浪漫ー古(いにしえ)の彼方へ

歴史・哲学・自然現象を幅広く紹介しています。

哲学シリーズ、人間の正体➁(道徳法則、善意志)

2024-10-22 21:12:44 | 日記

概要

哲学シリーズ、

人間の正体➀で、

二律背反、

純粋理性批判

について、

その意味を説明

した。

 

そこから得た

不完全な理性

について、

どのように

コントロール

していくのか?

 

その方法を

紹介していく。

 

人間の気質

不完全な理性

=理性の欠陥

から、

人間には、

悪に染まる性格

がある、

と推察できる。

 

生粋の善があった

としても、

教育する側の意思

にかかわらず、

劣悪な環境で悪意の

ある教育を受けると、

悪の心に染まる危険

がある。

 

その危険には、種類

がある。

 

以下に、例を示す。

 

<危険の種類>

①親友間において、

 嘘をつく危険。

 

➁友人の失敗を

心から分かち

合えない危険。

 

③恩人に対して、

感謝の気持ちを

抱けない危険。

 

早速だが、

➀~③に関して、

以下のような

感情を抱いた

ことがないか

を、確認して

貰いたい。

 

<チェック事項>

➀は、

親友間で、1度も

嘘をついたことが

ないのか?

 

➁は、

友人に対して

失敗して当然

と思った事が

1度もないのか?

 

③は、

恩を受けた内容に

不満を抱いたこと

が1度もないのか?

 

<チェック事項>

を確認して貰った

のだが、

思い当たる節は

ないだろうか?

 

思い当たる節が

無い、

と答えた人の方が

少ない、

と思われるが、

もし、

多い、

と答えた人は、

教育をする側の

意思に関係なく、

<危険の種類

 ①~③>

のように、

教育方法で、

悪の心が芽生えた

可能性がある。

 

では、どうすれば、

悪の心を抱かずに

済むのか?

 

その答えは、

人は、善の方向へ

向かうように学習

しなければならない、

ということである。

 

その学習は、

能動的でも受動的

でも構わない。

 

要は、ある法則を

学ぶことが大切

なのである。

 

そのある法則とは、

「道徳の法則」

である。

 

道徳法則とは?

人間は、

社会の中で

生きている。

 

その社会の

中で、

道徳、

倫理、

などに従って

生活している。

 

こうした

道徳、倫理

一体、

何に基づいて

存在している

のか?

 

この疑問を

紐解く

キーワードは

人間の本質

である。

 

多くの方が

学童期に

「嘘をついては

 いけない」

「感謝の気持ち

 を忘れては

 いけない」

と、教わった

はずである。

 

これらは、

当然のことに

思えるかもしれ

ないが、

当然だと思える

のはなぜか?

と問われた場合、

即答できる人は、

少ないかもしれ

ない。

 

その理由は、

人間の本質に

触れたとしても、

それに気づかない

からである。

 

では、

人間の本質とは

何か?

 

答えは、

義務や使命

=道徳法則

のことである。

 

勿論、

この答えでは、

納得しにくい

はずなので、

例をあげて

説明する。

 

例えば、

交通量が多い

交差点で、

足の悪い高齢者

が、横断歩道を

渡ろうとしてい

たとする。

 

ここで、

高齢者に手を

貸そうとした

とする。

 

これは、

道徳的な行動

をした、

と捉えられる。

 

一方で、

高齢者に手を

貸してあげれば、

自分の事を善人

と思うかな、と

心の中で思った

のなら、

それは、

道徳的な行動

ではない、

と捉えられる。

 

では、

前者と後者で

何が違うので

あろうか?

 

それは、

条件の有無

である。

 

前者には、

「もし~なら」

という条件が

無い。

 

翻って、

後者には、

「もし、

ここで高齢者

に手を貸した

なら」

という条件が

存在している

 

条件というのは、

自分への褒美を

想定した打算

あるので、

これは、

見返りを求めた

行動、

と見なされ、

道徳的ではない

のである。

 

では、

道徳的とは何か?

 

その意味だが、

抽象的には、

条件が無い状態で、

人としての義務や

使命のみを意識して

行動することである。

 

具体的には、

「もし、

ここで高齢者に、

手を貸したなら」

という条件ではなく、

「高齢者なので手を

貸さなければなら

 ない。」

あるいは、

「高齢者なので、

手を貸すべきだ

と考える事である。

 

言い換えれば、

見返りを求める

ことなく、

ただ、そうある

べきだ

と、自ら行動する

ことである。

 

この事を

自律

という。

 

また、

人としての

義務や使命

別名「善意志」

とも言われる。

 

善意志は、

それ自体が人間に

備わっているもの

なので、

「~しなければ

 ならない」

という

義務や使命

重なる。

 

ここで

学童期辺りに、

教えられた

「嘘をついては

いけない」

「感謝の気持ち

を忘れては

いけない」

に触れたいと思う。

 

➀➁共に、

条件の無い文面で

あるため、

善意志

=道徳法則

=義務や使命

と言える。

 

それぞれに、

条件をつけると、

「もし、

信用されたい

のなら、

嘘をついては

いけない」

「もし、

感謝されたい

のなら、

感謝の気持ち

を忘れては

いけない。」

となる。

 

これは、

見返りの心

あるので

道徳的ではない。

 

このように、

条件の有無で

道徳的である

のか、

道徳的でない

のか

が鮮明になる。

 

それ故、

この道徳の法則を

身に着けることで

人間は、

不完全な理性を

コントロールする

ことが可能となる

のである。

 

 

深井人生哲学ゼミナール

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大仏師、運慶

2024-10-18 11:59:47 | 日記

概要

平安時代末期

から

鎌倉時代初期、

貴族社会から

武家社会に移

行する大変革

の時代に卓越

した造形力で

斬新な仏像を

生み出してき

た大仏師がい

る。

 

その名は

「運慶」

=(?~1223年)

である。

 

東大寺南大門の

「金剛力士像

 (仁王像)」

に代表される、

リアリティーを

追い求める造仏

の新様式を打ち

立てた、

と言われている。

 

平氏による

南都焼き打ち

=(1180年)

で焼失した

東大寺、

興福寺

の復興造像に

貢献し、

 

また、

鎌倉幕府の

有力御家人

からの発注を

受け、次々と

名品を造像した

のも運慶である。

 

そんな運慶だが、

興福寺の僧侶で

もあり、仏教へ

の深く大きな理

解が、仏像彫刻

で頂点を極めた

要因であった、

とみられている。

 

仏教の信仰者

運慶は、鎌倉時代の

彫刻界をリードした

奈良仏師

康慶(こうけい)

の子として生まれた。

 

生年の記録はないが、

運慶の長男、

湛慶(たんけい)

承安3(1173)年の

誕生であることから、

運慶の生まれは、

12世紀中頃で

1150年前後

とみられている。

 

当時の

仏師の世界は、

奈良仏師(慶派)、

院派、

円派

の3つの集団に

分かれて活動

していた。

 

いずれの派も、

平安時代中期に、

宇治・

平等院鳳凰堂の

本尊、

阿弥陀如来像

を造ったことで

知られる

定朝(じょうちょう)

の系譜を引くもので

ある。

 

院派と円派は、

平安京を拠点とした

のに対し、

運慶が属する慶派は、

奈良興福寺を拠点に

活動していた。

 

運慶の父である

康慶は、

定朝との血縁関係は

無かったが、

弟子筋として力を

蓄え、

慶派を指導する

ようになった、

と言われている。

 

運慶は、康慶の

下で、修行して

いたが、

一方で、

熱心な仏教の

信仰者でも

あった。

 

その頃、

東大寺や興福寺

など

大寺院の僧侶は

学侶(がくりょ)

堂衆(どうしゅう)

という集団に分か

れていた。

 

教学や寺の

運営を行う

学侶

に対し、

堂衆は、

寺院の諸堂に

出仕して、

儀式への奉仕

や事務等を行う

役目があった。

 

更に、

堂衆は、

武士の関係者

などが多く、

武力を持つ者

らで僧兵を

構成する

事もあった。

 

そんな中、

運慶は、

興福寺西金堂の

堂衆であった

と、言われて

いる。

 

また、

運慶は、

「法華経」

8巻2部の写経を

志し、7・8年

かけて

寿永2(1183)年

に、完成させて

いる。

 

その奥書には、

 

執筆僧、

結縁者

=(けちえんじゃ

=信仰心を持ち、

仏教の教えや

修行に関心を

持つ人。

 

として

東大寺、

興福寺

の僧

のほか、

快慶ら

慶派の仏師

が、名を連ねて

いる。

 

作者署名の始まり

仏師としての

運慶の名が最初に

登場したのは、

奈良県

忍辱山町(にんにく

   せんちょう)

にある、

円成寺(えんじょうじ)

における

大日如来坐像(国宝)

の造像であった。

 

像高約98cm、

檜(ヒノキ)材の

寄木造

=(頭部と胴部が

 複数の木材で

 造られている

 彫刻)

である。

 

漆で金箔を接着

する漆箔が施さ

れ、

目には、

水晶の玉眼が

はめられている。

 

結跏趺坐(けっかふざ)

=あぐらをかき、

右の足を左の

ももの上に、

左の足を右の

ももの上に置き、

足の甲で押さえ

て、足の裏を上

に向けて組むも

の。

 

した両足が

たくましく

盛り上がり、

凛とした

横顔を見せて

いる。

 

この像を

大正10(1921)

年に

解体修理した際、

台座の裏側から

運慶が、

真筆(しんぴつ)

した

墨書銘(ぼくしょ

    めい)

が確認された。

 

それには

「運慶承

 安元元(1175)年

 十一月廿四日始之 

 給料物上品八丈絹

 肆捨参疋也

 己上御身料也 

 奉渡安元弐秊

 丙申十月十九日

 大仏師康慶 

 実弟子運慶」

とあった。

 

内容だが、

「康慶の実子で、

 弟子の運慶が

 受注し、1年

 近くかけて

 造像した。

 

それから、

 報酬は、

 上品八丈絹

 43疋

 だった」

となっており、

二十代半ばの

運慶の処女作

であることが

確定したので

ある。

 

加えて、

仏像に、

作者自らが署名

した最初の例、

とも言われてい

る。

 

作品への思いが深部に!

円成寺に運慶作の

仏像が置かれたの

は、なぜか?

 

その理由を

紐解いていく。

 

造像時期の少し

前のことである。

 

円成寺は、

東大寺別当も

務めた

京都・仁和寺

の僧、

寛遍僧正(かんぺん

   そうじょう)

によって、

 

伽藍(がらん)

=僧が集まり、

修行する場所。

または

寺院の建物。

 

の復興が始まっ

ていた。

 

その中で、

真言密教の教主

とされる

大日如来の造像

が、計画された

とみられている。

 

円成寺の住職は

「お寺は、

 (真言宗御室派

   総本山の)

 仁和寺の寛遍

僧正によって

中興

=(再度繁栄

 させる)

されたが、

寺内には

興福寺一条院の

 

塔頭(たっちゅう)

=大寺院の敷地内

にある小寺院や

別坊。

 

があった

と言われ、

興福寺との繋がり

も、深かったよう

である。

 

それ故、

大日如来の造像は、

興福寺経由で慶派

に発注され、運慶

が、担当するよう

になった可能性が

大きい。

 

造像された

大日如来は、

運慶の若い頃の

作品であるが、

仏教への思いが、

深かったので、

手先の表現にまで、

仏教に裏打ちされ

たものが表れて

いるように思う」

と話す。

 

円成寺の造像に

次いで

運慶による造像が

明らかになったのが、

興福寺に残された

「仏頭」

である。

 

所謂、

仏像の頭の部分

ある。

 

その由来は、

江戸時代の

享保2(1717)年に

焼失した

興福寺西金堂の

本尊、

釈迦如来坐像の

頭部

だという。

 

平安末期

から

鎌倉中期の

興福寺僧の日記

から記事を抜粋

した

累聚世要抄

 (るいじゅよ

 ようしょう)

の内容が、近年

明らかになった。

 

記されていたのは、

文治2(1186)年、

西金堂で行う

修二会の本行に

間に合わせるため、

新造の釈迦物

=(釈迦如来坐像)

を西金堂に搬入す

る指示が出され、

翌日、西金堂に

運び込まれた

釈迦仏の据え付け

を、大仏師・運慶

が取り仕切った、

という事であった。

 

作業終了後に

興福寺別当から

馬1頭が与えら

れたという。

 

上記のことから

釈迦如来坐像

造立に、運慶が

関わっていたこと

が明らかとなった。

 

運慶(略歴)

平安時代末期

から

鎌倉時代初期

に活躍した

仏師。

 

安元2(1176)年、

奈良・円成寺の

大日如来坐像

を皮切りに、

仏像制作を

本格化する。

 

治承4(1180)年、

平清盛の命を受け

た5男の重衡らに

よって南都焼き

打ちで伽藍が消失

した

東大寺、

興福寺

復興造像に腕を

振るった。

 

それ故、

仏師としての地位

を示す

僧綱位(そうごうい)

は、

最上位の法印

受けた。

 

また、

源頼朝らの

「鎌倉幕府」

と結びつきを

強め、

東国でも工房

を設けて造像

を展開した。

 

代表作には、

快慶と合作の

➀東大寺南大門・

 金剛力士像、

➁興福寺北円堂・

 弥勒如来坐像、

などがある。

 

写実的で重量感の

ある作風が特徴で、

力感に溢れた新様式

を確立した。 

 

<データと資料>

 

深井人生哲学ゼミナール

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哲学シリーズ・人間の正体➀(二律背反、純粋理性批判)

2024-10-12 15:05:53 | 日記

はじめに

哲学シリーズを

始めるに当たっ

て、断っておき

たいことがある。

 

このシリーズは、

哲学を分かりや

すく、紐解く事

のみに集中して

いく所存である。

 

それ故、哲学用語

は、解説も含めて、

数多く用いるが、

哲学者の名前には、

出来るだけ触れず

に、進めていくの

で、読者には、予

め、ご了承願いた

いと存ずる。

 

二律背反~アンチノミー

人間には理性がある。

 

理性は、通常、

正義・善・思いやり

など、

肯定のイメージを含

んでいる。

 

同時に、絶対的かつ

完全という条件が

必要不可欠である。

 

それ故、

「純粋理性」

と呼ばれる。

 

ところが、

「純粋理性」には

相反する意味が

存在し、人間は

困惑する。

 

この状態を

「二律背反」

という。

 

純粋理性批判

具体的な例を挙げる。

➀ある人が

「心霊写真」

は、見たくない、

と思ったとする。

 

ところが、一方で、

見てみたいという

欲求が出てくる。

 

これは、

「心霊写真=恐怖」

という法則に基づき

「恐怖だから、見た

くない。」

「恐怖だけど、見て

みたい。」

という、相反する結

果に辿り着いたこと

になる。

 

では、この結果は

両方とも真なのか?

 

それとも、

一方が、偽で

もう一方が、真

なのであろうか?

 

答えは、両方とも

偽となる。

 

理由は、

相反する結果という

矛盾が生じたためで

ある。

 

それ故、

心霊写真=恐怖

という、方程式は

成立しない。

 

矛盾が生じたのなら、

それは、絶対的でも

なく、完全でもない。

 

とすれば、絶対的で

完全であるべきはずの

純粋理性は、相対的で

不完全と言える。

 

即ち、純粋理性批判

成立する。

 

②よくある家族構成

だが、

夫(息子)、嫁、姑

3人の関係性につい

て述べる。

 

夫(息子)が

姑(夫の実の母親)

に対して、

「お袋の料理の味付

けに敵うものは、

いない。」

と言及した。

 

姑(=実の母親)は、

息子から褒められた

ので、とても喜んだ。

 

一方で、

夫は嫁に対して

「お前の料理は工夫

されていて、この

世に敵うものは、

いない。」

と言及した。

 

嫁は、毎日料理の

工夫をしていたの

で、認められて、

とても喜んだ。

 

ところが、ある日、

嫁と姑が会話をし

ている際、夫(息子)

が、それぞれに言及

した内容を、相手が

知ることになるので

ある。

 

この瞬間、夫(息子)

の言葉は、

「両方とも偽」

であると、嫁と姑は

思い、夫(息子)の

人間性に疑問符が

付いたと推察でき

る。

 

どちらにも、いい

顔をする人間の発

言は、

不信しかないから

である。

 

結局のところ、

「料理に関して、

この世に敵う

ものは、いな

い。」

という

夫の思いやり(理性)

は、矛盾という形で

粉砕されたのである。

 

この結果は、

人間の理性は、完全

ではない上、限界が

ある事を示している。

 

つまり、限界のある

理性に絶対的な信頼

を向けない事(批判)

が肝要だと言える。

 

➀の例と同様に、

この考えも

「純粋理性批判」

と呼ばれる。

 

では、絶対的でも

なく、

完全でもない

「理性」

を抱えている人間

は、どのように

生きればよいの

か?

 

この問いに対して

考えていくヒント

「哲学シリーズ

  人間の正体②」

で述べたいと思う。

 

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