閑古止利

感じていること

2020/03/04

2020-03-04 | 日記
さて、何をどうやってゆこうか考えていたときに、報道で、あるお寺で、握り仏というのを、参詣者に造ってもらっているということを知る。粘土の固まりを手のひらで握ると、跡がついて、なんとなくヒトガタが出来る。その上の頭部分に顔をつければ、なんとなく仏様のようなものが出来あがる。ここからスタートしようと思った。

陶芸課には、出入りはあるものの、およそ七人ほど在籍している。通常は、軽度の自閉症者が、機械轆轤や簡単な型などを使用して器を形作り、重度の方々は木槌で、再生用の失敗した器の土を、叩いて細かくする作業などをしている。

午前に二時間、昼を挟んで午後に二時間の作業が通常のプログラムだ。
陶芸なので焼かなくてはならないため、準備段階で、土の菊練り(脱気と均質化のため)が必要になる。通常の器制作用の土は、土練機という機械で練って使っているが、アート用には、それに向いた別の土を使うことにしたため、私が手で菊練りをすることにした。
この菊練りなどの下準備のために、午前中の時間を使うので、自閉症者の皆さんには、午前中は通常作業をしていただくこととした。

握り仏、ほとけというのもどうかと思い、握り雛と言い換えて、いざスタートした。
しかし、握って顔をつけて終わりなので、あっという間に出来上がる。各人に、三体づつ造ってもらったが、午後の予定時間の二時間が埋まらない。付き添っている職員にも迷惑を掛けるので、次第に工夫して、本体にくっ付ける部材を導入したり、からだに模様を描いてもらったりして、時間も埋まるようになった。それとともに作品も複雑さが増して、見ごたえも出てきた。

さらに工夫して、作品の大型化も図った。下準備が増えて昼食はとれなくなったが。

             (続く)


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