岩美町出身の外交官澤田廉三先生の波乱に富んだ生涯を描いた資料集 『澤田廉三と美喜の時代』 が発刊されました。 これを記念し、三月二十日(土曜日)中央公民館講堂で講演会が開催されました。
資料集をもとに大正・昭和時代の外交政策や国政への思いがつづられた貴重な書簡を県立公文書館清水専門員がパワーポイントで説明。 また、浦富小唄保存会の皆様による「浦富小唄」を披露。
廉三先生が作詞・作曲・振り付けを手がけられた浦富小唄は まさに浦富海岸をこよなく愛し,,その魅力を世界に発信された廉三先生の思いが凝縮された作品。半世紀を越え伝承された歌と踊りに会場のみなさん釘付けでした。
広報 いわみ 平成二十二年四月号 より
画像はフォトアルバム 岩美の偉人澤田廉三・屋台囃し保存会&浦富小唄保存会 ちくまホームより転載
澤田廉三の手紙
歌つくり 昭和十二年(1937) 四十九歳
昭和十二年私は、日本総領事としてニューヨークに駐在した。その頃澤田虎蔵氏から、漸次内外に認識宣伝せられ始めた浦富の宣伝歌を作ってくれないかとの依嘱があった。
ある日の午後の半日、私は事務所に居残って、かねてから想いを練っていた浦富宣伝小唄に筆を加えていると、ちょうどその時斉藤大使がワシントンからニューヨークに遊びに来たといって、ひょっこり領事館に現れた。「暑いのに何を勉強しとるかい」と斉藤君がいう。「なに、郷里の宣伝歌を頼まれてネ、ちょうど出来上がったところだ。まぁ見てくれたまえ」といって大使に見せたのが、つぎのようなものであった。
海岸四季
浦で名所は荒砂様よ 松のみどりに風薫る
富める浦里艪の音高く 出船入り船にぎわしや
海にゃ白帆の三ツ四ツ二ツ 丘にゃ稲穂が波をうつ
岸にくだけてまたよせ返す 波にたわむる磯千鳥
苦心をした点は各節の頭文字を拾うと、それが浦富海岸となっていることである。こんなことにとらわれたため、唄それ自体としてはどうかと思われるところが多い。たとえば「富める浦里」などは恥ずかしいかぎりである。 これを一読した斉藤君は「とても面白いじゃないか、一つ英訳してやろうか」といって無造作に万年筆を走らせていたが、ものの三十分もたたぬうちに訳文が出来てしまった。
We point with pride The Arasuna Shrine. Where sweetly the breeze Through the green pines. At the fishing village Oar-creaks rise high. As boats aplenty Cone and go nigh. On water are scattered Dots o”sails white. On land the waves Of rice-ears are in sight. Sea-plovers are at play With surging brine. That dashes “gainst The crags on the shore line.
この唄にマッチする海岸四季の風景の写真を四枚の絵葉書とし、これに日英両文をならべた唄の一枚を添えて一揃いとし、いかほどの宣伝価値があったかは疑わしいがともかく昨歌 澤田ニューヨーク総領事、英訳 斉藤駐米大使、発行 澤田虎蔵と銘打って、浦富土産の絵葉書が売り出されたのは、それから間もないときのことであった。
澤田廉三著 随感随筆 より
海岸四季 その2
春は花咲く菜種の島に 蝶も舞来るうらゝかさ
夏は烏賊釣りいさり火さやか 天の川原に流れ星
秋の浜辺に音頭がはずむ 月は照るてる夜はふくる
冬の浦わに鴎がうかぶ 里にゃ戸毎に藁砧
浦富小唄について 浦富小唄保存会代表 城戸千鶴子 平成10年5月発行 公報いわみ より
『浦富小唄』は、元国連大使、沢田廉三氏が作詞、作曲いたしました。生まれ故郷浦富をこよなく愛し、わが愛人、わが恋人と言う言葉を用いておられます、その愛郷の思いを唄にたくし、浦、富、海、岸、春、夏、秋、冬と浦富海岸の四季折々の美しさを表現し、その唄に踊を振り付け完成したものです。その後、地元浦富の人々によって踊り広められたものの、その活動は一時途絶えてしまいました。5~6年前、かっての保存会の方々の指導により再び保存会を結成いたしました。 ちくまホームより転載
二つの団体の夢が現実に 平成10年10月10日発行 渚交流新聞より
浦富小唄保存会・屋台囃子保存会。両団体とも平成9年7月に発足した「岩美町じげおこし団体連絡協議会」に加入。平成10年5月、岩美町立渚交流館のこけら落としをきっかけに、浦富小唄保存会の踊りに屋台囃し保存会の演奏、唄も加わり、お互いの会が連携をとりながら、さまざまなイベントに参加をして、浦富の美しさをあらためて多くの人々に知って戴こうと努めています。 ちくまホームより転載
資料集をもとに大正・昭和時代の外交政策や国政への思いがつづられた貴重な書簡を県立公文書館清水専門員がパワーポイントで説明。 また、浦富小唄保存会の皆様による「浦富小唄」を披露。
廉三先生が作詞・作曲・振り付けを手がけられた浦富小唄は まさに浦富海岸をこよなく愛し,,その魅力を世界に発信された廉三先生の思いが凝縮された作品。半世紀を越え伝承された歌と踊りに会場のみなさん釘付けでした。
広報 いわみ 平成二十二年四月号 より
画像はフォトアルバム 岩美の偉人澤田廉三・屋台囃し保存会&浦富小唄保存会 ちくまホームより転載
澤田廉三の手紙
歌つくり 昭和十二年(1937) 四十九歳
昭和十二年私は、日本総領事としてニューヨークに駐在した。その頃澤田虎蔵氏から、漸次内外に認識宣伝せられ始めた浦富の宣伝歌を作ってくれないかとの依嘱があった。
ある日の午後の半日、私は事務所に居残って、かねてから想いを練っていた浦富宣伝小唄に筆を加えていると、ちょうどその時斉藤大使がワシントンからニューヨークに遊びに来たといって、ひょっこり領事館に現れた。「暑いのに何を勉強しとるかい」と斉藤君がいう。「なに、郷里の宣伝歌を頼まれてネ、ちょうど出来上がったところだ。まぁ見てくれたまえ」といって大使に見せたのが、つぎのようなものであった。
海岸四季
浦で名所は荒砂様よ 松のみどりに風薫る
富める浦里艪の音高く 出船入り船にぎわしや
海にゃ白帆の三ツ四ツ二ツ 丘にゃ稲穂が波をうつ
岸にくだけてまたよせ返す 波にたわむる磯千鳥
苦心をした点は各節の頭文字を拾うと、それが浦富海岸となっていることである。こんなことにとらわれたため、唄それ自体としてはどうかと思われるところが多い。たとえば「富める浦里」などは恥ずかしいかぎりである。 これを一読した斉藤君は「とても面白いじゃないか、一つ英訳してやろうか」といって無造作に万年筆を走らせていたが、ものの三十分もたたぬうちに訳文が出来てしまった。
We point with pride The Arasuna Shrine. Where sweetly the breeze Through the green pines. At the fishing village Oar-creaks rise high. As boats aplenty Cone and go nigh. On water are scattered Dots o”sails white. On land the waves Of rice-ears are in sight. Sea-plovers are at play With surging brine. That dashes “gainst The crags on the shore line.
この唄にマッチする海岸四季の風景の写真を四枚の絵葉書とし、これに日英両文をならべた唄の一枚を添えて一揃いとし、いかほどの宣伝価値があったかは疑わしいがともかく昨歌 澤田ニューヨーク総領事、英訳 斉藤駐米大使、発行 澤田虎蔵と銘打って、浦富土産の絵葉書が売り出されたのは、それから間もないときのことであった。
澤田廉三著 随感随筆 より
海岸四季 その2
春は花咲く菜種の島に 蝶も舞来るうらゝかさ
夏は烏賊釣りいさり火さやか 天の川原に流れ星
秋の浜辺に音頭がはずむ 月は照るてる夜はふくる
冬の浦わに鴎がうかぶ 里にゃ戸毎に藁砧
浦富小唄について 浦富小唄保存会代表 城戸千鶴子 平成10年5月発行 公報いわみ より
『浦富小唄』は、元国連大使、沢田廉三氏が作詞、作曲いたしました。生まれ故郷浦富をこよなく愛し、わが愛人、わが恋人と言う言葉を用いておられます、その愛郷の思いを唄にたくし、浦、富、海、岸、春、夏、秋、冬と浦富海岸の四季折々の美しさを表現し、その唄に踊を振り付け完成したものです。その後、地元浦富の人々によって踊り広められたものの、その活動は一時途絶えてしまいました。5~6年前、かっての保存会の方々の指導により再び保存会を結成いたしました。 ちくまホームより転載
二つの団体の夢が現実に 平成10年10月10日発行 渚交流新聞より
浦富小唄保存会・屋台囃子保存会。両団体とも平成9年7月に発足した「岩美町じげおこし団体連絡協議会」に加入。平成10年5月、岩美町立渚交流館のこけら落としをきっかけに、浦富小唄保存会の踊りに屋台囃し保存会の演奏、唄も加わり、お互いの会が連携をとりながら、さまざまなイベントに参加をして、浦富の美しさをあらためて多くの人々に知って戴こうと努めています。 ちくまホームより転載