江戸時代はコメ本位制だった。
大阪の堂島米会所で世界初の米先物取引が始まった。
シカゴの穀物取引所にルーツは日本の堂島だと書いてあるそうな(わたしは確認していません。聞いた話。)
試験上場なので経過をみるということに。
戦前の日本のコメ取引はかなり自由であったことを知らない人が多い。
戦時体制であった1942年に食管法になりコメなど主要食糧は政府が管理した。
なんと、1994年まで続いたのです。
その間、コメ取引はすっかり骨抜きになり、商売人は居なくなった。
顧客の方を向く必要がなく、役人と仲良くしてればよかったのであります。
食管法がなくなり食糧法になったが、いまだに政府の関与は強い。
商売人が居なくなった証拠に「コメの価格を決めてくれ」という空気がまだある。
小生に云わせれば「米価」なる死語がいまだ存在していることが不思議。
全農、農協は先物取引に反対だという。
もっとも、農協に全面的に販売委託している農家は価格のことも知らないし興味ないかも。
農協やお上(役所)がよいようにしてくれると信じている(さすがに少なくなったと思うが)
誰かが決めてくれるなど他力本願ではいけませんねぇ。
農家もコメ会社も自ら知恵を絞り自社の生きる道を模索しなくては。
それを「存在領域」とか「ポジショニング」とか言います。
人任せではいけません。
コメ先物は現物持っている、現物扱うところはなにも怖いものありません。
とにかく知ることが肝心。
楽しく前向きに勉強することから始めよう。
上記とは直接関係ないが農水省がまとめた参考資料。
22年産米取引の状況について
震災後ガラリと変わったし。
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