一枚の写真!
碓氷社の玄関前で撮られた写真!
明治38年碓氷社本社前で撮影されたものだそうです。当時通訳としてアメリカからのお客様を案内されていた、伊藤良吉様が大切に保存されていたお写真です。
そして、113年後伊藤良吉様のお孫さん
平田卓雄さんが蚕糸館へ外国からのお客様を通訳し案内され、後日この貴重な写真をメールで見せて頂いたそうです。
感動的な写真!ですね!碓氷社が世界に繋がってそして、現代に繋がった!一枚の写真です。
今日は7月31日碓氷社社長萩原鐐太郎さんの命日で墓前に報告してきました。
平石さんそして平田さんありがとうございます。
この写真は1905年日本の製糸業を視察するためにニューヨークの新井領一郎(Morimura & Arai Co.)のパートナーのブリーソン氏を案内して日本全国の主要製糸場を訪問した時の一枚です。右端が祖父伊藤良吉です。伊藤良吉は三重県四日市市で伊藤製糸を経営していた伊藤小左衛門の息子(次男)です。良吉の次女が私の母芳子です。
平田卓雄さんから了解を頂いて掲載させていだたきました。
碓氷社の玄関前で撮られた写真!
明治38年碓氷社本社前で撮影されたものだそうです。当時通訳としてアメリカからのお客様を案内されていた、伊藤良吉様が大切に保存されていたお写真です。
そして、113年後伊藤良吉様のお孫さん
平田卓雄さんが蚕糸館へ外国からのお客様を通訳し案内され、後日この貴重な写真をメールで見せて頂いたそうです。
感動的な写真!ですね!碓氷社が世界に繋がってそして、現代に繋がった!一枚の写真です。
今日は7月31日碓氷社社長萩原鐐太郎さんの命日で墓前に報告してきました。
平石さんそして平田さんありがとうございます。
この写真は1905年日本の製糸業を視察するためにニューヨークの新井領一郎(Morimura & Arai Co.)のパートナーのブリーソン氏を案内して日本全国の主要製糸場を訪問した時の一枚です。右端が祖父伊藤良吉です。伊藤良吉は三重県四日市市で伊藤製糸を経営していた伊藤小左衛門の息子(次男)です。良吉の次女が私の母芳子です。
平田卓雄さんから了解を頂いて掲載させていだたきました。