カーテンを扱って、もう50年を過ぎました。
その頃は厚地の方は横糸は、太番手の糸か特紡糸(軍手に使っている太い糸)
を使ったざっくりとして厚い手持ちのある生地でした。
無地のカーテンは金ラメ入りの葡萄の実と葉っぱをあしらったジャカード織りとか
唐草模様で、色はグリーン、金茶、ローズの三色位
これを二節織り(にせつ)と言い、
柄物は風景柄のゴブラン織り二、三柄位で 種類はそんなに多くなかったです。
一㍍巾一反50㍍の生地が産地から送られて来ると
柄別に井桁に組んで背丈位に積み上げ、
大阪市内、近郊の小売店さんに配達に廻ったものです。
当時の小売店さんは、一反ずつ仕入れて切り売りしていました。
多くの消費者」は、テープや金具の付属を買い、自分の家でカーテンを縫ったものです。
戦後10年、漸く敗戦の混乱がおさまり、住宅がぼつぼつ建ち始めました。
これからカーテンが売れるやろ、カーテン屋になろう、と決心したのがこの頃です。
洋反物各種繊維卸商から変身です。大阪市東区南本町3-6