浪漫ー古(いにしえ)の彼方へ

歴史・哲学・自然現象を幅広く紹介しています。

佐久間象山、「和魂洋才」の精神と日本の近代化

2025-02-18 19:48:21 | 日記

朱子学と陽明学に通じた佐久間象山

佐久間象山

(=1811~1864年)

は、

松代藩

(=現長野県)

藩士で、

昌平坂学問所の

学頭であり、

当時の大儒学者、

佐藤一斎

(さとう

いっさい)

に、師事した。

 

象山は

朱子学を学ぶ

傍ら、

同門の

陽明学者で

後に

備中松山藩

(=現岡山県)

の財政を立て直し、

西洋式軍備を整え、

老中となった藩主、

「板倉勝静」

(=いたくら

かつきよ)

を補佐して

維新期の幕政を

サポートした

「山田方谷」

(=やまだ

  ほうこく)

と交流する。

 

方谷と象山は

激しく、互いを

批判しつつも

互いを認め合い、

理論と実践に

ついて

語り合った。

 

私塾「象山書院」と「五月塾」

 

その後、

昌平坂学問所を

辞した象山は、

江戸に出て、

私塾「象山書院」

を開くも

藩命により

アヘン戦争を

調査する際、

洋学の研究に

着手する。

 

象山の

学習スピードは

尋常ではなく、

10年を経ずに

大砲鋳造、

ガラス、

地震予知機

などの

製造に成功し、

種痘の実施まで

試みている。

 

更に、

新たに開いた

私塾「五月塾」

では、

洋学も教え、

勝海舟、

坂本龍馬、

吉田松陰らが

入門し、

盛況を博した。

 

象山の名声は

日に日に

大きくなり、

ついには

一橋慶喜の

顧問として、

時務の建策に

携わった。

 

しかし、

洋学を説く

象山を

「外国かぶれ」

だと誤認した

河上彦斎

(=かわかみ

げんさい)

によって

惨殺され、

その生涯を

終えた。

 

東洋道徳、西洋芸術

 

象山が残した

「理系の学問を格物

(=物事の「理」を

分析すること)で

処理するのは

簡単なことだ。

 

むしろ

掴み所のない

人情や俗世間に

対処する事の方が

難しいのだ」

という

原題の言葉

(=以下に示す)

「東洋道徳」に

対する責任感と

同時に、

いかにも

自意識過剰で

鼻持ちならない

朱子学者らしさを

感じさせる。

 

[原題の言葉]

 

格物の天地造化に

おけるは却って易く

人情世故におけるは

却って難し

 

朱子学の方法論と行動

象山の異様なまでの

学習速度は、

朱子学の方法論

「格物致知」

(=かくぶつちち)

によるものである。

 

*格物致知とは、

物事の本質まで

突き詰め(=格)、

知識を深める(=致)

事を意味する。

 

朱子学では

あらゆる事物には

「理」(法則)が

存在しており、

世の中は

そうした理が

組み上がることで

成立している

と考える。

 

したがって、

様々な事物について

「理」を丹念に分析

していく事が必要だ

と考え、

その基礎として

徹底的に

文字の機能を

たたき込まれ、

精密に読書する

訓練が施される。

 

読書力が

物事の最密な

分析力として

働くように

なると、

あらゆる

作業工程や

業務内容の

意味を

即座に理解し、

それを

応用できる

というわけで

ある。

 

象山は、

朱子学を基盤に

しながらも、

西洋の

学問や技術を

積極的に

取り入れ、

日本の近代化に

大きく貢献した

人物である。

 

また、

象山は

日本が西洋文明を

摂取する上で

「文化的植民地」

となる危機を

いち早く認識し、

それを回避する

ために尽力した

人物でもある。

 

それ故

象山の功績を

「和魂洋才」

(=わこん

ようさい)

の精神の体現者

として捉える

のである。

 

*和魂洋才とは

日本固有の精神を

失わずに

西洋からの優れた

学問・知識を

摂取し、

活用すべきである

という考え。

 

彼の思想と行動は、

現代の私たちに

とっても

示唆に富むもので

あり、

国際社会において

日本が

独自の存在感を

示すためには、

単に

外国のものを

模倣するのでは

なく、

自国の

文化や伝統を

深く理解し、

それを

基本にして

新たな価値を

生み出す必要が

あることを

教えてくれる

のである。

 

例えば、

現代の日本の

自動車産業は、

西洋の

自動車技術を

導入しながらも、

日本の独自の

技術や文化を

反映させることで、

世界的に競争力の

ある産業となった。

 

また、

日本の

ポップ

カルチャーは、

アメリカの

音楽や映画

などの影響を

受けながらも、

日本独自の

文化や価値観を

表現することで、

世界中の人々を

魅了する

コンテンツ

となった。

 

総合

佐久間象山の

「和魂洋才」

の精神は、

現代の日本に

おいても

重要な指針と

なる。

 

私たちは、

グローバル化が

進む世界に

おいて、

自国の

文化や伝統を

大切にしながら、

外国の

優れたものを

積極的に

取り入れ、

新たな価値を

生み出して

いく必要が

ある。

 

 

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哲学シリーズ、人間の正体④、価値評価法(貴族的・僧侶的)の比較

2025-02-11 19:44:35 | 日記

はじめに

このシリーズは、

哲学を分かりや

すく、紐解く事

のみに集中して

いく所存である。

 

それ故、哲学用語

は、解説も含めて、

数多く用いるが、

哲学者の名前には、

出来るだけ触れず

に、進めていくの

で、読者には、予

め、ご了承願いた

いと存ずる。

 

貴族的価値評価法

貴族的価値評価法

とは、

自分の力が

自発的に

発揮された時に

感じる

「自己肯定感」

に、基づいて

価値を判断する

方法である。

 

自分の

行動や能力

によって

得られる

満足感や

高揚感が、

「良い」

と、される

価値の基準

となる。

 

具体例を

以下に示す。

 

スポーツ

 

サッカー選手が

試合で素晴らしい

プレーをした時、

「今日の俺の

動きは

只者じゃないぞ。

 

ひょっとして

オレって天才か?」

 

と感じる。

 

音楽

 

作曲家が曲を作って

いる際、

素晴らしいメロディ

が、次々と浮かび、

「今日は溢れる

ように

メロディが

出てくるぞ」

 

と感じる。

 

仕事

 

営業職の人が、

難しい顧客

との交渉を

成功させた時、

「この案件を

まとめられた

のは、

まさに、

私の実力だ」

 

と感じる。

 

日常生活

 

料理を作った

人が、

その出来栄えに

満足し、

「今日の料理は

最高だ!」

 

と感じる。

 

これらの例では、

自分の行動や

能力によって

何かを

成し遂げた事に

対する

満足感や

達成感が、

「良い」

という

価値判断の

基準と

なっている。

 

ここで、

貴族的価値評価法

の特徴を以下に

示す。

 

自己中心的

 

自分の

感情や感覚が

価値判断の

基準と

なるため、

主観的で

自己中心的な

傾向がある。

 

肯定的な感情

 

自分の能力を

発揮できた事に

よる

肯定的な感情

(喜び、高揚感、

達成感など)

が、重視される。

 

能動性

 

自分の意志で

行動し、力を

発揮することが

重要で価値が

ある。

 

僧侶的価値評価法

僧侶的価値評価法

とは、

(=あるいは

普遍的な

道徳や倫理)

の視点から価値を

判断する方法で

ある。

 

神の教えや戒律に

かなっているか

どうかが、

「善」

とされる

価値の基準と

なる。

 

具体例を

以下に示す。

 

宗教

 

宗教家が、

神の教えに

従って

正しい行いを

しようと努める。

 

道徳

 

人が、

社会の

ルールや

倫理観に

従って

行動する。

 

ボランティア

 

ボランティア

活動をする人が、

困っている人を

助けることは

正しいことだと

信じて行動する。

 

日常生活

 

親が、

子どもに対して

正直で思いやりの

ある人になるように

教える。

 

これらの例では、

神の教えや

社会の規範に

かなっているか

どうかが、

「善」

という

価値判断の基準

となっている。

 

僧侶的価値評価法

の特徴を以下に

示す。

 

利他的

 

自分の感情や

欲求よりも、

神や他者の

ために

行動する事が

重視される。

 

客観性

 

神や普遍的な

道徳という

客観的な基準に

基づいて

価値判断が

行われる。

 

受動性

 

神の意志や

社会の規範に

従うことが

重要で価値が

ある。

 

二つの価値評価法の対比

<貴族的価値評価法 >

 

価値の基準

 

自分の能力の

発揮による

肯定的な感情。

 

行動の動機

 

自己満足、

自己肯定感の

追求。

 

特徴

 

自己中心的、

能動的。

 

< 僧侶的価値評価法>

 

価値の基準

 

(=または

普遍的な道徳)

 

行動の動機

 

神の意志、

他者への奉仕。

 

特徴

 

利他的、

客観的、

受動的。

 

総合

ある哲学者は、

貴族的価値評価法

を、肯定的に捉え、

僧侶的価値評価法

を、批判的に捉えた。

 

一方で、

現代社会では、

個人の自由や

自己実現が

重視されるが、

社会的な責任や

倫理観も求めら

れており、

二つの

価値評価法の

バランスを

取ることが

重要と言える。

 

これらの価値観を

理解することで、

自分自身の行動や

価値観を深く

理解する一助

となるかも

しれない。

 

 

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哲学シリーズ、人間の正体③・人間は社会的動物である

2025-02-05 22:02:05 | 日記

はじめに

このシリーズは、

哲学を分かりや

すく、紐解く事

のみに集中して

いく所存である。

 

それ故、哲学用語

は、解説も含めて、

数多く用いるが、

哲学者の名前には、

出来るだけ触れず

に、進めていくの

で、読者には、予

め、ご了承願いた

いと存ずる。

 

社会的動物とは?

「人間は

社会的動物

である」

という言葉は、

古代ギリシャに

おいて

著書「ポリティカ」

の中で、

述べられている

言葉として有名

である。

 

この言葉は、

人間が

社会的な

環境の中で

生き、

他者との

関係性の中で

自己を

形成していく

存在であること

を意味する。

 

具体的な例を示す。

 

➀言葉の習得

 

赤ちゃんは

生まれたときから

言葉を話せるわけ

ではない。

 

周りの大人の

言葉を聞き、

真似ることで

徐々に言葉を

覚えていく。

 

これは、

人間が社会的な

環境の中で

言語を習得して

いくことを

示している。

 

➁文化の継承

 

私たちは、

親や教師から

様々な

文化や習慣を

教わる。

 

お正月には

おせち料理を

食べる、

お盆には

お墓参りに行く

といった習慣は

世代を超えて

受け継がれて

いく。

 

これも、

人間が社会の

中で

文化を継承して

いく存在である

ことを示して

いる。

 

③役割の分担

 

現代社会では、

人々は様々な

仕事に就き

それぞれの

役割を担って

いる。

 

会社員は

会社で働き、

医者は

病院で患者を

治療する。

 

このように、

人間は

社会の中で

役割を分担し、

互いに

支え合って

生きている。

 

④感情の共有

 

嬉しい時や

悲しい時、

私たちは

誰かと

その気持ちを

共有したいと

思う。

 

友達と喜びを

分かち合ったり、

家族に悲しみを

打ち明けたり

することで、

私たちは

心の安定を

保つ。

 

これも、

人間が感情を

共有する

社会的な存在

であることを

示している。

 

人間が「社会的動物である」その理由

では、

何故、人間は

社会的なのか?

 

ある哲学者は

人間が

「ロゴス(理性)」を

持つ動物である、

と指摘した。

 

人間は、

理性を使って

考え、

言葉を使って

コミュニ

ケーションを

取ることが

できる。

 

加えて、

言葉を通じて

他者と協力し、

共同生活を

営むことで、

より豊かな

生活を送る

ことができる。

 

また、

人間は1人では

生きていけない

存在でもある。

 

食料を調達する

にも、

住む場所を確保

するにも、

他者の助けが

必要である。

 

人間は、

お互いに

支え合い、

協力し合う

ことで、

より安全で

快適な生活を

送ることが

できるので

ある。

 

そんな中、

現代社会は、

高度に分業化

され、

複雑な

社会システムに

よって

成り立っている。

 

このような

社会において、

人間はますます

他者との

つながりを深め、

協力し合って

生きていく

必要がある。

 

一方で、

現代社会は

個人主義化が

進み、

人間関係が希薄に

なっていると

いう課題も

抱えている。

 

SNSの普及に

より、

オンラインでの

コミュニ

ケーションは

活発になったが、

直接

顔を合わせての

コミュニ

ケーションが

減っているという

指摘がある。

 

このような

状況を踏まえ、

私たちは改めて

「人間は

社会的動物

である」

ということを

認識し、

他者との

つながりを

大切にする事が

求められている。

 

総合

「人間は

社会的動物

である」

という言葉は、

人間が

社会的な

環境の中で

生き、

他者との

関係性の中で

自己を

形成していく

存在である事を

意味している。

 

言葉の習得、

文化の継承、

役割の分担、

感情の共有など、

私たちの生活の

あらゆる側面に、

このことが

現れている。

 

現代社会に

おいては、

人間関係が

希薄になって

いる

という課題も

あるが、

私たちは改めて

「人間は

社会的動物

である」

ということを

認識し、

他者との

つながりを

大切にする事が

求められる。

 

 

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柿本人麻呂・歌の神

2025-01-13 23:50:00 | 日記

概要

万葉集で知られる

歌聖=柿本人麻呂

の終焉の地との説

がある、

島根県益田市で、

2023年、8月に

没後1300年祭が

開かれた。

 

人麻呂とは、

現代でも

色褪せない秀歌を

数多く残した人物

である。

 

全国各地で

「歌の神」

として

様々な像が

作られて祭られ、

今も尚、

和歌から

学問の上達、

防火、

安産の神

として

幅広く信仰を

集めている。

 

奈良県や島根県に残る伝承

<東の 

 野にかぎろひの 

 立つ見えて 

 かへり見すれば

 月かたぶきぬ>

 (万葉集)

 

これは、

奈良県宇陀市の

阿騎野(あきの)

で、読んだ

代表作で、

暁の壮麗な

光景が

目に浮かぶ。

 

これに因んで

同市の

「阿騎野・

 人麻呂公園」

には、

人麻呂の石像も

立っている。

 

万葉集で、

人麻呂作と

される作品は、

長歌・短歌、

計90首

近くに上る。

 

専門家は、

「人麻呂以降の

 和歌は全て

 人麻呂の歌の

 真似と言える

 ほど、

 その影響は

 大きい」

と指摘する。

 

その上で、

 

「飛鳥・藤原の

 都で

 死者哀悼、

 

 吉野で

 風土賛美、

 

 石見(いわみ)

 =現在の島根

  県西部で

 恋愛の歌

 を確立した」

と語る。

 

<夏草の

 思ひしなえて 

 偲(しの)ふらむ

 妹(いも)が

 門(かど)見む 

  なびけこの山>

(万葉集)

 

人麻呂が

役人として

赴任した

石見(いわみ)

から帰郷

する際、

愛した女性

との別れを

惜しんで、

この歌を

詠んだ

ともされる。

 

「石見相聞歌」

と呼ばれる

歌群の一首目の

最終章で、

女性の家の門口を

見たいために、

動かない山に対し

「なびけ」

と絶唱した

ようである。

 

そんな人麻呂

だが、

彼の生涯は

謎に包まれて

いる。

 

生誕地は、

奈良県とも

島根県とも

言われ、

死没地も

不明である。

 

歌の時期から

持統天皇の

時代に活躍

したと

考えられるが、

詳細は不明で

ほぼ、

歌でしか

知り得ない

存在である。

 

ただ、

奈良県や

島根県などに

様々な伝承が

残っている。

 

奈良県葛城市

柿本では

人麻呂が

住んだとも

生まれたとも

伝わり、

人麻呂を祭る

柿本神社が

鎮座している。

 

社伝によると、

石見(いわみ)

で、逝去した

人麻呂を改葬し、

神社を建てた

という。

 

同神社では、

かつて木彫像を

囲んで歌会が

行われた

ようである。

 

さらに、

命日とされる

4月18日には、

今も、住民らが

人麻呂を忍び

五穀豊穣を願う

行事を続けて

いる。

 

「今なお、

 人麻呂の

 偉大さを

 感じる。

 

 やはり、

 歌に心を

 揺さぶる

 ものがある

 のでしょう。」

 

そう話すのは、

同神社を守護する

神宮寺として

創建された

影現寺

(=ようげんじ)

の住職だ。

 

また、

奈良県天理市

櫟本町

(=いちのもと

 ちょう)

には、

柿本氏の氏寺、

柿本寺

(=しほんじ)

があり、

寺跡には

人麻呂の遺骨

を葬ったという

「歌塚

(=うたづか)」

も残っている。

 

人麻呂=「ひとまるさん」

一方、

人麻呂の時代に

国の中心だった

奈良から遠く

離れた

島根県益田市。

 

ここには

戸田柿本神社

があり、

生誕地とも

そして、

死没地とも

両方の見解が

伝わっている。

 

終焉の地と

言われる所以は、

万葉葉に

「石見国にいて

 死期が迫った

 時に、

 自ら悲しみ

 作った」

との記載と、

次の歌が

残されている

ためである。

 

<鴨山の

 岩根しまける

 我をかも

 知らにと妹が

 待ちつつある

 らむ>

 

岩を枕に

横たわり、

女性に思いを

寄せる歌だが、

「鴨山」の

場所が定か

ではなく、

同県内でも

諸説ある。

 

そのうちの

一つが、

かつて益田市の

高津柿本神社の

沖にあった

鴨島(鴨山)

である。

 

同神社は、

全国に

約400社ある

人麻呂を祭る

神社の本社

という聖地で、

社伝によると

鴨島に小社が

建てられたが、

平安時代後期の

地震で島は沈み、

ご神体は

同市の高津松崎に

漂着したようだ。

 

その際、

社が建てられ、

江戸時代には、

一帯を治める

津和野藩主が

現在地に移した

と言われている。

 

宮司は、

「人麻呂は、

 様々なご神徳

 があり、

 多くの人に

 親しまれて

 きた」

と強調する。

 

具体的には、

石見に和紙の

技術を伝えた、

とされること

から、

産業振興。

 

さらに

人麻呂に

「火止まる」

をかけて、

防火。

 

加えて

「人産まれる」

で、安産。

 

などである。

 

それ故、

益田市の

人々は、

敬愛を込めて

人麻呂を

「ひとまる

 さん」

と呼んでいる。

 

そんな中、

一昨年の

8月26、27日に

市民らが

「没後1300年祭」

を開いた。

 

長年

親しまれて

きた

「ひとまる

 さん」

像を、再発見

するため、

人麻呂の

「石見相聞歌」

を元にした

音楽の演奏・

合唱、

記念講演会、

朗読劇

などを

開催した。

 

「約1300年前の

 活躍を思い起こ

 して、次の時代

 に、是が非でも

 伝えたかった。

 

 地域の発展にも

 繋がったのでは

 ないだろうか。」

と、宮司は話す。

 

<データと資料>

 

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人類と食の進化

2024-12-02 23:18:35 | 日記

概要

料理は、かなり前に

人類が誕生させた

革新的な技術である。

 

また、

料理は人類の生命と

発展に大きく関わり、

その結果、

火と共存する現代人に

必要不可欠な存在とも

なった。

 

転換

長い人類の歴史の

中で、

植物食から動物食

への移行が最初の

「食の革命」

と言われている。

 

そもそも、

ホモ・サピエンス

=(ラテン語で賢い

 人間)

の祖先である最初の

人類は

「猿人」

と呼ばれ、

森の果物や木の実が

主食であった。

 

ところが、

気候や大陸変動で

森が壊され、

余儀なく、草原で

暮らすことを強い

られた。

 

これは、必然的に

今までとは別の物を

食する環境へ移行

させられたことを

意味する。

 

そこで、

目をつけたのが

「動物の肉」

であった。

 

猿人は、次第に

共存している肉食獣

が、食べ残した死骸

を探して、石器で

その死骸の肉を剥が

して、食べるように

なる。

 

その影響から、

約180万年前に

脳が

「猿人」

の約2倍に大型化し、

原人である

「ホモ・エレクトス」

=(直立するヒト)

が誕生した。

 

専門家のA氏による

と、

肉は植物と違って

弾力性があるため、

何度も強く噛まなく

ても食べられる。

 

肉食への転換で

頭の側面にある頭部

を強く締め付ける

顎を動かす筋肉が

縮小し、脳が拡大

する機会に恵まれ

たのである。

 

また、

肉は植物より

栄養価が高い上、

消化しやすい。

 

それ故、

腸の長さが短く

なり、消化に

費やすパワー

を縮小して、

残したパワーを

脳に回す事となる。

 

これらの効果が

相乗して人類の

脳が大型化する。

 

大型化すれば、

自ずと知性が発達

するため、

人類は

「人間らしさ」

の追求に向けて

進化する大きな

一歩を踏み出す

事となる。

 

そんな中、

もう一つの

「食の革命」

が起こるので

ある。

 

それは、

「料理の発明」

であった。

 

歴史を振り返ると

79万年前の

イスラエルの遺跡

で、火を使用した

最古の調理の痕跡

が残っている。

 

では、

この時代の人類は

「肉を焼いて

 食べる」

という発想を

どのようにして

思いついたので

あろうか?

 

もしかすると

山火事で焼け

死んだ動物の

肉を偶然に

食した事が

原因かも

しれない。

 

A氏は

「50万年前以降の

 遺跡からは、

 多くの

   [炉の遺跡]

   が発見されて

 おり、

 人類は、約10万

 年前までには、

 火を制御して料理

 をする技術を確立

 していた」

と考えている。

 

言うまでもなく、

肉は生で食する

よりも加熱して

食した方が

合理的である。

 

その理由だが、

1つ目は

栄養学と解剖学に

ヒントがある。

 

聞き慣れた語句

だが、説明すると、

タンパク質が消化

しやすいように

変性するので確実

に栄養が摂取出来る、

という事である。

 

理由の2つ目だが、

加熱した肉は、

生肉と比べて

短時間で消化吸収

できるので、体の

負担が少ないので

ある。

 

このため、

肉食獣のように

食後に長時間休む

事なく、

即座に行動でき、

移動や狩りに充て

る時間が増える

など、

生存上の利点が

ある。

 

更に、

加熱料理は、

食材を柔らかく

して、

食べ物の幅を広げ、

食中毒のリスク

を減らした。

 

とは言え、

動物と同様に

火を恐れた人類が

この時代にも存在

したのではない

だろうか?

 

勿論、

存在したであろう

が、結果として、

恐れずに加熱料理

をした人類が生存

競争に打ち勝ち、

子孫を残せたため、

加熱料理をする

DNAが広がり、

人類の進化に

繋がったと言える。

 

初期の頃、

人類は男性が狩り

をして、女性は

子育てをする

という役割分担が

あった、

と考えられている。

 

その理由だが、

女性が乳幼児を

抱えて、

狩りに出れば、

子ども共々危険に

さらされ、生存率

が下がるからで

ある。

 

加えて、

人類が料理を開発

した事で

女性は洞窟などで

火を守る役目を

担った可能性が

高い。

 

言うまでもなく、

炉を囲む暮しは、

家族の絆を強く

したに違いない。

 

土器

もしかすると

現在認識されて

いるよりも、

さらに早い

時代に料理は

誕生していた

のかもしれない。

 

このように仮設を

立てた人物がいる。

 

それは、

米ハーバード大の

人類学者で

彼は、

180万年前に始ま

ったとする

「料理仮説」

を提唱した。

 

その仮設だが、

脳が大型化する

「ホモ・エレクトス」

=(直立するヒト)

への進化は、

生肉では説明でき

ないほど劇的で、

料理した肉により

達成された

とする主張である。

 

ところが、

火を使った痕跡は、

100万年前の

南アフリカ

の洞窟遺跡が最古で

料理に火を使用したか

どうかは不明である。

 

それ以前の明確な火の

使用痕跡が不明である

ため、

彼の「料理仮説」は、

考古学的には疑問が

残るのである。

 

一方で、

火の使用ではなく、

温泉など自然の

摂理で

肉などを煮たのが

加熱料理の発端

ではないか?

という

斬新な新仮設を

米マサチューセッツ

工科大などが最近

提唱した。

 

その内容だが、

アフリカ東部の

大地溝帯にある

170万年前の人類

遺跡の周辺で、

当時の地層から

温泉に宿る特殊な

微生物の痕跡の

発見が根拠、

という事である。

 

ただ、煮炊きした

証拠は見つからず、

加熱料理の起源を

巡る議論は

今後も続きそうで

ある。

 

そんな中、

30万~20万年前に

誕生した

ホモ・サピエンス

=(ラテン語で賢い

 人間)

は、火の使用を進化

させる技術を生み出

した。

 

では、その技術とは

何であろうか?

 

答えは、

土器の発明

である。

 

土器により

「焼く」

以外に

「煮炊き」

という本格的な

料理が出来る

ように進化した。

 

その土器だが、

最初に生産された

のは、

人類の誕生を促す

アフリカ

文明発祥地の

西アジア

ではなく、

意外にも

東アジア

であった。

 

土器の歴史だが、

中国南部の

2万年前の土器が

世界最古で、

青森県で出土した

1万6千年前の

縄文土器が

次いで古い。

 

そもそも、

土器がどのような

料理に使用された

のかは長い間、

謎であったが、

内側に付着した

「焦げ」

などに含まれる

有機物を分析する

手法が開発され、

科学的な解明が

進んでいる。

 

例として、

最初の縄文土器は

「ドングリの灰汁

 を抜くための

 煮炊き用に

 使用した」

推定されていたが

英ヨーク大などの

分析の結果、

主として

「海の魚を煮る

 ために使用した」

ことが判明した。

 

加えて、

朝鮮半島の最古

の土器も同様の

傾向がみられた。

 

そんな中、

奈良文化財研究所

のB氏は

「海産物を利用

 する頻度が

 増えたとき、

 それを加工する

 道具が必要と

 なり、土器が

 誕生したの

 ではないか」

と推定した。

 

一方で、

パンを焼く文化が

ある西アジアでは、

煮炊きをする意識

が小さかった、

と考えられる。

 

それ故、

この地域では

土器は9000年前に

ようやく現れた

のである。

 

そんな土器だが、

加熱料理とのコラボ

で、

栄養価の高いもの、

体に悪影響を及ぼす

類いのもの

を生かすことが可能

である。

 

例えば、

家畜の乳は生で飲む

と、お腹を壊すが、

土器を使って加熱

または発酵させると、

チーズやバターを

生産できるので

問題なく食せる。

 

B氏は

「食せない栄養豊富

 な資源が土器に

 よって食せるよう

 になったことは

 大きな革新であ

 った」

と指摘する。

 

加熱

食は、700万年前の

人類誕生にも深く

関わっている。

 

先ずは、

人類が直立二足歩行

を始めた理由だが、

男性が女性に

食べ物を運ぶ事が

目的であった

との仮説が有力視

されている。

 

と言うのも、

二足歩行すると

手で多くの食べ物

を持ち運べるため、

女性の選択や交渉

に有利だった

と考えられる。

 

次に

農耕が1万1千年

程前に始まり、

穀物が主食に

なると

加熱料理が

決定的に重要

となった。

 

その理由だが、

小麦や稲に

含まれる栄養素

である

デンプンは、

肉と違って、

生では栄養

として摂取

できない

のである。

 

この事は

料理をしなければ

生存できない時代

の始まりであった。

 

時が流れて

現代の食生活は

その延長線上に

あり、

我々はご飯やパン、

焼いた肉や魚など

加熱料理した食事

に大きく依存して

いる。

 

専門家のA氏は

「人類は火の力が

 無ければ、

 食事ができない

 上、

 木や石油、天然

 ガスなどを燃や

 してきた。

 

 火は、

 地球や生態系を

 考えると、

 厄介な存在だが、

 宿命的に、火を

 使用せざるを

 得ない進化の

 歴史が背景に

 ある」

と話す。

 

言うまでもなく、

料理は人類だけに

許された技術であ

り、生活や栄養面

を豊かにした半面、

環境やエネルギー

問題など、現代が

直面する地球規模

の課題と本質的に

関わりがある。

 

良くも悪くも他の

動物とは、一線を

画した社会的動物

である人類の所作

と言っても過言

ではない。

 

<データと資料>

 

深井人生哲学ゼミナール

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浪漫ー古(いにしえ)の彼方へ(歴史・哲学・人生論・自然現象を幅広く紹介しています。)

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