山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

2007年11月の日記

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2007年11月02日

2004年みちのく国際ミステリー映画祭レポート
 2004年10月に盛岡市で開かれ、みちのく国際映画祭の参加記録です。
 金曜日の夜は、まず韓国映画「スーパースター・カムサヨン」を鑑賞。つい、この間まで韓国で上映していた秋夕映画が上映されるとは!!
 ただ、日本語字幕を間に合わせるのがたいへんだったそうです。字幕翻訳のユン・チュンガンさんに感謝!!
 さて、映画のほうは、主役のイ・ボムスが持ち味を発揮していたのですが、致命的欠陥として、テーマになっているプロ野球シーンが、あまりにもへぼい・・・。
 上映後の監督トークで明らかにされたのですが、彼は右利きで、このサウスポー投手のトレーニングに半年を費やしたのだそうですが、発足当初の韓国プロ野球が低レベルであったことは確かにしても、この野球シーンは、あんまりですね。
 終了後は、ホテルの門限まで、ユンさんはじめ関係者の方などと、楽しく韓国映画の話題を語り合えました。
 続いて、盛岡の2日目のレポートです。午前中は、オフシアターを見ました。日本人監督の短編4作でしたが、もう少しがんばらないと・・・、というレベルの作品が多かったですね。この分野でも、先月に釜山国際映画祭で見た韓国の短編と比べると、見劣りするのは確かでした。
 午後からは、盛岡名物になってきたフィルム・コミッションのイベントを聞きにいきました。韓国の名物プロデューサーであるチャ・スンジェ氏の語る日韓合作に関する話題は、たいへん興味深いものでした。
 詳しい内容は、最後に報告することにしましょう。この第1部の終わり際に移動して、韓国映画「がんばれクムスン」の上映会場へ・・・。このようなバッティングは避けてほしいものです。
 さて、韓国の個性派女優ペ・デュナの主演する、この映画は韓国公開時に例によってコケちゃったんですけど、それなりに魅力的な内容でしたが、とりわけ最後に登場する、黙々と屋台で飲み続けていたアンチャンの変身に爆笑でした。
 そして、夕方は、ホテルでのジャズナイトをスタバコーヒーを飲みながら楽しんだ後に、韓国の監督や女優の出演するトーク・ナイトへ!!小さな会場でしたが、整理券をもらって入場するも、前の方には座れず。
 最初は、新人監督へのインタビュー、アジア合作映画の話題に続いて、最後にペ・デュナ嬢が、先ほどの舞台挨拶に続いて登場!!衣装替えして、「吠え犬」のパーカー姿に会場から、どよめき。近くで見れば見るほど個性派ですね~~。
 終了後には、会場1階に降りてきた彼女から、「クムスン」のDVDの解説用紙にサインももらえて最高でした!!
 最後に、10月30日に開かれた「東北フィルムコミッション・イン盛岡」でのセミナー「韓・日合作映画の製作事情」の概要を以下に記します。
 韓国映画評論家の田代親世さんが、映画プロデューサーのチャ・スンジェ氏から話を聞き出す形で進行しました(以下では、田代・チャと敬称省略で表記します)。
 田代:サイダスは、日中(「武士」)と日韓合作映画を、いくつか制作されましたね。
 チャ:「武士」は98年に企画したが、韓国国内には時代劇のロケ地がないので、中国と合作の形で中国で撮影した。中国のスタッフとも連携する意味があると思い、美術スタッフはすべて中国側で、最初は金儲けと考えていたようだが、仕事を進めるうちに、韓国の年長スタッフを若者が敬うことに共感し、気持ちが一体化していった。
 最初から中国でクランクインしたので、監督らは半年前から滞在し、撮影そのものは4ヶ月間。監督と中国のロケハンマネージャーと車で回ったが、近くても3時間で、ウイグル方面まで回った。中国にはフィルムコミッションのような組織はなく、当時は道路整備も不十分だったので、時間がかかった。先月、またモンゴルへ行ったが、かなり道はよくなっていた。
 田代:力道山は有名だが、日本では映画化もドラマにもなっていませんが。
 チャ:この映画は日韓の歴史を受けて、日本で尊敬される人が韓国で尊敬されなかったりするが、彼だけは両国で英雄だった。
 日本の某氏も手がけ始めており、いっしょに進めることになったが、版権の問題があり、長男は否定的だったが、没後に次男に承諾を得た。某氏とはお互いにシナリオをつくって、よい方を選ぼうとし、結果的に韓国のシナリオが採用された。
 物語の背景は100%日本だが、リングのセットは韓国でつくったので、60~70%が日本ロケ。あくまでも、某氏との共同制作で、撮影と照明は韓国、それ以外の美術やメイクは日本が担当。日本のプロデューサーと監督が全国を回って、昭和の風景を探したが、「座頭市」の広島のセットを多用した。クランクインは桜のシーンをとるのが遅れて、たまたま盛岡になったが、FCにはお世話になった。
 合作映画がよいものに仕上がれば、日本で1本、韓国で1本となって、両国に経済的メリットがあるが、失敗すると、その逆になるリスクもある。「力道山」は基本的には日本映画で、ソル・ギョング以外は日本人で、98%日本語だ。韓国では、それほど知られていない彼を最初に紹介する映画となる。合作は国どうしの対抗戦になって、けんか別れしてしまうこともあるので、相手のスタッフとよい関係をきずくことが次につながる。中国チームとは空港で別れる時は、みなおお泣きして恋愛も生まれたようだ。日中韓は文化も似ているので、ボタンのかけちがえがなければ、うまくいく。
 田代:韓国のファンドについて、お聞きしたいのですが。日本では、松竹時代劇に、今回はじめて、一般からのファンドが入りました。
 チャ:韓国でも、一般から集めるのは珍しい。ネットファンドをはじめたのは、むしろマーケッティングの効果をねらったもので、ネットファンドがふえてきて、当局は不法行為と認定した。
 サイダスはメインの投資会社があり、年間4~6本の映画に投資し、パッケージ(シナリオ・監督・俳優)が決まった段階で投資する。
 ここで、退席しましたので、記録は以上です。
 以上の文責は管理人にあります。

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2007年11月13日


2007年ジャパン・ロケーション・マーケット報告その1
 東京国際映画祭期間中の10月22日に開かれたJLMセミナーの模様をお伝えしましょう。
 第1部は「FCスキルの基礎から問題解決まで」で、最初に「FCベーシックスキル」として、広島FCと前逗子市長から報告があった。
 広島FCからは、今春に公開された「夕凪の街 桜の国」の広島ロケが、ちょうどお盆の時期に重なり、お寺の協力を得て、墓参りの撮影がドキュメンタリー的に行うことができた旨の報告があった。また、長島一由氏からは、釜山の映画祭などは、都市計画とリンクしているという特徴があるとの指摘がなされ、『フィルムコミッションガイドー映画・映像によるまちづくり』が出版されたという紹介がなされた。
 次に、「FC相談室」として、各地のFCに、いろいろな質問を会場から行うという企画が行われた。福岡FCからは、年間予算は700万円(市から500万)で、恵まれているほうだとの紹介があった。
 天草FCは、観光協会から100万円の予算をいただいているが、それほどお金はかからないとのことで、サポーターズクラブ(エキストラ)が250人との紹介があった。
いわきFCの予算はいわき市と商工会で100万づつ計200万円だ。「フラガール」のエキストラは最大1500人だったが、地元のFM局で募集を流し、連絡はシネカノンから行った。
 ヘブンリーバレーはロケ斡旋と制作を業務とする会社で、コーディネーターは9名いる。CMが9割で、年間120本ほど制作する。リサーチャーは4名だ。天草でも、香港の携帯CMを撮影した。

 続いて、第2部「地域資源活用の観点からみた映画製作の作品事例」の紹介です。
 いわきFC:「フラガール」は、80万人の観客動員の予測が125万人となった。スパハワイリゾートの集客(年間155万人)も5%増えたが、リニューアルもあって、映画の直接的な効果は求めにくい。全体の直接効果は100億円で、間接効果が20億円だ。平成10年前後はフラガールを集めにくい状況だった。そこで止めていれば、映画の成功はなかっただろう。企画から3ねんがかりで完成したが、地元には炭鉱住宅しかなかった(ボタ山はCG)。
 いわき市34万人中、ほぼ1割が鑑賞した(「千と千尋」の記録を上回った)。

 映画「早咲きの花」は、原作者の宗田理氏の「ほたるの里」の映画化を受けて、話が進んだ。宗田夫人が豊橋市の出身で、夫妻も今は名古屋居住だが、近年まで豊橋市に住んでおられた。
 最初は、原作者自らが映画化に動き出され、それに周りが巻き込まれたともいえる。豊橋市の市制百周年で外へ発信したいという市民の思いもあった。
 映画に登場する手筒花火は、9月の第一土曜日に市内で行われる。「ええじゃないか」も、豊橋が発祥の地である。
 原作者の3冊の本から、シナリオを構成したが、当初は映画化を、うさんくさいとみたり、本当にできるのか?といった声もあったが、公開初日のシネコンは高齢者で埋まった。
 第二次大戦中の豊橋にあった軍需工場の空爆によって、学徒動員の若い命が数多く奪われたことが映画に描かれており、戦争の記憶を孫に伝えるべく、孫と共に映画館に来た高齢者も多く見られた。
 地元のシネコンでは、7月29日から翌年の1月5日までのロングラン上映となった。
 前年の8月下旬のロケでは、1500人を集める必要があったが、お盆を過ぎても日程が決まらずに、たいへんだった。
 豊橋市の特別予算で、全小中学生に無料招待券を配布したところ、約3分の1の1万人を動員した。
 映画化の年には、ええじゃないかを豊橋祭りで再現した。昨年の東京国際映画祭で上映され、シドニーで開かれた第10回日本映画祭では閉幕上映された。

 日本映画「HAZAN」は、陶芸家である板谷波山の生涯を題材にしたもので、2004年に公開された。
 彼に関心を持っていた五十嵐匠監督が、おそらくは彼の作品のコレクションを有する出光美術館の協力を得られなかったために、彼の出身地(茨城県石館市)の短編映画祭のリーダーに声をかけたのが契機だった。近代の陶芸作品で文化財指定を受けているのは、波山のみである。
 その友人から託されて、車で20万キロ近く走って出資をつのった。友部町長(当時)に、友部学と映画ロケのリンクを提案し、個人事務所を借りて、サポート体制をつくった。9900万円の出資が集まり、2万8千枚の前売りの5400万円と合わせ、制作費に充てた。
 2004年の東京国際映画祭で上映され、ブルガリアIFFでグランプリを得た。映画館では5万人を動員し、NHK-BSと衛星劇場で放送し、DVDの初版は完売した。著作権の事務所が所有しており、出資金はほぼ返済できた。
 彼は名誉県民の第1号であり、没後40周年を記念して、県の補助金1000万円も活用できた。映画制作の大変さを住民が知るきっかけになった。
 以上で、セミナーの要旨を終えますが、文責は管理人にあります。


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