言ったところで、大した影響力もないし、何かが変わるわけでもない。
この事はこの事で、私として感じた事を持って生きてゆくだけである。
私としては、私のやりたい、やるべき芸術が目の前にあり、それをやってゆくだけの事であるというのが、何の脚色も無い現実であるだけなのではある。

      (一応、終わり)

2020/03/06

2020-03-06 | 日記
その他にも、わたしが、轆轤びきした皿に、陶芸用クレパスで絵を描いてもらった作品もできた。悪くない出来映えだった。
職員も、結構出入りがあり、あまり安定してはいなかった。このことも、この事業にとっては良いことではなかった。職員が、パート職員まで、事業理念を共有していることは、重要なことだからだ。
しかし、実状は、関係者の会議さえ開かれていない、先の見えない状況のままだった。

私としては、ここまでやって来たやり方には限界を感じるようになっていた。
まず、陶芸課に属する自閉症者の方々の症状は、あまりにも様々であり、とても、纏めて作品づくりの面倒をみられる状態ではなかった。
ほぼ、普通に意思疎通できて、私がこうして下さいと言えば、ほぼそのとうり動いてくれる人もいれば、ほぼ、意志疎通出来ない、言葉さえあまり理解できないと感じてしまうような人もいる。職員が、何とか作品造りに手を貸して、造らせようとしても、その手を振り切って、いうことを聞いてくれない事もある。途中で、寝てしまうひとまでいる。

ここまで、様々な状態の人たちに、一度に纏めて関わっても、ちゃんとした関わりなどは不可能な状態だった。
かくなるうえは、個別に関わって、更にその個性を引き出したアート作品を造ってもらえるようにならなければ、更に先に行けないと思って、職員や、所長にも、話をした。

とはいっても、話をしただけだ。
強力な要請はしなかった。
なので、現実には、そうはならなかった。
それは何故か。

それは、既にその時に、私のなかで、この障害者アートというものに、ある根本的な疑念がわきあがり、拭う事が出来なくなってきていたからである。

          (続く)

2020/03/04

2020-03-04 | 日記
 握り雛から次第に自由造形のようになってきた。施設側としては、私に丸投げで、とにかく流行りのアールブリュット(生の芸術と言われ、障害者アートと言われるものの華とされる)のようなものを造って欲しいようだった。
施設側とは、三、四回話したが、充分な熱意は感じなかった。担当職員との、今後の方向性や、基本的な事業哲学を協議する会議の開催も打診したが、職員も忙しくて、結局、会議はひらかれないままだった。

 実際の作業としては、次第に進化して、非常に価値ある芸術品も幾つか出来てきた。それは、はじめのうちは、私の穴窯で、私が焼いていたことにもよっていた。もちろん、障害者の方たちが造る作品のカタチがよくなければ、いくら焼きが良くても、芸術レベルにはならないけれど。
 なにもわからないまま、始めたことだが、アート作品を造っているときに、普段の作業では見せない、楽しげな表情を見せる人もいて、私としても、嬉しい場面はあった。
そのようにして、何回か回を重ねていった。
やがて、県に、国民文化祭と、障害者文化祭が回ってきた。
施設で造った作品も県立美術館に陳列されるという栄誉を頂いた。障害者の親御さんたちも、我が子の意外な才能を見て、嬉しく感じたことは、私の耳にもとどいた。

いいことづくめのような感じになっていた。
         (続く)

2020/02/24

2020-03-04 | 日記
多くの現代アートというものが、まず、発想ありきで作品を具現化し、その上で、作品の説明をするというタイプのものが多い。
その殆んどの作品は、芸術作品と言えるレベルのものではない。
実に陳腐な薄っぺらい作品が殆んどである。
「人権問題」、「環境問題」、「経済問題」、「宗教問題」、、、
様々な問題を題材として扱い、アートと称して、作品のモチーフにして、世間の耳目を惹こうとする。
はっきり言う。
そんなものは芸術ではない。

芸術とは、人間の霊性を高めてくれるものであって、そこに、美と神秘性が宿っているもののことである。

現代アートで、それに応えられるものは極めて少ない。その殆んどは駄作と言わざるを得ない。

2020/03/04

2020-03-04 | 日記
さて、何をどうやってゆこうか考えていたときに、報道で、あるお寺で、握り仏というのを、参詣者に造ってもらっているということを知る。粘土の固まりを手のひらで握ると、跡がついて、なんとなくヒトガタが出来る。その上の頭部分に顔をつければ、なんとなく仏様のようなものが出来あがる。ここからスタートしようと思った。

陶芸課には、出入りはあるものの、およそ七人ほど在籍している。通常は、軽度の自閉症者が、機械轆轤や簡単な型などを使用して器を形作り、重度の方々は木槌で、再生用の失敗した器の土を、叩いて細かくする作業などをしている。

午前に二時間、昼を挟んで午後に二時間の作業が通常のプログラムだ。
陶芸なので焼かなくてはならないため、準備段階で、土の菊練り(脱気と均質化のため)が必要になる。通常の器制作用の土は、土練機という機械で練って使っているが、アート用には、それに向いた別の土を使うことにしたため、私が手で菊練りをすることにした。
この菊練りなどの下準備のために、午前中の時間を使うので、自閉症者の皆さんには、午前中は通常作業をしていただくこととした。

握り仏、ほとけというのもどうかと思い、握り雛と言い換えて、いざスタートした。
しかし、握って顔をつけて終わりなので、あっという間に出来上がる。各人に、三体づつ造ってもらったが、午後の予定時間の二時間が埋まらない。付き添っている職員にも迷惑を掛けるので、次第に工夫して、本体にくっ付ける部材を導入したり、からだに模様を描いてもらったりして、時間も埋まるようになった。それとともに作品も複雑さが増して、見ごたえも出てきた。

さらに工夫して、作品の大型化も図った。下準備が増えて昼食はとれなくなったが。

             (続く)

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