沼田氏により沼田城の支城として築かれ、その後真田昌幸によって改修されたとされる。秀吉による真田・北条の沼田裁定では真田家領として安堵されたが、後に北条方が調略により奪取。名胡桃城事件として、小田原攻めの遠因となった。いつも魅惑的な微笑を浮かべ、上品な立ち振る舞いをしているが、戦では自慢の鎌の美しさを見せつけるため大胆に戦う。墓が大好きで、自らを「墓守」と称し、墓を争うとする者には容赦しない。真田家先祖代々の墓も守っていると言うが、その所在を明かすことはない。