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赤石山はギギとして~ 我が南信の骨をなし
天竜川はイダとして~ 我が伊那郡の血をなせり、、、 ? ?
ってわからないわけではなく、、、
唐突に我が母校、飯田高校の校歌から始まってなんじゃろか。。。
いやぁ、面白い物がみつかったのです。
といっても、自分で発見したわけでなく。。
演劇班の先輩から、メールが届いてお知らせ下さったのですが、、、(R氏に感謝m(_ _)m )
なんと、まだ自分が小学校の頃、我が母校飯田高校の文化祭に、
あの 吉田拓郎氏 がライブにいらしてたのですわな。。。
今考えても、信じられない話ではあるが、、、
その話は前々から知っていて、
当時、(1971年7月19日)5歳年上のうちの姉貴は風越高校で、
いそいそと出かけていったような記憶がある。。。
吉田氏はまだ、「結婚しようよ」のブレイク直前。
自分はと云えば、姉貴の部屋からこっそり、拓郎氏の自伝本「気まぐれ日記?」だかを
持ち出して中学時代読んでいた。。。
ませた中学生のガキは、こいつはただのボンボンや っと腹の中で馬鹿にしつつも
その才能は妬ましく、魅かれ、。。。
自分で装丁した、中学校の修学旅行期は、黒い表紙カバーの裏側にこっそりと
拓郎氏の「ともだち」の歌詞をしっかり白文字で書いていた というひねくれたファンぶり。。。
大学時代の友達は、一晩中歌い続けた「人間なんて」で有名な篠島のコンサートにでかけて
興奮して帰って来たのを、斜に見つつも、と とってもうらやましかった。。。
あの頃、うちにあったLPレコードといえば、
赤い鳥ベスト。人間なんて。小椋佳の彷徨。本棚には、明星と平凡の歌本。
恥ずかし気もなく、屋根の上でギターかかえて歌ってた。。。(hi e~~~~~
で
で で
当時のライブの生音が残っていたらしい。。。 スゴっ!
さすがにあの頃は、ビデオなんてなかったもんな。。。
これがその音をのせた YouTube です。削除されてたらごめんなさい。
吉田拓郎 どうしてこんなに悲しいんだろう(飯田高校LIVE)
同時にそれに関するブログ記事がこれです。
吉田拓郎の飯田高校ライブ1
吉田拓郎の飯田高校ライブ2
そのときの曲目一覧がこちら
吉田拓郎 飯田高校ライブ 曲目
コアなファンはいるものですね。。。
「どうしてこんなに悲しいんだろう」は 自分の中での 拓郎ベスト1 かな?
同年代の振付け家、M女史が舞台の打ち上げの席で、涙にじませて独唱したのを思い出します。
それにしても、当時の若者達はパワーがあったんだなぁ~ と思う。
し、学校も 本当に自由に やらせてくれていたような気が 時がたつほどに思われる。
もっと 好き勝手やっときゃあよかった! sigh
って 今でも好き放題じゃん! うっ 聞こえる聞こえる。。。。。
いやあ、 だからなんだって。。。
麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙も もう消えた
それでも 待ってる 夏休み
半世紀間近の齢を重ねての見苦しい あとのまつり
待ち続けた夏休みは 彼岸の果てに 白内障で見えなくなった。。。 ehehe
あっ この あとのまつり の祭りって祇園祭のことなんだよね。。。
osomatu
赤石山はギギとして~ 我が南信の骨をなし
天竜川はイダとして~ 我が伊那郡の血をなせり、、、 ? ?
ってわからないわけではなく、、、
唐突に我が母校、飯田高校の校歌から始まってなんじゃろか。。。
いやぁ、面白い物がみつかったのです。
といっても、自分で発見したわけでなく。。
演劇班の先輩から、メールが届いてお知らせ下さったのですが、、、(R氏に感謝m(_ _)m )
なんと、まだ自分が小学校の頃、我が母校飯田高校の文化祭に、
あの 吉田拓郎氏 がライブにいらしてたのですわな。。。
今考えても、信じられない話ではあるが、、、
その話は前々から知っていて、
当時、(1971年7月19日)5歳年上のうちの姉貴は風越高校で、
いそいそと出かけていったような記憶がある。。。
吉田氏はまだ、「結婚しようよ」のブレイク直前。
自分はと云えば、姉貴の部屋からこっそり、拓郎氏の自伝本「気まぐれ日記?」だかを
持ち出して中学時代読んでいた。。。
ませた中学生のガキは、こいつはただのボンボンや っと腹の中で馬鹿にしつつも
その才能は妬ましく、魅かれ、。。。
自分で装丁した、中学校の修学旅行期は、黒い表紙カバーの裏側にこっそりと
拓郎氏の「ともだち」の歌詞をしっかり白文字で書いていた というひねくれたファンぶり。。。
大学時代の友達は、一晩中歌い続けた「人間なんて」で有名な篠島のコンサートにでかけて
興奮して帰って来たのを、斜に見つつも、と とってもうらやましかった。。。
あの頃、うちにあったLPレコードといえば、
赤い鳥ベスト。人間なんて。小椋佳の彷徨。本棚には、明星と平凡の歌本。
恥ずかし気もなく、屋根の上でギターかかえて歌ってた。。。(hi e~~~~~
で
で で
当時のライブの生音が残っていたらしい。。。 スゴっ!
さすがにあの頃は、ビデオなんてなかったもんな。。。
これがその音をのせた YouTube です。削除されてたらごめんなさい。
吉田拓郎 どうしてこんなに悲しいんだろう(飯田高校LIVE)
同時にそれに関するブログ記事がこれです。
吉田拓郎の飯田高校ライブ1
吉田拓郎の飯田高校ライブ2
そのときの曲目一覧がこちら
吉田拓郎 飯田高校ライブ 曲目
コアなファンはいるものですね。。。
「どうしてこんなに悲しいんだろう」は 自分の中での 拓郎ベスト1 かな?
同年代の振付け家、M女史が舞台の打ち上げの席で、涙にじませて独唱したのを思い出します。
それにしても、当時の若者達はパワーがあったんだなぁ~ と思う。
し、学校も 本当に自由に やらせてくれていたような気が 時がたつほどに思われる。
もっと 好き勝手やっときゃあよかった! sigh
って 今でも好き放題じゃん! うっ 聞こえる聞こえる。。。。。
いやあ、 だからなんだって。。。
麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙も もう消えた
それでも 待ってる 夏休み
半世紀間近の齢を重ねての見苦しい あとのまつり
待ち続けた夏休みは 彼岸の果てに 白内障で見えなくなった。。。 ehehe
あっ この あとのまつり の祭りって祇園祭のことなんだよね。。。
osomatu
YouTubeで何度聴いてもそんな事が
本当にあったんだなあと俄に信じ難い思いです。