浪漫ー古(いにしえ)の彼方へ

歴史・哲学・自然現象を幅広く紹介しています。

柿本人麻呂・歌の神

2025-01-13 23:50:00 | 日記

概要

万葉集で知られる

歌聖=柿本人麻呂

の終焉の地との説

がある、

島根県益田市で、

2023年、8月に

没後1300年祭が

開かれた。

 

人麻呂とは、

現代でも

色褪せない秀歌を

数多く残した人物

である。

 

全国各地で

「歌の神」

として

様々な像が

作られて祭られ、

今も尚、

和歌から

学問の上達、

防火、

安産の神

として

幅広く信仰を

集めている。

 

奈良県や島根県に残る伝承

<東の 

 野にかぎろひの 

 立つ見えて 

 かへり見すれば

 月かたぶきぬ>

 (万葉集)

 

これは、

奈良県宇陀市の

阿騎野(あきの)

で、読んだ

代表作で、

暁の壮麗な

光景が

目に浮かぶ。

 

これに因んで

同市の

「阿騎野・

 人麻呂公園」

には、

人麻呂の石像も

立っている。

 

万葉集で、

人麻呂作と

される作品は、

長歌・短歌、

計90首

近くに上る。

 

専門家は、

「人麻呂以降の

 和歌は全て

 人麻呂の歌の

 真似と言える

 ほど、

 その影響は

 大きい」

と指摘する。

 

その上で、

 

「飛鳥・藤原の

 都で

 死者哀悼、

 

 吉野で

 風土賛美、

 

 石見(いわみ)

 =現在の島根

  県西部で

 恋愛の歌

 を確立した」

と語る。

 

<夏草の

 思ひしなえて 

 偲(しの)ふらむ

 妹(いも)が

 門(かど)見む 

  なびけこの山>

(万葉集)

 

人麻呂が

役人として

赴任した

石見(いわみ)

から帰郷

する際、

愛した女性

との別れを

惜しんで、

この歌を

詠んだ

ともされる。

 

「石見相聞歌」

と呼ばれる

歌群の一首目の

最終章で、

女性の家の門口を

見たいために、

動かない山に対し

「なびけ」

と絶唱した

ようである。

 

そんな人麻呂

だが、

彼の生涯は

謎に包まれて

いる。

 

生誕地は、

奈良県とも

島根県とも

言われ、

死没地も

不明である。

 

歌の時期から

持統天皇の

時代に活躍

したと

考えられるが、

詳細は不明で

ほぼ、

歌でしか

知り得ない

存在である。

 

ただ、

奈良県や

島根県などに

様々な伝承が

残っている。

 

奈良県葛城市

柿本では

人麻呂が

住んだとも

生まれたとも

伝わり、

人麻呂を祭る

柿本神社が

鎮座している。

 

社伝によると、

石見(いわみ)

で、逝去した

人麻呂を改葬し、

神社を建てた

という。

 

同神社では、

かつて木彫像を

囲んで歌会が

行われた

ようである。

 

さらに、

命日とされる

4月18日には、

今も、住民らが

人麻呂を忍び

五穀豊穣を願う

行事を続けて

いる。

 

「今なお、

 人麻呂の

 偉大さを

 感じる。

 

 やはり、

 歌に心を

 揺さぶる

 ものがある

 のでしょう。」

 

そう話すのは、

同神社を守護する

神宮寺として

創建された

影現寺

(=ようげんじ)

の住職だ。

 

また、

奈良県天理市

櫟本町

(=いちのもと

 ちょう)

には、

柿本氏の氏寺、

柿本寺

(=しほんじ)

があり、

寺跡には

人麻呂の遺骨

を葬ったという

「歌塚

(=うたづか)」

も残っている。

 

人麻呂=「ひとまるさん」

一方、

人麻呂の時代に

国の中心だった

奈良から遠く

離れた

島根県益田市。

 

ここには

戸田柿本神社

があり、

生誕地とも

そして、

死没地とも

両方の見解が

伝わっている。

 

終焉の地と

言われる所以は、

万葉葉に

「石見国にいて

 死期が迫った

 時に、

 自ら悲しみ

 作った」

との記載と、

次の歌が

残されている

ためである。

 

<鴨山の

 岩根しまける

 我をかも

 知らにと妹が

 待ちつつある

 らむ>

 

岩を枕に

横たわり、

女性に思いを

寄せる歌だが、

「鴨山」の

場所が定か

ではなく、

同県内でも

諸説ある。

 

そのうちの

一つが、

かつて益田市の

高津柿本神社の

沖にあった

鴨島(鴨山)

である。

 

同神社は、

全国に

約400社ある

人麻呂を祭る

神社の本社

という聖地で、

社伝によると

鴨島に小社が

建てられたが、

平安時代後期の

地震で島は沈み、

ご神体は

同市の高津松崎に

漂着したようだ。

 

その際、

社が建てられ、

江戸時代には、

一帯を治める

津和野藩主が

現在地に移した

と言われている。

 

宮司は、

「人麻呂は、

 様々なご神徳

 があり、

 多くの人に

 親しまれて

 きた」

と強調する。

 

具体的には、

石見に和紙の

技術を伝えた、

とされること

から、

産業振興。

 

さらに

人麻呂に

「火止まる」

をかけて、

防火。

 

加えて

「人産まれる」

で、安産。

 

などである。

 

それ故、

益田市の

人々は、

敬愛を込めて

人麻呂を

「ひとまる

 さん」

と呼んでいる。

 

そんな中、

一昨年の

8月26、27日に

市民らが

「没後1300年祭」

を開いた。

 

長年

親しまれて

きた

「ひとまる

 さん」

像を、再発見

するため、

人麻呂の

「石見相聞歌」

を元にした

音楽の演奏・

合唱、

記念講演会、

朗読劇

などを

開催した。

 

「約1300年前の

 活躍を思い起こ

 して、次の時代

 に、是が非でも

 伝えたかった。

 

 地域の発展にも

 繋がったのでは

 ないだろうか。」

と、宮司は話す。

 

<データと資料>

 

深井人生哲学ゼミナール

深井人生哲学ゼミナール

浪漫ー古(いにしえ)の彼方へ(歴史・哲学・人生論・自然現象を幅広く紹介しています。)

深井人生哲学ゼミナール

 

 



最新の画像もっと見る