切った糸の先より
ふたたびの訃報が届く。
数カ月前に再読してみようかとベッドサイドに置いていた本が
数日前、横倒しに倒れているのに気づいた。
直そうとして、本を起こしたが、何かひっかかってうまくいかない。
適当に無理矢理起こして、そのまま眠りについた。。。
昨夜、再び倒れているのに気づいて、再びいい加減におこした。
その時、本の題名に気づいた。
栗本 薫 『セイレーン』
今思うと予兆だったのか。。。。。
中学か高校の頃、はじめての出会いは、栗本 薫で『ぼくらの時代』
そこから『ぼくらの気持ち』『ネフェルティティの微笑み』としばらく追いかけた。
早川SF文庫との出会いもその頃で、SF・ミステリと読書域が広がった。
TV「クイズ ヒントでピント」で鼻につくほどの解答ぶりをみせる女史が、
当人と知って、小椋 桂の時のようにいささかショックだった。
「魔界水滸伝」「グインサーガ」と読み進めたが、
伊集院大介シリーズあたりと、ヤオイ系の小説辺りから徐々に離れ、
惰性でグインシリーズだけを読むようにはなれていった。
それでも数年前、帰郷に際して行った本の大処分でもいくつかは残した。
『心中天網島』『絃の聖域』そして『セイレーン』
再びの出逢いは、中島 梓 としてだった。。。
脚本家・演出家とスタッフという関係だ。
ピーク時には年に3、4回はシアターV赤坂で、中島先生のミュージカルに関わっていた。
演出助手を担当した事もあった。
自宅に行くと居間にはイグアナの棲むゲージが、ドンと置かれていて驚いた。
印象的に覚えている事がある。
ミュージカル『西鶴』でのこと、
音楽家が中島氏の歌の詩の一部をかえて、大もめになった。
旋律を優先した音楽家が、西鶴の戯作活動を「書きなぐる、書き捨てる」と変更したのだ。
中島氏が激怒「私は、一度として書き捨てたことなんかない!」 と。
当時、時代の寵児として大衆文学の先駆けだった「井原西鶴」にたいして、
同じく多筆で知られていた彼女には深い思い入れがあったのだと思う。
とにかく芝居とライブが好きで、そのために作家をしているようだった。
ただ、演出家としての中島氏とは、スタッフとして、よく対立もした。
文筆家である中島氏は、すべてを言葉で説明しようとする、
我々は役者の演技や間、音楽・ダンス等で語ってこそミュージカルと信じていて、
言葉以上の雄弁なるものを追求してほしいと、
よく、台詞の大幅カットを求めて交渉、対立した。
飲みにいけば、小気味いい程の底なしの大虎で、まさに絵に描いたような女傑だった。
そういえば、ベティちゃんの服が好きだったな~。
そして、そんな蜜月の関係も、
自分が田舎との往復をするうちに、仕事を選択していく中で、
自然に消えていった。。。
一度ご主人の今岡さんからご連絡をいただいた時も、
無下に断る事で、糸を切ろうとした自分の勝手さで大変失礼をした。
糸は、
「グインサーガ』のあとがきで、近況を知るだけになった。
それも、一昨年あたりの120巻までで、それも終いえていた。
そして 昨晩
詩曲の魔女『セイレーン』は倒れた。。。。。
流れの渦に巻き込まれるには、彼岸程に自分は対岸を遥かはなれてしまった。
そういえば『絃の聖域』のモデルだった家元も、先日訃報を聞いたような気がする。
泪はでない。
喪失感が現実的でないからだけだ。
『グインサーガ』はまだまだ続くような気がする。。。今は、、、
本当の遺失感は、きっと、何年経ってもこないかもしれない。
それが文学の強さなのだろう。
それが文学者のはかなさなのだろう。
合掌。
まだ知り得ない 今岡 純代 殿。
栗本薫も中島梓も死にはしません。 と思っております。
追悼:今でも覚えているミュージカル『ペンギン』の主題歌。
昔 こどもの頃 動物園の
白く塗った コンクリートの 氷山の上で
一羽のペンギン ずっと遠くを見てたの
冷たくも 寒くもない 壁に描いた ふるさと
ペンギンは ひとりで 遠くを 見てたの
私たちは 飛べない ペンギン
羽根はあるけど 空は飛べない
私たちは かなしい ペンギン
羽根はあるけど 空は飛べない
ふたたびの訃報が届く。
数カ月前に再読してみようかとベッドサイドに置いていた本が
数日前、横倒しに倒れているのに気づいた。
直そうとして、本を起こしたが、何かひっかかってうまくいかない。
適当に無理矢理起こして、そのまま眠りについた。。。
昨夜、再び倒れているのに気づいて、再びいい加減におこした。
その時、本の題名に気づいた。
栗本 薫 『セイレーン』
今思うと予兆だったのか。。。。。
中学か高校の頃、はじめての出会いは、栗本 薫で『ぼくらの時代』
そこから『ぼくらの気持ち』『ネフェルティティの微笑み』としばらく追いかけた。
早川SF文庫との出会いもその頃で、SF・ミステリと読書域が広がった。
TV「クイズ ヒントでピント」で鼻につくほどの解答ぶりをみせる女史が、
当人と知って、小椋 桂の時のようにいささかショックだった。
「魔界水滸伝」「グインサーガ」と読み進めたが、
伊集院大介シリーズあたりと、ヤオイ系の小説辺りから徐々に離れ、
惰性でグインシリーズだけを読むようにはなれていった。
それでも数年前、帰郷に際して行った本の大処分でもいくつかは残した。
『心中天網島』『絃の聖域』そして『セイレーン』
再びの出逢いは、中島 梓 としてだった。。。
脚本家・演出家とスタッフという関係だ。
ピーク時には年に3、4回はシアターV赤坂で、中島先生のミュージカルに関わっていた。
演出助手を担当した事もあった。
自宅に行くと居間にはイグアナの棲むゲージが、ドンと置かれていて驚いた。
印象的に覚えている事がある。
ミュージカル『西鶴』でのこと、
音楽家が中島氏の歌の詩の一部をかえて、大もめになった。
旋律を優先した音楽家が、西鶴の戯作活動を「書きなぐる、書き捨てる」と変更したのだ。
中島氏が激怒「私は、一度として書き捨てたことなんかない!」 と。
当時、時代の寵児として大衆文学の先駆けだった「井原西鶴」にたいして、
同じく多筆で知られていた彼女には深い思い入れがあったのだと思う。
とにかく芝居とライブが好きで、そのために作家をしているようだった。
ただ、演出家としての中島氏とは、スタッフとして、よく対立もした。
文筆家である中島氏は、すべてを言葉で説明しようとする、
我々は役者の演技や間、音楽・ダンス等で語ってこそミュージカルと信じていて、
言葉以上の雄弁なるものを追求してほしいと、
よく、台詞の大幅カットを求めて交渉、対立した。
飲みにいけば、小気味いい程の底なしの大虎で、まさに絵に描いたような女傑だった。
そういえば、ベティちゃんの服が好きだったな~。
そして、そんな蜜月の関係も、
自分が田舎との往復をするうちに、仕事を選択していく中で、
自然に消えていった。。。
一度ご主人の今岡さんからご連絡をいただいた時も、
無下に断る事で、糸を切ろうとした自分の勝手さで大変失礼をした。
糸は、
「グインサーガ』のあとがきで、近況を知るだけになった。
それも、一昨年あたりの120巻までで、それも終いえていた。
そして 昨晩
詩曲の魔女『セイレーン』は倒れた。。。。。
流れの渦に巻き込まれるには、彼岸程に自分は対岸を遥かはなれてしまった。
そういえば『絃の聖域』のモデルだった家元も、先日訃報を聞いたような気がする。
泪はでない。
喪失感が現実的でないからだけだ。
『グインサーガ』はまだまだ続くような気がする。。。今は、、、
本当の遺失感は、きっと、何年経ってもこないかもしれない。
それが文学の強さなのだろう。
それが文学者のはかなさなのだろう。
合掌。
まだ知り得ない 今岡 純代 殿。
栗本薫も中島梓も死にはしません。 と思っております。
追悼:今でも覚えているミュージカル『ペンギン』の主題歌。
昔 こどもの頃 動物園の
白く塗った コンクリートの 氷山の上で
一羽のペンギン ずっと遠くを見てたの
冷たくも 寒くもない 壁に描いた ふるさと
ペンギンは ひとりで 遠くを 見てたの
私たちは 飛べない ペンギン
羽根はあるけど 空は飛べない
私たちは かなしい ペンギン
羽根はあるけど 空は飛べない
青春時代の、濃い人生に関わった方の突然の訃は、耐えがたいもの……お察し致します。
余りにも若すぎ…寿命と考えるしかありませんが、
自分もほぼ世代が同年代…人事とは思えません。
普通の人にはできない、永遠に形ある作品が残り、偲ばれて幸せな人だな…と思います。