昨日より、我が農園に 新しくお仕事をしたいという女性の方がお見えです。
それも、仙台方面から、当地区渋民に 引っ越しをという移住者の方です。もちろん、初めての農作業なのですが
皆さんと一緒に サツマイモ苗床の芋の移動などの作業をしてくれました。今日は土曜日とあって、子供さんのいる
1名はお休みですが、これで男性陣2名、女性陣3名での 当面のメンバーはそろった感じです。ここに、男性もう一
名は去年も来てくれたメンバー、そして女性ももう一名は決まっているようです。4月になると サツマイモ苗の発
送が始まりますので、それまでに、体制を整えて置きたいというところです。
さて、昨日まで だいぶ乾いてきたお庭でしたが 今日の午後からの雨で、またぬかるんでしまいました。
大昔、3月上旬といえば 人参の種まきをしていたころがありました。雪が解けて、だいぶ乾いてきたこの3月初めは、
いつもちょっとの間だけ、畑作りをするにはとてもちょうどよい水分状態で、6月末の人参出荷にちょうどよく合わ
せられる作型で、多い時期には60aほどを作付けしていた時期がありました。もちろん、トンネル被覆での栽培です
ので 気温を見ながら 何段階にもトンネルに穴をあけ、段々慣らして行き、桜が咲くころにはトンネル除去・・・
そんなころには 人参の洗浄機や重量選別機を入れたり、…なんてもありました。
今では 想像もつかないのですが、そのころのお米の値段も もちろん水田の作業受託なども 結構大きな収入と
なっていた時期の事です。渋民地区の基盤整備が始まり、事業の担い手となったneko父ちゃん、コンバインの導入も
その時からです。そしてそのころ、基盤整備前の我が家の水田にて 『大地くんを使っての循環農業、エサ米』の試
験栽培にも・・neko父ちゃんにもあった、いろんな意味の新人時代、改めて、思い起こしてみるのも いい話題にも
なりそうです。
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