2007年10月27日
映画を通した地域活性化関連情報について
映画を通した地域活性化についての調査研究に関連する情報を、今後は、この日記で提供していきます。
今週の東京国際映画祭会期中に実施されたシンポやセミナーの記録は、追ってアップしていきますが、まずは、昨年のTIFF会期中のシンポおよびセミナーの記録をアップしていきます。
「世界の映画市場におけるアジアの台頭」
06年10月24日の午後に開かれたTIFCOMセミナーに参加してきました。興味深かったのは、映画「墨攻」を製作中の井関プロデューサーの講演でした。以下は、その概要です。
この「墨攻」は、香港の監督が原作権を8年前に買い、6年前に私を訪問した。原作は日本マンガで、7~8ヶ国がからみ、4ヶ国に権利を売った。欧米の映画では何十枚もの契約書を必要とするが、少ない契約書で4社のトップが毎月ミーティングをし、香港にプロダクションを置き、そこに権利を集中させた。香港を通して中国のプロデューサーに依頼した。
中国では11月23日、韓国は1月18日、日本は1月27日、東南アジアでは11月末~12月に公開の予定だ。つくりたいからつくったのであって、この枠組みを使えば、もう一本とれるというわけではない。
日本はアジアの中で孤立して、10年遅れている。首相が映画祭の開幕で、日本はアジアのゲートウェイになるべきと述べたそうだが、そうはなっていない。欧米のマーケットで(日本でも)アジア映画の勢いは落ちている。
先日の釜山映画祭で、韓国が中心になってアジアのプロデューサーのネットワークを立ち上げ、情報交換のみならず、助け合い、新人がアジアに参入できるように信頼を高めていくことなどが提案された。
アニメは別として、日本映画はほとんど輸出できていないのが現状だ。世界第2位の国内市場で満足してきた。「墨攻」は汎アジアを目的としたわけではない。汎アジアとして注目されているが、内容で注目されたいものだ。国際的な映画制作が可能になれば、予算の足かせがとれるかもしれない。
文化庁映画週間の行事のひとつとして、10月24日の夕方に開かれた全国映画祭コンベンションでは、第1部のシンポのテーマが「映画祭の現在ー」で、まず、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の報告がありました。夕張市の財政破綻によって、市が主催してきた映画祭は今春の17回目で終わらざるをえないが、NPO法人を立ち上げて、映画祭を市民有志の手によって存続させたいという動きがみられるとのことで、現実には上映会場や除雪の問題などがあるため、夕張メロンの季節の開催をめざしたい、という意思表明があった。
次いで、山形国際ドキュメンタリー映画祭の報告があり、1989年のスタート当初から、当時の市長が3回目以降は民間主導でと発言していたことが紹介された。来春からNPO法人としての活動開始を目標に準備中とのことで、現市長はNPO法人になっても可能な限り支援すると発言している旨の紹介があった。
以上の市が支援してきた財政規模の大きな映画祭に対して、あおもり映画祭と神戸100年映画祭という予算規模が700万円ほどの小規模な映画祭の報告があった。あおもり映画祭は6地区で開催するスタイルで、近年はフィルムコミッションと連動していることが報告された。
神戸100年映画祭は、当初、震災復興の目的で市が1億5000万円を支援したが、翌年は2000万、途中から1000万に減ったとのことで、淀川メモリアルに200万の支援などの形もあり、3年前まで市が事務所も提供してくれたが、今は民間主導となっている旨の報告があった。
最後に、ベネチア国際映画祭ディレクターのマルコ・ミューレル氏の国際映画祭についての講演で締めくくられた。
10月25日に開催されたロケーションマーケット・シンポの概要を紹介します。
まず、富士宮市のFCからの紹介があり、このFCでは、来年公開の「フリージア」や、映画版「西遊記」などの撮影を行ったとのことで、青年会議所でFCに出会ったという。FCができたことによって、行政・警察・消防など地域内団体の連携がスムースになったとのことだ。
次にみちのく富岡FCからの紹介があり、10年前に映画館が廃業したが、東京電力による500人収容のホールが昨年にできたので、そこで映画上映などのイベントを実施しているとのことで、スポーツ宿泊施設は充実しているため、ロケの受け入れ体制は整っており、子どもたちに創造力がつくように育成しているとのことであった。
次いで、海外映画の日本ロケについての話題提供があり、「トラップト・アッシュ」と題する日米合作映画の伊豆市ロケの模様が報告された。
1年半前に話がきて、当初は京都ロケの予定が、困難が多く、伊豆に変更された。日米合作のハリウッド映画ではあるが、ホラーなので、地域からの協力に工夫が必要だった。お寺でのロケがたいへんで、第2候補でようやく実現したが、そこの住職がカメラマニアで前年にテレビドラマのロケがあったので、理解が得られた。読経シーンは後姿で住職自身が演じた。スタッフ70名の宿泊にアクセス、インターネット、ベッドの問題で苦労した。和室はせいぜい2泊までしか使えない。
ロケのケータリングは、弁当ではなく、暖かい食事を要求され、最後はへとへとになったが、よい経験になった。バイリンガルの日本人スタッフが多く、楽に進められた。このような状況があれば、海外からのロケを誘致できる。FCスタッフにバイリンガルがいれば、なおよい。
日本は雨が多いので、ロケ地のそばに仮設スタジオがあれば助かる。海外映画のロケは、海外へ情報発信する効果や、海外観光客の誘致につながり、FCの底上げにもなる。このロケでは交番もほんものでロケしたが、アメリカでは考えられない。
「ブラック・レイン」の日本ロケでは、機材などをアメリカからすべて持ち込んだが、お金では解決できないこともあって、結局はすべてを撮りきれずに、アメリカへ帰ってから撮影を続けた。それが、日本での海外映画ロケのトラウマとなってきたが、今は事情が変わりつつある。
神戸FCからは、韓国のSBSドラマ「ガラスの華」の神戸ロケ支援で、海からの夜景を推奨したことと、韓国からの神戸ツアー誘致のために、韓国での放映にあわせて観光説明会をソウルで開催したことが報告され、その効果で韓国の女性誌で神戸特集が掲載されたことや、半年後に主演のイ・ドンゴンが宿泊したホテルでファンミが開かれたことなどが紹介された。
また、今夏に公開された「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」では、神戸ロケ地マップを関西地区の松竹系映画館のすべてで配布したことが紹介され、ニューヨークはロケ地紹介HPが充実しており、単に観光地を撮影してもらうわけではなく、他の街として撮影されることも多いので、地元で撮った映画を地元で盛り上げると、ヒットにつながることが強調された。
宮崎FCからは、韓国ドラマ「ウエディング」ロケで、5000人のファンでホテルが満杯になったことを契機に韓国人観光客誘致の一環として韓国ドラマ撮影を誘致した。昨日まで「雪の花」のロケで、ロケハンからロケまでが1週間しかなく、たいへんだった。いきなり韓国語の台本を渡されたり、住宅地で深夜の撮影をしたり、消防車で雨を降らせるなどの苦労が多かったことなどが紹介された。
そして、先に紹介した「初恋」ロケの話題が最後に紹介された。予告編のロケは、ほぼ北九州だそうです。映画館やガード下の階段などはここでロケし、新宿2丁目の場面も、ここの繁華街でロケしたのだそうですが、日程の関係で、地元の人々でにぎわう金曜日の夜のロケになってしまい、かなりたいへんだったそうです。当時にはなかったような風俗関係の看板を隠すなどの苦労もあったとのことでした。
3億円事件現場の府中刑務所の壁は変わってしまったので、刑務所の壁の部分だけは新潟刑務所で撮影したそうですが、旧式のガードレールを200メートルほど設置する(撮影後すぐに撤去されてしまったそうです)などの苦労がやはりあったそうです。
北九州での撮影は10日間くらいだったが、取り残した場面をここで最後に撮影したり、主演の宮崎あおいさんのスケジュールがきつくて強行軍だったそうです。
10月27日に開催された第4回文化庁全国フィルムコミッション・コンベンションの概要を記します。
まず、第1部は、全国ロケーションデータベースの紹介で、日本語サイトに続いて、英語版のサイトが公開されたとのことでした。年代別の検索や複合検索が可能な特徴があるのだそうです。
次に、第2部は「日本の撮影環境への提案」で、「ロスト・イン・トランスレーション」のライン・プロデューサーを務めた井上氏と、セカンド・アシスタント・カメラマンの石坂氏による報告がありました。
この映画は、オール東京ロケのインディペンデントで大ヒットし、アカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞した。日本ロケは、1989年の「ブラック・レイン」の挫折や「ミスター・ベースボール」の名古屋ロケのトラブルなどがあったが、この映画は、2002年10月に25日間の撮影を行った。日本で2.5億円、アメリカで2.5億円かかった。
渋谷のスクランブル交差点での撮影は無許可(ゲリラ的だが、一部は許可を得て、それを拡大解釈)、制作側が何かあれば責任を持つと名言したが、結果オーライであった。照明は使わなかったし、安全面には十分な配慮をした。昨年の「ワイルドスピード3」の東京ロケでは、関係者が3日間留置されたらしく、アメリカでロケを追加せざるをえなかったそうだ。
この映画のロケでも、レストランでの撮影が長引いて、制作スタッフが降りるかどうかの議論になった。トランスレーターが間に入って、どれだけ意識を共有できるかが問題だ。監督のソフィア・コッポラ(「地獄の黙示録」のコッポラの娘)は東京にワードロープの店を持っていて、友人も多く、彼女のイメージがすべて描けたかどうかはわからない。
東京FCには、9月25日に10月から撮影との話が来て、夕方に電話で明朝にビルの屋上でバスケ・シーンを撮りたいとの要請があったが、それはとても無理だった(ダメもとでの依頼だったそうだが)。新宿西口公園ロケも、夜間閉園と警察の不許可で断念した。ゲリラ・ロケは東京でもロスでもだいじょうぶだが、三脚を立てると、すぐにガードマンが飛んでくる。
NYとロスはFCが機能しており、日本とは、住民の映画に対する対応が異なる。NYではボランティア・エキストラがすぐに集まるが、この映画で渋谷と原宿の街頭でエキストラ募集をしたが、なかなか集まらなかった。外国映画ロケには、日本側に適切なコーディネーターが必要で、いきなりFCに来ることはありえない。
続いて、トークセッション「フィルムコミッションが地域にできること」で、まず、地域映像人材の育成支援と題する早稲田大本庄キャンパスの岡田氏からの話題提供がありました。
本庄キャンパスでは、篠田監督が「スパイ・ゾルゲ」で、樋口監督が「日本沈没」のポスト・プロダクションで、学生を交えて3ヶ月ホテルに泊まりこんで作業を行った。
学生の制作する映画も、タレントや照明、ポス・プロはプロを使って本庄で行っている。厚木FCと東京工大、神戸Fcと神戸芸工大とのリンクができてきている。高校生ワークショップの作品を地元に還元している。
次に、地域における映像文化理解の促進と題して、映画「夜のピクニック」のプロデューサーから話題提供がありました。
これは水戸一高の行事で、いばらきFCが協力した。昨夏の撮影で、夜のシーンが半分、延べ5000人の生徒を集め、最大は出発式の1000人。
15名のタレント意外はエキストラで、前年10月に水戸一高へ依頼した。4月からFCとロケハンし、46校を回った。クラスメイトに来てもらう必要があったので、オーディションをして、演技指導のワークショップを週1回行い、エキストラの8割は高校生だった。
エキストラ登録は日本独自の制度で、50ほどのフィルムコミッションが実施している。大阪FCでは、ロケ地マップを7万部作成して、JR駅で配布したところ、今でも毎日50人のエキストラ登録が集まるそうだ。
さいたまFCでは、2800人を今春から集めた。新聞と県広報誌で募集し、年に3回のロケ地ツアーを行っている。逗子FCでは、FCと映画祭をリンクさせており、シナリオ大賞を翌年に映像化している。小田原FCでは、ショートコンペを実施している。
なお、日本映画が海外の映画祭で評価される例が増えてきているが、海外で評価されても、日本で評価されるとは限らず、どの世代にも理解される映画をつくることが大切であるとの指摘があった。
以上で、東京国際映画祭期間中に行われたイベントの記録を終えますが、文責は管理人にあります。
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2007年10月28日
2006年全国フィルムコミッション協議会長崎大会パネルディスカッション報告
昨日に引き続き、昨年の全国FC協議会大会での映画上映後の監督トークおよびパネルディスカッションのレポートです。
6月2日の午後から、長崎出身の緒方明監督の昨年の作品「いつか読書する日」を鑑賞。昨年のキネマ旬報のベスト3に入ったそうだが、じんわり心にしみてくる秀作だ。長崎の石段の風景が巧みに生かされている。
終わってから監督のトークがあったが、これがまた興味津々の内容で、監督いわく、この映画はR-40作品だそうだ。
緒方明監督は以下のように語りました。04年モントリオール国際映画祭で審査員特別賞(準グランプリに相当)をいただいた際に、どこで撮影したのか?という質問を多くいただき、長崎でと答えたら、会場から、どよめきが起こった(長崎は原爆で国際的にも知られているため)。前作のベルリン映画祭受賞時に、長崎の同級生の間でネット上で話題になり、長崎で上映会も開くことができた。
それもあって、この作品を長崎で撮影することになったが、当初は脚本家も、もっと何の変哲もない街でと反対し、プロデューサーもお金がかかると反対したが、監督自身が誘致したような形になった。
文字を肉体化するには、坂が必要だと思った。長崎では、今なお引越しなどに在来馬を使うことがある。車が入れないところに、よいロケ地がある。
美術部は、ものをつくるよりも、隠すのがたいへんだった。カステラの看板や教会の十字架などを木の枝などの小道具で隠した。それは脚本家の意図をかなえるためだった。
路面電車のホームが自転車とすれちがう場面も、大浦停留所のみで成立した。自転車のシーンは、すべて下りだった。そもそも坂の多い長崎で自転車に乗る人間はいないのだが。最後まで空も(海も)入れない演出だった。
35日間のロケ中、22日は深夜スタートだった。早朝なので、地元住民もロケに気づかないことが多かった。果物の差し入れなど、長崎人は「人がよい」!!
映画の仕事は、いわば、お役所仕事と最も縁遠く、監督の感性とのつきあいだといえる。
監督トークの後に、撮影監督とプロデューサーも交えたディスカッションが行われましたので、その模様もお伝えします。
田中裕子さんの後姿を意識して撮影した。「長崎ぶらぶら節」、「解夏」など、毎年のように長崎ロケがあるけれども、「いつか読書する日」が最も長崎らしい映画だ。昨年の「キネマ旬報」では、ベスト3に入り、佐藤忠男氏の言ではベスト1だと。
脚本はオリジナル作品で、カメラを持っての坂の移動は確かにたいへんだった。朝の光の当たり方もいろいろなので、苦労してフィルムをつないだ。少し暗すぎる部分もあったが。
監督はビデオアシストはしないで、演出に力を入れた。早朝シーンは、数カットしか撮れないので集中した。静かな映画だが、スタッフは60人ほどだった。人から資金を預かって製作するので、損をしない映画をつくるが、他にはない作品をめざした。
某監督によれば、緒方監督は、批判的な助監督だったそうだ。3~4月に長崎ロケを行い、その直後の5月に主演のお二人は「火々」のロケに入ったそうだ。故今村監督の言葉だと、ロケは戦場であって、節目節目で戦場になることが2,3度あり、それを乗り切るのがたいへんだ。
05年6月の長崎先行公開では、1万人の観客を動員した。東京は7月公開だったが、ふだんは舞台挨拶に出ない田中裕子さんが長崎まで来てくれた。ネット情報よりも、新聞や雑誌の投稿で、いわば口コミ的に評判がひろがった。
監督いわく、R-40作品で、近頃は若者向けの映画ばかりなので、それへの反発もあって、この作品をつくった。モントリオールでは、歳を重ねることは尊敬されることだと感じた。
最近はビデオやDVDで見る場合が多いが、スクリーンで10伝わることが、半分ほどしか伝わらない。ロケで景色のよい場所ばかりを選んでいてはだめで、人より風景に観客の目が移ってしまうことがある。ストーリーや人物の感情を撮っているわけだから、風景に負けてはいけない。
製作本数やスクリーン数の増加だけから、日本映画が復興したとはいえない。長崎上映後に、地元の方々から、ロケ地の問い合わせが多かった。ロケハンにはひと月以上かけて、長崎市内のすべての坂を見た。田中さんに手紙を渡す場面は、風景を入れたくなかったので、金網のある場所で後姿を撮った。ロケには、失われる風景を記録するという意味もある。もちろん、伝統ある景観が保存されれば、なお良いことではあるのだが。
以上、文責は管理人にあります。
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2007年10月29日
2007年全国FC協議会沖縄大会報告
今日は、今年の6月に沖縄県で開催された全国フィルムコミッション協議会総会の模様をアップします。
まずは、日本映画「ドルフィン・ブルー」試写後のティーチ・インからです。
試写後に開かれた監督とプロデューサーによる、ティーチインの模様です。
プロ:昨年4月に撮影、シグロは21年目だが、ドキュメンタリー中心に約60本を製作してきた。86年に「読谷ザ沖縄」、90年に「老人と海」、その後に今帰仁で「風音」を製作した。
この作品は、ノンフィクションをもとに映画化を原作本を出版した講談社とホリプロから持ちかけられた。それまでにも映画化の話があったが、水族館館長の強い意志で擬人化に反対だった。
地元にゆかりのあるシグロが製作ならと許可が出た。そこで、製作委員会方式をとった。7月公開で全国100館規模だが、その後に自主上映を拡げていきたい。
監督:美ら海水族館の絶大なる協力をいただいた。一月前から助監督が飼育員に、坂井・池内も1週間前から、松山も空き時間に獣医の勉強をした。今帰仁城での祈りの場面は地元FCの上間氏に紹介してもらった。世界遺産のバッファゾーンで、石垣をくずさないように番号を付けたりした。
上間氏:メイン・ロケは本部町だが、今帰仁も全面的に協力した。個人的にも、車両部の運転手から美術の裏方、ロケ弁の手配まで、いろいろとお手伝いした。
前沢氏:よく作られている映画で、人に薦められる。役者が調教役をするのは、たいへんだったのでは!?
監督:フジは、もともと芸をしないイルカだったが、やさしいイルカで、水中では動かせないので、時間との勝負だったが、一月で、クランクアップできた。餌付けもあるが、イルカとのコミュニケーションがよくとれたと思う。別れのシーンは、ワンテイクで撮れた。
質問:昨年の「いつか読書する日」に続いて、同じ笠松カメラマンで、よく撮れていた。かつては、動物を虐待したりもした映画があったが、プロデューサーが水族館館長を説得したのか?
プロ:館長には、撮影は乱暴なので、何が起こるかわからない、とは進言した。「風音」で、地元との信頼関係を構築できたことが、受け入れていただいた最大の理由だろう。
プロ:かつて「捕鯨に生きる」というドキュメンタリーを撮ったが、人間と鯨の関係をしっかり描きたいと思った。イルカをかわいいものとして擬人化するのではないという立場を理解していただいた。
水族館側の決断が、我々にも伝わってきた。手術に使ったイルカの尾びれは本物で、それも水族館からホルマリン漬けにしたものなどを提供していただいた。
イルカの撮影は手持ちなので、最新の高価なカメラを使った。ふだんのシグロは貧乏なので使えない機材だ。水中撮影は16ミリを使った。HDカメラでは細かすぎて映像がギラギラして薄っぺらに見えてしまうので、あえてザラザラ感を出すために16ミリカメラを使った。
質問:館長さんは、山崎努さんに似ているのか?
監督:そっくりで、キャラはパクリなほどだ。
プロ:老人役は、地元の区長さんにお願いした。舟を燃やすシーンは、ガスを使い、ゴミが出ないようにした。プロパン25個の浮き桟橋を作った。CGはいっさい使わなかった。リアル・ストーリーにCGを使うと、何でもありで映画の構造が壊れてしまう。ミチルの存在だけがフィクションで、彼女は沖縄のキジムナー(妖精)的存在だ。
質問:実際にフジに会いたくなる映画だ。
監督:監督自身がフジのように復活させてもらった(前作がこけたので)。うまくジャンプできたかどうかはわからないが。
プロ:NHKの番組をつくった時の助監督だったが、前田監督の「子供の時間」のシナリオを読ませてもらったことが起用の理由だ。「陽気なギャング・・・」で、監督のがんばりがみえたこともある。
以上で、ティーチインの紹介を終わりますが、文責は管理人にあります。
続いて、ホストFCプレゼンテーション「沖縄フィルムオフィスと沖縄の撮影環境」の模様を、お伝えします。
上間氏:今帰仁撮影支援隊は、個人的ボランティアで、「TAKESHIS」を今帰仁でロケ支援したのが、きっかけだった。
ロケの通行止めとシーミー(清明祭)が重なり、地元民から苦情がきたこともあった。エキストラが沖縄タイムで、なかなか集まらなかったりもした。名護の大学にエキストラ動員をお願いし、大量に確保することができたこともあった。
ロケに使われたビーチは、地元民の夕涼みの場でもあるので、ロケが増えると迷惑になる。将来は観光協会を設置して、その中で活動したい。
金城氏:「涙そうそう」へ沖縄市観光協会が支援した。それ以前の映画では「はるかなる甲子園」へ支援したことがあった。最近では「チェケラッチョ」にも支援した。
「涙そうそう」では、撮影隊が宿泊したので、市への直接経済効果は5000万円にのぼった。50名ほどのロケ地ツアーも実施した。
「チェケラッチョ」では、市外のロケが多く、エキストラの対応がむずかしかった。将来はフィルム・コミッションを独立させて、音楽によるまちづくりともリンクさせたい。
西銘氏:石垣島FCで、「パッチギ2」や「恋しくて」といった大作のロケを行った。FCは、2004年6月に市観光課内に設立された。まだ、HPもなく、PRは足りないが、沖縄FFからの照会よりも、直接連絡のほうが多い。
「恋しくて」は、昨年7~8月の一ヶ月ほどロケをしたが、ラストのエキストラは3000人だった。雨が多かったので、市長の出番の撮影が遅れた。石垣市内でロケしたが、ロケ地の問い合わせも多い(那覇の桜坂劇場で、大ヒット上映中!!)。
「パッチギ2」は、ヤップ島のシーンを石垣島で撮影した。新空港予定地のカラ岳山ろくでロケしたが、さんま出演のテレビドラマ「サトウキビ畑の唄」も、そのあたりでロケした。地域のキーパーソンと連携した県全体としてのFCの活動が必要となろう。
フォトオフィス大田代表:県内で、ロケ・コーディネート会社が20社ほどある。FCができて、やりにくくなったところもある。FCのネット情報が増えて、立会いなしの撮影が多くなった。
それによって、撮影禁止場所が増えてきた。県FFでも、大事なロケ地の写真を削除している。地元の方々と環境への配慮をよく考えて、ロケをされるみなさんには行動してほしい。
昨年はひとりで43件に対応した。ロケ大県だが、全体的まとなりに欠ける。外国人クルーを受け入れる会社は、自分のところがほぼ唯一で、米英・イスラエルなどの実績がある。海外からのコメントとしては、物価が高いと、よく指摘される。
以上の文責は管理人にあります。
最後に、全国FC協議会総会での記念講演&トークセッション「インターナショナル・フィルム時代のFC」の模様をお伝えします。
井関プロデューサー:ツイ・ハーク作品の「ミッシング」を与那国島で撮影し、この年末に完成の予定だ。沖縄FFに協力を依頼した。先ほど流したのは、カンヌ映画祭で上映したプロモーション・ビデオだ。
映画は安くつくると画面に現れる。そのクオリティー確保の判断がプロデューサーの仕事になる。
ツイ・ハークはアイデア豊富だが、其の分わがままで、プロデューサーがコントロールしにくい監督だ。監督は当初、言葉の点で台湾のダイバーを連れてきたが、技量面で沖縄のダイバーを使うことになり、台湾の撮影にも同行した。
中国では、来年の旧正月に上映の予定だが、不条理なホラー映画は検閲を通らないので、内容はかなり変わるかもしれない。
祷プロ:かつての地方ロケで役に立ったのは地元名士だったが、今のFCは温度差がある。高岡大仏の撮影で、ひともめしたことがあった。また、八丈島は東京都なので、潤沢なためか全く協力してくれなかった。
FCの人たちはロケが終わった後の見送りでホッとした顔をするが、映画は公開されてナンボの世界だ。「フラガール」のいわき市は一体となって対応してくれ、地元の福島県で大ヒットした。地域活性化とは、人がやってくることだと思う。
瀬川氏:一日に数百人が利用するマエダ岬のダイビング・スポットでの撮影許可を苦労してとったのに、監督からキャンセルされた。本島での撮影は一日だけで、それも午前2時までのはずが、朝までかかって、現場からはブーイングだった。
祷氏:ヤップ島や八丈島でロケハンしたが、全てを受け入れてくれた石垣島に決めた。12月27日までに撮影が終わらないと、年末年始のチケットが取れず、帰れなかった。初日が雨で撮影できなかったが、後は降らずに助かった。
井関氏:祷氏のように現場に出るプロデューサーと出ない人では全くちがう。
前沢氏:東京近辺のFCと遠方のFCとでは役割がちがうが、制作会社の温度差のほうが大きいのではないか?
以上、文責は管理人にあります。
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2007年10月30日
仙台映画週間FCセミナー報告
今日は、07年9月21日に開催された、第4回せんだい宮城フィルムコミッションセミナーに参加した報告をアップします。
FCからは、昨年に東京で開かれたロケ地フェアに、若松監督(宮城県涌谷町出身)が参加され、来年に公開予定の連合赤軍を描いた映画の大崎市でのロケが決まったことの紹介や、「アヒルと鴨のコインロッカー」の撮影では、ラッシュを避けて、午前5時からエキストラを交えての仙台駅ロケが行われたエピソードや、エキストラボランティア制度は2003年9月にNHK朝ドラ「天花」の放送を前にスタートし、その効果もあって、あっという間に900人の登録があり、今は1500人にのぼることも紹介された。
また、実際に「天花」のエキストラを経験された方から、七夕のシーンが10月の撮影だったので、夏服で参加し、一こまを撮るのに、たいへんな労力をかけていることを実感し、県庁前で夜に不良にからまれるシーンにも参加したことが紹介された。
細倉鉱山からは、1987年に閉山したが、過疎の老人の町が元気になってほしいという願いから「東京タワー」のロケ地を引き受け、まず「フラガール」のスタッフがロケハンに来て、そこから「東京タワー」のスタッフに情報が伝わり、監督たちがロケハンに来たそうで、工事関係とエキストラは地元でと要請したそうだ。鉱山の住宅には、ガラス戸やふすま、障子など、昭和30年代の風景が残っているし、周囲に高層ビルなどが写りこむこともないので、セットでは表現できない奥行きと広がりが得られたと制作側からのコメントがあった。100人ほどの若いスタッフと地元の交流があったが、ロケ地の保存は法律のしばりなどから、お金と時間がかかり、とりあえず来年3月まで保存することになっている。
東北学院大からは、「アヒル・・・」のロケに、大学の広報活動の一環として協力し、大学生の物語なので、問題なくロケが実現したとのことで、プロの手によってきれいに撮れており、大学に対するイメージが向上したし、学生のエキストラも喜んで協力した。ただ、撮影時間が長引くと、大学という性格上、深夜までは撮影できない事情もあり、また禁煙スペースの問題などが課題となったし、ロケ地見学にも多少の制約があることが紹介された。
ロケバスを提供した国際観光からは、1ヶ月間のロケバスの提供は初めての経験で、ドライバーは、延べ200人近くになり、約200箇所を回ったので、コマーシャル効果はあり、始めてみると、楽しいことも多かったことなどが紹介された。
なお、以上の文責は管理人にあります。
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2007年10月31日
韓国インディペンデント映画2007パネルディスカッション報告
8月25日に渋谷で開催されたパネルディスカッションの模様をお伝えします。
トニー・レインズ:06年は2大ヒット作(「王の男」&「怪物」)があり、韓国映画には、良い年となった。しかし、07年は危機となり、韓流がアジアで終焉を迎えつつあり、韓国国内でも映画へのサポートが弱体化している。
ただ、個々にはうまくいっているものもあるので、ノーマルな状態に戻ったというべきか。制作費や人員の削減、クウォーター制度が観客減につながっている。もし、大ヒットが生まれれば楽天的になるかもしれず、その候補として、キム・ジウン監督、ソン・ガンホ主演の「ウエスタン」があげられる。
このような商業映画の動向が、インディーズには、どのように影響しているのか?
ファン・チョルミン監督:直接的な影響はないといえる。独立映画は、映画市場との関わりはないので。だが、商業映画も活発であってほしい。単純なものではなく、構造的危機といえるが、今の対応は、その場しのぎで、観客は魚のようなものにたとえられ、これまでの韓国映画は、うまく網をはってきたが、それがずれてきたようだ。
日本は観客の望みより少し高いところに制作の意図があり、それが少し低いところに網をおろすようになった。韓国の20~30代が日本映画に関心を持ち始め、より高いレベルに移ってきている。
キム・サムリョク監督:監督は今回の作品が始めてだが、インディーの世界に入って10年になる。90年代の韓国映画は100万人が入れば、大ヒットだった。もともとパイが小さい。パイが小さくなると、インディー映画にも何らかの影響があると思われる。大手映画会社のサイダスも、制作費を50億から40億ウォンに削減した。
キム・ミョンジュン監督:商業映画の撮影スタッフからスタートした。5・6年働いたが、当時は芸術性も追及した。また戻ろうとしても無理な厳しい現状だ。今の監督は興行能力が要求されている。そうなると、どこに重点を置くかが変わってくる。
「ウリハッキョ」の成功のひとつは特別な興行戦略にある。自主上映の成果を劇場主にみせた。商業映画のプロデューサーも、この公開方法に関心を寄せている。資本の論理で進めてきた商業映画が突破口を模索している。
ファン監督:前作「スパイするカメラ」の製作に5年かかった。制作費支援の工面で時間がかかったので、その反省もあって今回はシナリオも用意せずに1ヶ月で撮影した。
ヨーロッパで映画を学び、韓国で活動して10年になるが、インディーでも売れなければ投資は集まらない。でも、これからも、インディーを続けたい。
サムリョク監督ー資本から独立しているのがインディーだが映画は資本の産物だ。この作品は百人以上が出演して10年がかりになった。ディテールには多くの人材と技術が必要で、インディーをつくるのは楽しいがディテールは省略せざるをえない。2億ウォンの制作費をペイするには6000人の観客が必要だ。今回の映画への自分の経験度は95%だ。
キム・ミョンジュン監督ー商業映画には戻りたい。インディーとはまたちがったおもしろさがあるので。
インディーの制作を通じた在日コリアンの方々との出会いで、人生が180度変わった。今後は、日本・韓国・北朝鮮と在日の交流を深めるようなテーマで作品をつくり続けたい。商業映画になるかインディーになるかは不明だが。
「ウリハッキョ」の韓国での自主上映は、日本での方法とあまり変わらない。数年前に「送還」が劇場公開の後に韓国各地で自主上映が続けられた。その経験に基づいたが、今の韓国のシネコンで、インディーの長期上映は困難だ。
それで、まず釜山国際映画祭での上映後に、市民団体に映画をもっていって、ネット上で高い評価をいただき、それを劇場の説得に使った。劇場側も、自主上映との同時進行を了解してくれた。
劇場で3万5千人、自主上映で4万5千人入り、うち1万人は日本での自主上映だ。
入場料の数%を朝鮮学校に寄付することとし、韓国で見た80%が学校の先生で他にNPOも影響力のある14地域で自主上映してくれた。今年の末に日本で劇場公開の予定があるために、DVD化はその後になるだろう。
以上で、パネルディスカッションのまとめを終わりますが、文責は管理人にあります。
映画を通した地域活性化関連情報について
映画を通した地域活性化についての調査研究に関連する情報を、今後は、この日記で提供していきます。
今週の東京国際映画祭会期中に実施されたシンポやセミナーの記録は、追ってアップしていきますが、まずは、昨年のTIFF会期中のシンポおよびセミナーの記録をアップしていきます。
「世界の映画市場におけるアジアの台頭」
06年10月24日の午後に開かれたTIFCOMセミナーに参加してきました。興味深かったのは、映画「墨攻」を製作中の井関プロデューサーの講演でした。以下は、その概要です。
この「墨攻」は、香港の監督が原作権を8年前に買い、6年前に私を訪問した。原作は日本マンガで、7~8ヶ国がからみ、4ヶ国に権利を売った。欧米の映画では何十枚もの契約書を必要とするが、少ない契約書で4社のトップが毎月ミーティングをし、香港にプロダクションを置き、そこに権利を集中させた。香港を通して中国のプロデューサーに依頼した。
中国では11月23日、韓国は1月18日、日本は1月27日、東南アジアでは11月末~12月に公開の予定だ。つくりたいからつくったのであって、この枠組みを使えば、もう一本とれるというわけではない。
日本はアジアの中で孤立して、10年遅れている。首相が映画祭の開幕で、日本はアジアのゲートウェイになるべきと述べたそうだが、そうはなっていない。欧米のマーケットで(日本でも)アジア映画の勢いは落ちている。
先日の釜山映画祭で、韓国が中心になってアジアのプロデューサーのネットワークを立ち上げ、情報交換のみならず、助け合い、新人がアジアに参入できるように信頼を高めていくことなどが提案された。
アニメは別として、日本映画はほとんど輸出できていないのが現状だ。世界第2位の国内市場で満足してきた。「墨攻」は汎アジアを目的としたわけではない。汎アジアとして注目されているが、内容で注目されたいものだ。国際的な映画制作が可能になれば、予算の足かせがとれるかもしれない。
文化庁映画週間の行事のひとつとして、10月24日の夕方に開かれた全国映画祭コンベンションでは、第1部のシンポのテーマが「映画祭の現在ー」で、まず、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の報告がありました。夕張市の財政破綻によって、市が主催してきた映画祭は今春の17回目で終わらざるをえないが、NPO法人を立ち上げて、映画祭を市民有志の手によって存続させたいという動きがみられるとのことで、現実には上映会場や除雪の問題などがあるため、夕張メロンの季節の開催をめざしたい、という意思表明があった。
次いで、山形国際ドキュメンタリー映画祭の報告があり、1989年のスタート当初から、当時の市長が3回目以降は民間主導でと発言していたことが紹介された。来春からNPO法人としての活動開始を目標に準備中とのことで、現市長はNPO法人になっても可能な限り支援すると発言している旨の紹介があった。
以上の市が支援してきた財政規模の大きな映画祭に対して、あおもり映画祭と神戸100年映画祭という予算規模が700万円ほどの小規模な映画祭の報告があった。あおもり映画祭は6地区で開催するスタイルで、近年はフィルムコミッションと連動していることが報告された。
神戸100年映画祭は、当初、震災復興の目的で市が1億5000万円を支援したが、翌年は2000万、途中から1000万に減ったとのことで、淀川メモリアルに200万の支援などの形もあり、3年前まで市が事務所も提供してくれたが、今は民間主導となっている旨の報告があった。
最後に、ベネチア国際映画祭ディレクターのマルコ・ミューレル氏の国際映画祭についての講演で締めくくられた。
10月25日に開催されたロケーションマーケット・シンポの概要を紹介します。
まず、富士宮市のFCからの紹介があり、このFCでは、来年公開の「フリージア」や、映画版「西遊記」などの撮影を行ったとのことで、青年会議所でFCに出会ったという。FCができたことによって、行政・警察・消防など地域内団体の連携がスムースになったとのことだ。
次にみちのく富岡FCからの紹介があり、10年前に映画館が廃業したが、東京電力による500人収容のホールが昨年にできたので、そこで映画上映などのイベントを実施しているとのことで、スポーツ宿泊施設は充実しているため、ロケの受け入れ体制は整っており、子どもたちに創造力がつくように育成しているとのことであった。
次いで、海外映画の日本ロケについての話題提供があり、「トラップト・アッシュ」と題する日米合作映画の伊豆市ロケの模様が報告された。
1年半前に話がきて、当初は京都ロケの予定が、困難が多く、伊豆に変更された。日米合作のハリウッド映画ではあるが、ホラーなので、地域からの協力に工夫が必要だった。お寺でのロケがたいへんで、第2候補でようやく実現したが、そこの住職がカメラマニアで前年にテレビドラマのロケがあったので、理解が得られた。読経シーンは後姿で住職自身が演じた。スタッフ70名の宿泊にアクセス、インターネット、ベッドの問題で苦労した。和室はせいぜい2泊までしか使えない。
ロケのケータリングは、弁当ではなく、暖かい食事を要求され、最後はへとへとになったが、よい経験になった。バイリンガルの日本人スタッフが多く、楽に進められた。このような状況があれば、海外からのロケを誘致できる。FCスタッフにバイリンガルがいれば、なおよい。
日本は雨が多いので、ロケ地のそばに仮設スタジオがあれば助かる。海外映画のロケは、海外へ情報発信する効果や、海外観光客の誘致につながり、FCの底上げにもなる。このロケでは交番もほんものでロケしたが、アメリカでは考えられない。
「ブラック・レイン」の日本ロケでは、機材などをアメリカからすべて持ち込んだが、お金では解決できないこともあって、結局はすべてを撮りきれずに、アメリカへ帰ってから撮影を続けた。それが、日本での海外映画ロケのトラウマとなってきたが、今は事情が変わりつつある。
神戸FCからは、韓国のSBSドラマ「ガラスの華」の神戸ロケ支援で、海からの夜景を推奨したことと、韓国からの神戸ツアー誘致のために、韓国での放映にあわせて観光説明会をソウルで開催したことが報告され、その効果で韓国の女性誌で神戸特集が掲載されたことや、半年後に主演のイ・ドンゴンが宿泊したホテルでファンミが開かれたことなどが紹介された。
また、今夏に公開された「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」では、神戸ロケ地マップを関西地区の松竹系映画館のすべてで配布したことが紹介され、ニューヨークはロケ地紹介HPが充実しており、単に観光地を撮影してもらうわけではなく、他の街として撮影されることも多いので、地元で撮った映画を地元で盛り上げると、ヒットにつながることが強調された。
宮崎FCからは、韓国ドラマ「ウエディング」ロケで、5000人のファンでホテルが満杯になったことを契機に韓国人観光客誘致の一環として韓国ドラマ撮影を誘致した。昨日まで「雪の花」のロケで、ロケハンからロケまでが1週間しかなく、たいへんだった。いきなり韓国語の台本を渡されたり、住宅地で深夜の撮影をしたり、消防車で雨を降らせるなどの苦労が多かったことなどが紹介された。
そして、先に紹介した「初恋」ロケの話題が最後に紹介された。予告編のロケは、ほぼ北九州だそうです。映画館やガード下の階段などはここでロケし、新宿2丁目の場面も、ここの繁華街でロケしたのだそうですが、日程の関係で、地元の人々でにぎわう金曜日の夜のロケになってしまい、かなりたいへんだったそうです。当時にはなかったような風俗関係の看板を隠すなどの苦労もあったとのことでした。
3億円事件現場の府中刑務所の壁は変わってしまったので、刑務所の壁の部分だけは新潟刑務所で撮影したそうですが、旧式のガードレールを200メートルほど設置する(撮影後すぐに撤去されてしまったそうです)などの苦労がやはりあったそうです。
北九州での撮影は10日間くらいだったが、取り残した場面をここで最後に撮影したり、主演の宮崎あおいさんのスケジュールがきつくて強行軍だったそうです。
10月27日に開催された第4回文化庁全国フィルムコミッション・コンベンションの概要を記します。
まず、第1部は、全国ロケーションデータベースの紹介で、日本語サイトに続いて、英語版のサイトが公開されたとのことでした。年代別の検索や複合検索が可能な特徴があるのだそうです。
次に、第2部は「日本の撮影環境への提案」で、「ロスト・イン・トランスレーション」のライン・プロデューサーを務めた井上氏と、セカンド・アシスタント・カメラマンの石坂氏による報告がありました。
この映画は、オール東京ロケのインディペンデントで大ヒットし、アカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞した。日本ロケは、1989年の「ブラック・レイン」の挫折や「ミスター・ベースボール」の名古屋ロケのトラブルなどがあったが、この映画は、2002年10月に25日間の撮影を行った。日本で2.5億円、アメリカで2.5億円かかった。
渋谷のスクランブル交差点での撮影は無許可(ゲリラ的だが、一部は許可を得て、それを拡大解釈)、制作側が何かあれば責任を持つと名言したが、結果オーライであった。照明は使わなかったし、安全面には十分な配慮をした。昨年の「ワイルドスピード3」の東京ロケでは、関係者が3日間留置されたらしく、アメリカでロケを追加せざるをえなかったそうだ。
この映画のロケでも、レストランでの撮影が長引いて、制作スタッフが降りるかどうかの議論になった。トランスレーターが間に入って、どれだけ意識を共有できるかが問題だ。監督のソフィア・コッポラ(「地獄の黙示録」のコッポラの娘)は東京にワードロープの店を持っていて、友人も多く、彼女のイメージがすべて描けたかどうかはわからない。
東京FCには、9月25日に10月から撮影との話が来て、夕方に電話で明朝にビルの屋上でバスケ・シーンを撮りたいとの要請があったが、それはとても無理だった(ダメもとでの依頼だったそうだが)。新宿西口公園ロケも、夜間閉園と警察の不許可で断念した。ゲリラ・ロケは東京でもロスでもだいじょうぶだが、三脚を立てると、すぐにガードマンが飛んでくる。
NYとロスはFCが機能しており、日本とは、住民の映画に対する対応が異なる。NYではボランティア・エキストラがすぐに集まるが、この映画で渋谷と原宿の街頭でエキストラ募集をしたが、なかなか集まらなかった。外国映画ロケには、日本側に適切なコーディネーターが必要で、いきなりFCに来ることはありえない。
続いて、トークセッション「フィルムコミッションが地域にできること」で、まず、地域映像人材の育成支援と題する早稲田大本庄キャンパスの岡田氏からの話題提供がありました。
本庄キャンパスでは、篠田監督が「スパイ・ゾルゲ」で、樋口監督が「日本沈没」のポスト・プロダクションで、学生を交えて3ヶ月ホテルに泊まりこんで作業を行った。
学生の制作する映画も、タレントや照明、ポス・プロはプロを使って本庄で行っている。厚木FCと東京工大、神戸Fcと神戸芸工大とのリンクができてきている。高校生ワークショップの作品を地元に還元している。
次に、地域における映像文化理解の促進と題して、映画「夜のピクニック」のプロデューサーから話題提供がありました。
これは水戸一高の行事で、いばらきFCが協力した。昨夏の撮影で、夜のシーンが半分、延べ5000人の生徒を集め、最大は出発式の1000人。
15名のタレント意外はエキストラで、前年10月に水戸一高へ依頼した。4月からFCとロケハンし、46校を回った。クラスメイトに来てもらう必要があったので、オーディションをして、演技指導のワークショップを週1回行い、エキストラの8割は高校生だった。
エキストラ登録は日本独自の制度で、50ほどのフィルムコミッションが実施している。大阪FCでは、ロケ地マップを7万部作成して、JR駅で配布したところ、今でも毎日50人のエキストラ登録が集まるそうだ。
さいたまFCでは、2800人を今春から集めた。新聞と県広報誌で募集し、年に3回のロケ地ツアーを行っている。逗子FCでは、FCと映画祭をリンクさせており、シナリオ大賞を翌年に映像化している。小田原FCでは、ショートコンペを実施している。
なお、日本映画が海外の映画祭で評価される例が増えてきているが、海外で評価されても、日本で評価されるとは限らず、どの世代にも理解される映画をつくることが大切であるとの指摘があった。
以上で、東京国際映画祭期間中に行われたイベントの記録を終えますが、文責は管理人にあります。
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2007年10月28日
2006年全国フィルムコミッション協議会長崎大会パネルディスカッション報告
昨日に引き続き、昨年の全国FC協議会大会での映画上映後の監督トークおよびパネルディスカッションのレポートです。
6月2日の午後から、長崎出身の緒方明監督の昨年の作品「いつか読書する日」を鑑賞。昨年のキネマ旬報のベスト3に入ったそうだが、じんわり心にしみてくる秀作だ。長崎の石段の風景が巧みに生かされている。
終わってから監督のトークがあったが、これがまた興味津々の内容で、監督いわく、この映画はR-40作品だそうだ。
緒方明監督は以下のように語りました。04年モントリオール国際映画祭で審査員特別賞(準グランプリに相当)をいただいた際に、どこで撮影したのか?という質問を多くいただき、長崎でと答えたら、会場から、どよめきが起こった(長崎は原爆で国際的にも知られているため)。前作のベルリン映画祭受賞時に、長崎の同級生の間でネット上で話題になり、長崎で上映会も開くことができた。
それもあって、この作品を長崎で撮影することになったが、当初は脚本家も、もっと何の変哲もない街でと反対し、プロデューサーもお金がかかると反対したが、監督自身が誘致したような形になった。
文字を肉体化するには、坂が必要だと思った。長崎では、今なお引越しなどに在来馬を使うことがある。車が入れないところに、よいロケ地がある。
美術部は、ものをつくるよりも、隠すのがたいへんだった。カステラの看板や教会の十字架などを木の枝などの小道具で隠した。それは脚本家の意図をかなえるためだった。
路面電車のホームが自転車とすれちがう場面も、大浦停留所のみで成立した。自転車のシーンは、すべて下りだった。そもそも坂の多い長崎で自転車に乗る人間はいないのだが。最後まで空も(海も)入れない演出だった。
35日間のロケ中、22日は深夜スタートだった。早朝なので、地元住民もロケに気づかないことが多かった。果物の差し入れなど、長崎人は「人がよい」!!
映画の仕事は、いわば、お役所仕事と最も縁遠く、監督の感性とのつきあいだといえる。
監督トークの後に、撮影監督とプロデューサーも交えたディスカッションが行われましたので、その模様もお伝えします。
田中裕子さんの後姿を意識して撮影した。「長崎ぶらぶら節」、「解夏」など、毎年のように長崎ロケがあるけれども、「いつか読書する日」が最も長崎らしい映画だ。昨年の「キネマ旬報」では、ベスト3に入り、佐藤忠男氏の言ではベスト1だと。
脚本はオリジナル作品で、カメラを持っての坂の移動は確かにたいへんだった。朝の光の当たり方もいろいろなので、苦労してフィルムをつないだ。少し暗すぎる部分もあったが。
監督はビデオアシストはしないで、演出に力を入れた。早朝シーンは、数カットしか撮れないので集中した。静かな映画だが、スタッフは60人ほどだった。人から資金を預かって製作するので、損をしない映画をつくるが、他にはない作品をめざした。
某監督によれば、緒方監督は、批判的な助監督だったそうだ。3~4月に長崎ロケを行い、その直後の5月に主演のお二人は「火々」のロケに入ったそうだ。故今村監督の言葉だと、ロケは戦場であって、節目節目で戦場になることが2,3度あり、それを乗り切るのがたいへんだ。
05年6月の長崎先行公開では、1万人の観客を動員した。東京は7月公開だったが、ふだんは舞台挨拶に出ない田中裕子さんが長崎まで来てくれた。ネット情報よりも、新聞や雑誌の投稿で、いわば口コミ的に評判がひろがった。
監督いわく、R-40作品で、近頃は若者向けの映画ばかりなので、それへの反発もあって、この作品をつくった。モントリオールでは、歳を重ねることは尊敬されることだと感じた。
最近はビデオやDVDで見る場合が多いが、スクリーンで10伝わることが、半分ほどしか伝わらない。ロケで景色のよい場所ばかりを選んでいてはだめで、人より風景に観客の目が移ってしまうことがある。ストーリーや人物の感情を撮っているわけだから、風景に負けてはいけない。
製作本数やスクリーン数の増加だけから、日本映画が復興したとはいえない。長崎上映後に、地元の方々から、ロケ地の問い合わせが多かった。ロケハンにはひと月以上かけて、長崎市内のすべての坂を見た。田中さんに手紙を渡す場面は、風景を入れたくなかったので、金網のある場所で後姿を撮った。ロケには、失われる風景を記録するという意味もある。もちろん、伝統ある景観が保存されれば、なお良いことではあるのだが。
以上、文責は管理人にあります。
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2007年10月29日
2007年全国FC協議会沖縄大会報告
今日は、今年の6月に沖縄県で開催された全国フィルムコミッション協議会総会の模様をアップします。
まずは、日本映画「ドルフィン・ブルー」試写後のティーチ・インからです。
試写後に開かれた監督とプロデューサーによる、ティーチインの模様です。
プロ:昨年4月に撮影、シグロは21年目だが、ドキュメンタリー中心に約60本を製作してきた。86年に「読谷ザ沖縄」、90年に「老人と海」、その後に今帰仁で「風音」を製作した。
この作品は、ノンフィクションをもとに映画化を原作本を出版した講談社とホリプロから持ちかけられた。それまでにも映画化の話があったが、水族館館長の強い意志で擬人化に反対だった。
地元にゆかりのあるシグロが製作ならと許可が出た。そこで、製作委員会方式をとった。7月公開で全国100館規模だが、その後に自主上映を拡げていきたい。
監督:美ら海水族館の絶大なる協力をいただいた。一月前から助監督が飼育員に、坂井・池内も1週間前から、松山も空き時間に獣医の勉強をした。今帰仁城での祈りの場面は地元FCの上間氏に紹介してもらった。世界遺産のバッファゾーンで、石垣をくずさないように番号を付けたりした。
上間氏:メイン・ロケは本部町だが、今帰仁も全面的に協力した。個人的にも、車両部の運転手から美術の裏方、ロケ弁の手配まで、いろいろとお手伝いした。
前沢氏:よく作られている映画で、人に薦められる。役者が調教役をするのは、たいへんだったのでは!?
監督:フジは、もともと芸をしないイルカだったが、やさしいイルカで、水中では動かせないので、時間との勝負だったが、一月で、クランクアップできた。餌付けもあるが、イルカとのコミュニケーションがよくとれたと思う。別れのシーンは、ワンテイクで撮れた。
質問:昨年の「いつか読書する日」に続いて、同じ笠松カメラマンで、よく撮れていた。かつては、動物を虐待したりもした映画があったが、プロデューサーが水族館館長を説得したのか?
プロ:館長には、撮影は乱暴なので、何が起こるかわからない、とは進言した。「風音」で、地元との信頼関係を構築できたことが、受け入れていただいた最大の理由だろう。
プロ:かつて「捕鯨に生きる」というドキュメンタリーを撮ったが、人間と鯨の関係をしっかり描きたいと思った。イルカをかわいいものとして擬人化するのではないという立場を理解していただいた。
水族館側の決断が、我々にも伝わってきた。手術に使ったイルカの尾びれは本物で、それも水族館からホルマリン漬けにしたものなどを提供していただいた。
イルカの撮影は手持ちなので、最新の高価なカメラを使った。ふだんのシグロは貧乏なので使えない機材だ。水中撮影は16ミリを使った。HDカメラでは細かすぎて映像がギラギラして薄っぺらに見えてしまうので、あえてザラザラ感を出すために16ミリカメラを使った。
質問:館長さんは、山崎努さんに似ているのか?
監督:そっくりで、キャラはパクリなほどだ。
プロ:老人役は、地元の区長さんにお願いした。舟を燃やすシーンは、ガスを使い、ゴミが出ないようにした。プロパン25個の浮き桟橋を作った。CGはいっさい使わなかった。リアル・ストーリーにCGを使うと、何でもありで映画の構造が壊れてしまう。ミチルの存在だけがフィクションで、彼女は沖縄のキジムナー(妖精)的存在だ。
質問:実際にフジに会いたくなる映画だ。
監督:監督自身がフジのように復活させてもらった(前作がこけたので)。うまくジャンプできたかどうかはわからないが。
プロ:NHKの番組をつくった時の助監督だったが、前田監督の「子供の時間」のシナリオを読ませてもらったことが起用の理由だ。「陽気なギャング・・・」で、監督のがんばりがみえたこともある。
以上で、ティーチインの紹介を終わりますが、文責は管理人にあります。
続いて、ホストFCプレゼンテーション「沖縄フィルムオフィスと沖縄の撮影環境」の模様を、お伝えします。
上間氏:今帰仁撮影支援隊は、個人的ボランティアで、「TAKESHIS」を今帰仁でロケ支援したのが、きっかけだった。
ロケの通行止めとシーミー(清明祭)が重なり、地元民から苦情がきたこともあった。エキストラが沖縄タイムで、なかなか集まらなかったりもした。名護の大学にエキストラ動員をお願いし、大量に確保することができたこともあった。
ロケに使われたビーチは、地元民の夕涼みの場でもあるので、ロケが増えると迷惑になる。将来は観光協会を設置して、その中で活動したい。
金城氏:「涙そうそう」へ沖縄市観光協会が支援した。それ以前の映画では「はるかなる甲子園」へ支援したことがあった。最近では「チェケラッチョ」にも支援した。
「涙そうそう」では、撮影隊が宿泊したので、市への直接経済効果は5000万円にのぼった。50名ほどのロケ地ツアーも実施した。
「チェケラッチョ」では、市外のロケが多く、エキストラの対応がむずかしかった。将来はフィルム・コミッションを独立させて、音楽によるまちづくりともリンクさせたい。
西銘氏:石垣島FCで、「パッチギ2」や「恋しくて」といった大作のロケを行った。FCは、2004年6月に市観光課内に設立された。まだ、HPもなく、PRは足りないが、沖縄FFからの照会よりも、直接連絡のほうが多い。
「恋しくて」は、昨年7~8月の一ヶ月ほどロケをしたが、ラストのエキストラは3000人だった。雨が多かったので、市長の出番の撮影が遅れた。石垣市内でロケしたが、ロケ地の問い合わせも多い(那覇の桜坂劇場で、大ヒット上映中!!)。
「パッチギ2」は、ヤップ島のシーンを石垣島で撮影した。新空港予定地のカラ岳山ろくでロケしたが、さんま出演のテレビドラマ「サトウキビ畑の唄」も、そのあたりでロケした。地域のキーパーソンと連携した県全体としてのFCの活動が必要となろう。
フォトオフィス大田代表:県内で、ロケ・コーディネート会社が20社ほどある。FCができて、やりにくくなったところもある。FCのネット情報が増えて、立会いなしの撮影が多くなった。
それによって、撮影禁止場所が増えてきた。県FFでも、大事なロケ地の写真を削除している。地元の方々と環境への配慮をよく考えて、ロケをされるみなさんには行動してほしい。
昨年はひとりで43件に対応した。ロケ大県だが、全体的まとなりに欠ける。外国人クルーを受け入れる会社は、自分のところがほぼ唯一で、米英・イスラエルなどの実績がある。海外からのコメントとしては、物価が高いと、よく指摘される。
以上の文責は管理人にあります。
最後に、全国FC協議会総会での記念講演&トークセッション「インターナショナル・フィルム時代のFC」の模様をお伝えします。
井関プロデューサー:ツイ・ハーク作品の「ミッシング」を与那国島で撮影し、この年末に完成の予定だ。沖縄FFに協力を依頼した。先ほど流したのは、カンヌ映画祭で上映したプロモーション・ビデオだ。
映画は安くつくると画面に現れる。そのクオリティー確保の判断がプロデューサーの仕事になる。
ツイ・ハークはアイデア豊富だが、其の分わがままで、プロデューサーがコントロールしにくい監督だ。監督は当初、言葉の点で台湾のダイバーを連れてきたが、技量面で沖縄のダイバーを使うことになり、台湾の撮影にも同行した。
中国では、来年の旧正月に上映の予定だが、不条理なホラー映画は検閲を通らないので、内容はかなり変わるかもしれない。
祷プロ:かつての地方ロケで役に立ったのは地元名士だったが、今のFCは温度差がある。高岡大仏の撮影で、ひともめしたことがあった。また、八丈島は東京都なので、潤沢なためか全く協力してくれなかった。
FCの人たちはロケが終わった後の見送りでホッとした顔をするが、映画は公開されてナンボの世界だ。「フラガール」のいわき市は一体となって対応してくれ、地元の福島県で大ヒットした。地域活性化とは、人がやってくることだと思う。
瀬川氏:一日に数百人が利用するマエダ岬のダイビング・スポットでの撮影許可を苦労してとったのに、監督からキャンセルされた。本島での撮影は一日だけで、それも午前2時までのはずが、朝までかかって、現場からはブーイングだった。
祷氏:ヤップ島や八丈島でロケハンしたが、全てを受け入れてくれた石垣島に決めた。12月27日までに撮影が終わらないと、年末年始のチケットが取れず、帰れなかった。初日が雨で撮影できなかったが、後は降らずに助かった。
井関氏:祷氏のように現場に出るプロデューサーと出ない人では全くちがう。
前沢氏:東京近辺のFCと遠方のFCとでは役割がちがうが、制作会社の温度差のほうが大きいのではないか?
以上、文責は管理人にあります。
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2007年10月30日
仙台映画週間FCセミナー報告
今日は、07年9月21日に開催された、第4回せんだい宮城フィルムコミッションセミナーに参加した報告をアップします。
FCからは、昨年に東京で開かれたロケ地フェアに、若松監督(宮城県涌谷町出身)が参加され、来年に公開予定の連合赤軍を描いた映画の大崎市でのロケが決まったことの紹介や、「アヒルと鴨のコインロッカー」の撮影では、ラッシュを避けて、午前5時からエキストラを交えての仙台駅ロケが行われたエピソードや、エキストラボランティア制度は2003年9月にNHK朝ドラ「天花」の放送を前にスタートし、その効果もあって、あっという間に900人の登録があり、今は1500人にのぼることも紹介された。
また、実際に「天花」のエキストラを経験された方から、七夕のシーンが10月の撮影だったので、夏服で参加し、一こまを撮るのに、たいへんな労力をかけていることを実感し、県庁前で夜に不良にからまれるシーンにも参加したことが紹介された。
細倉鉱山からは、1987年に閉山したが、過疎の老人の町が元気になってほしいという願いから「東京タワー」のロケ地を引き受け、まず「フラガール」のスタッフがロケハンに来て、そこから「東京タワー」のスタッフに情報が伝わり、監督たちがロケハンに来たそうで、工事関係とエキストラは地元でと要請したそうだ。鉱山の住宅には、ガラス戸やふすま、障子など、昭和30年代の風景が残っているし、周囲に高層ビルなどが写りこむこともないので、セットでは表現できない奥行きと広がりが得られたと制作側からのコメントがあった。100人ほどの若いスタッフと地元の交流があったが、ロケ地の保存は法律のしばりなどから、お金と時間がかかり、とりあえず来年3月まで保存することになっている。
東北学院大からは、「アヒル・・・」のロケに、大学の広報活動の一環として協力し、大学生の物語なので、問題なくロケが実現したとのことで、プロの手によってきれいに撮れており、大学に対するイメージが向上したし、学生のエキストラも喜んで協力した。ただ、撮影時間が長引くと、大学という性格上、深夜までは撮影できない事情もあり、また禁煙スペースの問題などが課題となったし、ロケ地見学にも多少の制約があることが紹介された。
ロケバスを提供した国際観光からは、1ヶ月間のロケバスの提供は初めての経験で、ドライバーは、延べ200人近くになり、約200箇所を回ったので、コマーシャル効果はあり、始めてみると、楽しいことも多かったことなどが紹介された。
なお、以上の文責は管理人にあります。
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2007年10月31日
韓国インディペンデント映画2007パネルディスカッション報告
8月25日に渋谷で開催されたパネルディスカッションの模様をお伝えします。
トニー・レインズ:06年は2大ヒット作(「王の男」&「怪物」)があり、韓国映画には、良い年となった。しかし、07年は危機となり、韓流がアジアで終焉を迎えつつあり、韓国国内でも映画へのサポートが弱体化している。
ただ、個々にはうまくいっているものもあるので、ノーマルな状態に戻ったというべきか。制作費や人員の削減、クウォーター制度が観客減につながっている。もし、大ヒットが生まれれば楽天的になるかもしれず、その候補として、キム・ジウン監督、ソン・ガンホ主演の「ウエスタン」があげられる。
このような商業映画の動向が、インディーズには、どのように影響しているのか?
ファン・チョルミン監督:直接的な影響はないといえる。独立映画は、映画市場との関わりはないので。だが、商業映画も活発であってほしい。単純なものではなく、構造的危機といえるが、今の対応は、その場しのぎで、観客は魚のようなものにたとえられ、これまでの韓国映画は、うまく網をはってきたが、それがずれてきたようだ。
日本は観客の望みより少し高いところに制作の意図があり、それが少し低いところに網をおろすようになった。韓国の20~30代が日本映画に関心を持ち始め、より高いレベルに移ってきている。
キム・サムリョク監督:監督は今回の作品が始めてだが、インディーの世界に入って10年になる。90年代の韓国映画は100万人が入れば、大ヒットだった。もともとパイが小さい。パイが小さくなると、インディー映画にも何らかの影響があると思われる。大手映画会社のサイダスも、制作費を50億から40億ウォンに削減した。
キム・ミョンジュン監督:商業映画の撮影スタッフからスタートした。5・6年働いたが、当時は芸術性も追及した。また戻ろうとしても無理な厳しい現状だ。今の監督は興行能力が要求されている。そうなると、どこに重点を置くかが変わってくる。
「ウリハッキョ」の成功のひとつは特別な興行戦略にある。自主上映の成果を劇場主にみせた。商業映画のプロデューサーも、この公開方法に関心を寄せている。資本の論理で進めてきた商業映画が突破口を模索している。
ファン監督:前作「スパイするカメラ」の製作に5年かかった。制作費支援の工面で時間がかかったので、その反省もあって今回はシナリオも用意せずに1ヶ月で撮影した。
ヨーロッパで映画を学び、韓国で活動して10年になるが、インディーでも売れなければ投資は集まらない。でも、これからも、インディーを続けたい。
サムリョク監督ー資本から独立しているのがインディーだが映画は資本の産物だ。この作品は百人以上が出演して10年がかりになった。ディテールには多くの人材と技術が必要で、インディーをつくるのは楽しいがディテールは省略せざるをえない。2億ウォンの制作費をペイするには6000人の観客が必要だ。今回の映画への自分の経験度は95%だ。
キム・ミョンジュン監督ー商業映画には戻りたい。インディーとはまたちがったおもしろさがあるので。
インディーの制作を通じた在日コリアンの方々との出会いで、人生が180度変わった。今後は、日本・韓国・北朝鮮と在日の交流を深めるようなテーマで作品をつくり続けたい。商業映画になるかインディーになるかは不明だが。
「ウリハッキョ」の韓国での自主上映は、日本での方法とあまり変わらない。数年前に「送還」が劇場公開の後に韓国各地で自主上映が続けられた。その経験に基づいたが、今の韓国のシネコンで、インディーの長期上映は困難だ。
それで、まず釜山国際映画祭での上映後に、市民団体に映画をもっていって、ネット上で高い評価をいただき、それを劇場の説得に使った。劇場側も、自主上映との同時進行を了解してくれた。
劇場で3万5千人、自主上映で4万5千人入り、うち1万人は日本での自主上映だ。
入場料の数%を朝鮮学校に寄付することとし、韓国で見た80%が学校の先生で他にNPOも影響力のある14地域で自主上映してくれた。今年の末に日本で劇場公開の予定があるために、DVD化はその後になるだろう。
以上で、パネルディスカッションのまとめを終わりますが、文責は管理人にあります。
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