概要
哲学シリーズ、
人間の正体➀で、
二律背反、
純粋理性批判
について、
その意味を説明
した。
そこから得た
不完全な理性
について、
どのように
コントロール
していくのか?
その方法を
紹介していく。
人間の気質
不完全な理性
=理性の欠陥
から、
人間には、
悪に染まる性格
がある、
と推察できる。
生粋の善があった
としても、
教育する側の意思
にかかわらず、
劣悪な環境で悪意の
ある教育を受けると、
悪の心に染まる危険
がある。
その危険には、種類
がある。
以下に、例を示す。
<危険の種類>
①親友間において、
嘘をつく危険。
➁友人の失敗を
心から分かち
合えない危険。
③恩人に対して、
感謝の気持ちを
抱けない危険。
早速だが、
➀~③に関して、
以下のような
感情を抱いた
ことがないか
を、確認して
貰いたい。
<チェック事項>
➀は、
親友間で、1度も
嘘をついたことが
ないのか?
➁は、
友人に対して
失敗して当然
と思った事が
1度もないのか?
③は、
恩を受けた内容に
不満を抱いたこと
が1度もないのか?
<チェック事項>
を確認して貰った
のだが、
思い当たる節は
ないだろうか?
思い当たる節が
無い、
と答えた人の方が
少ない、
と思われるが、
もし、
多い、
と答えた人は、
教育をする側の
意思に関係なく、
<危険の種類
①~③>
のように、
教育方法で、
悪の心が芽生えた
可能性がある。
では、どうすれば、
悪の心を抱かずに
済むのか?
その答えは、
人は、善の方向へ
向かうように学習
しなければならない、
ということである。
その学習は、
能動的でも受動的
でも構わない。
要は、ある法則を
学ぶことが大切
なのである。
そのある法則とは、
「道徳の法則」
である。
道徳法則とは?
人間は、
社会の中で
生きている。
その社会の
中で、
道徳、
倫理、
などに従って
生活している。
こうした
道徳、倫理は
一体、
何に基づいて
存在している
のか?
この疑問を
紐解く
キーワードは
人間の本質
である。
多くの方が
学童期に
「嘘をついては
いけない」
「感謝の気持ち
を忘れては
いけない」
と、教わった
はずである。
これらは、
当然のことに
思えるかもしれ
ないが、
当然だと思える
のはなぜか?
と問われた場合、
即答できる人は、
少ないかもしれ
ない。
その理由は、
人間の本質に
触れたとしても、
それに気づかない
からである。
では、
人間の本質とは
何か?
答えは、
義務や使命
=道徳法則
のことである。
勿論、
この答えでは、
納得しにくい
はずなので、
例をあげて
説明する。
例えば、
交通量が多い
交差点で、
足の悪い高齢者
が、横断歩道を
渡ろうとしてい
たとする。
ここで、
高齢者に手を
貸そうとした
とする。
これは、
道徳的な行動
をした、
と捉えられる。
一方で、
高齢者に手を
貸してあげれば、
自分の事を善人
と思うかな、と
心の中で思った
のなら、
それは、
道徳的な行動
ではない、
と捉えられる。
では、
前者と後者で
何が違うので
あろうか?
それは、
条件の有無
である。
前者には、
「もし~なら」
という条件が
無い。
翻って、
後者には、
「もし、
ここで高齢者
に手を貸した
なら」
という条件が
存在している。
条件というのは、
自分への褒美を
想定した打算が
あるので、
これは、
見返りを求めた
行動、
と見なされ、
道徳的ではない
のである。
では、
道徳的とは何か?
その意味だが、
抽象的には、
条件が無い状態で、
人としての義務や
使命のみを意識して
行動することである。
具体的には、
「もし、
ここで高齢者に、
手を貸したなら」
という条件ではなく、
「高齢者なので手を
貸さなければなら
ない。」
あるいは、
「高齢者なので、
手を貸すべきだ」
と考える事である。
言い換えれば、
見返りを求める
ことなく、
ただ、そうある
べきだ
と、自ら行動する
ことである。
この事を
自律
という。
また、
人としての
義務や使命は
別名「善意志」
とも言われる。
善意志は、
それ自体が人間に
備わっているもの
なので、
「~しなければ
ならない」
という
義務や使命と
重なる。
ここで
学童期辺りに、
教えられた
➀
「嘘をついては
いけない」
➁
「感謝の気持ち
を忘れては
いけない」
に触れたいと思う。
➀➁共に、
条件の無い文面で
あるため、
善意志
=道徳法則
=義務や使命
と言える。
それぞれに、
条件をつけると、
➀
「もし、
信用されたい
のなら、
嘘をついては
いけない」
➁
「もし、
感謝されたい
のなら、
感謝の気持ち
を忘れては
いけない。」
となる。
これは、
見返りの心が
あるので
道徳的ではない。
このように、
条件の有無で
道徳的である
のか、
道徳的でない
のか
が鮮明になる。
それ故、
この道徳の法則を
身に着けることで
人間は、
不完全な理性を
コントロールする
ことが可能となる
のである。