西枇杷島町(旧下小田井村)にあった下小田井青果市場の絵
下小田井市場は、徳川家康が、渡船を生業にしていた、野口市兵衛と山田久左衛門に命じて作られた市場です。徳川家康は名古屋城を作るも、名古屋城下の人々、及び、名古屋城への野菜の供給をするために、どうしても必要だったのは食料(野菜等)であったためです。野菜の主な生産者は、い王(わ)くら道沿いの農家の人達。その食糧(野菜等)を求めて市場を訪れたのは、主に名古屋の人達。家康の思いは見事的中し、下小田井市場は繁盛しました。名古屋の人達は美濃路を通り、庄内川に架かる枇杷島橋を渡り、下小田井市場で野菜を買ったという事になると思います。い王くら道が当初どのような道であったかは分かりませんが、下小田井市場の反映と共に、い王くら道は整備されていったのかと思います。下小田井市場は1614年頃開設(開設年はおおよその年かと思います)。江戸時代、野菜等を運ぶに馬が利用されました。い王くら道の始まりは、下小田井市場が始まった時には利用可能であったという事になります。
江戸時代 下小田井市場の界隈絵