ミケマル的 本の虫な日々

佐賀・呼子も名護屋城も虹の松原も強風だった


関東、東北に台風が迫る中、12日は唐津、呼子方面に。

 台風の強風圏には入っていなかったのだけれど、びっくりするくらいの風が吹いていました。海は時化。

 呼子のイカを食べようと思って、有名な「河太郎」に行ったけど、予想通り時化で活き造りはありませんでした。

 でも普通の?イカ刺しと下足の天ぷら、イカしゅうまいの付いた定食も充分美味しかった🤗








 お店は海沿いにあるんだけど、凄い強風❗️で飛ばされそうなほどでした。




河太郎



時化の海の向こうに呼子大橋

お天気良ければ、遊覧船で七ツ釜を見に行こうと思ってたけど、もちろん無理なので、名護屋城跡に行くことにしました。

名護屋城は秀吉が朝鮮出兵の時の拠点として築かれた城だけれど、大規模な城であり、その周りに諸大名の陣屋が作られ、全国から武士および商人など20万人が集まったという所。

実は、私は飯島和一著「星夜航行」を読むまで、名護屋城の事をほとんど知りませんでした。

星夜航行の後編のほとんどが朝鮮出兵の事をルポルタージュのように詳しく描いていて、その中で名護屋城と大名の陣屋が作られ、一時的にバブル状態の街ができた経緯も語られていました。

 その後、秀吉が死ぬと、朝鮮からの撤退と同時に名護屋城の役目もなくなり、江戸幕府の方針で解体されるという運命を辿ったので、今では一部の石垣だけが残っています。

 朝鮮出兵は、なんでそんなことを?と思ってたけど、知れば知るほど、朝鮮半島の人々と日本の武士だけでなく、その費用を捻出するために農民の多くが苦しんだもので、独裁者の壮大な思い違いの恐ろしさを見る気がします。

 名護屋城も秀吉の命令で立派なお城を大名が半年くらいで建てさせられ、命令に逆らえない大名たちが陣屋を作ったというものだったようです。

 しかし、そんな時代背景を知るのも大切だし、名護屋城跡に隣接する名護屋城博物館はとても素晴らしいものでした。






日本と朝鮮半島の歴史から詳しく説明されていて、古くからの交流と文化の伝搬。
小説に出てきた、日本と朝鮮の戦いで使われた船の模型は、なるほどこうだったのか!とわかったのは興味深かったです。

 また、博物館で貸し出してくれるタブレットを使って城址を歩くと、城址にタブレットを掲げることによって、復元されたお城の様子が見られるという画期的?な散策が楽しめました。

 もし名護屋城跡に行く場合は、ぜひタブレットを借りてくださいね。
 おまけに料金はいりません。(寸志の箱があったので、少々入れてきましたが)




タブレットをかざすと、この道の横にある塀や正面の櫓などを見ることができます







ここも三の丸付近の建物が見られます












本丸後は広い野原。
タブレットをかざすと本丸の大きな建物が見られます。



天守閣は一番眺めがいいけど、一番の強風〜〜〜〜


ここからタブレット越しに見下ろすと、各大名の陣屋の位置がわかります。


 それにしても、高台なのでさらに風が強くて強くて吹き飛ばされそうでした❗️

 
この後、唐津に戻り、虹の松原を通り抜けましたが、思ってたよりも凄く多くて長い松林にびっくりしました。こちらも暴風の中だったので、ワイルド感半端ない‼️







海に出られる道を辿ると、時化た海が❗️
これはこれで荒涼とした景色を堪能しました。

 夜になってTV見てたら、唐津には暴風警報が出ていたそうです。
こんなに離れた所でも台風の影響が出てた事を思うと、今回の台風の規模と強さを感じました。。。




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