世界規模でウィルスにやられ、ようやく収まった(ほんとは収まってはいないけど)、感をあの頃よりは感じれるようになったと思ったら、
次は某国の侵攻と言う名の戦争、急に第三次世界大戦やら核の全面戦争の可能性で人類存亡の危機まで危ぶまれてくる。
なんやらそのドサクサで隣国が攻め入ってくるかもの危機感。『えっ、そこって最近まで何やら平和の祭典、やっていなかったっけ?』
そんな中でも日本人は、いつ来るかもしれない南海トラフ地震を頭の隅に入れて過ごしていた矢先での、昨日の福島・宮城の大きな地震。
あれこれ考えてしまい続けます。
けれど自分にできることはもう、
やれるだけのことをやり、自分に無理なくできることはさせてもらって、無関心・投げやりにならず、楽しく過ごさせてもらう。
積極的でありつつ、謙虚に生きる。
あらためて思う、こんな真夜中です。
*『投げやり』という言葉、今回ふと調べてみたら、
『槍投げ』から派生した言葉ではないのですね。『一説によると〜』とかでもなく。
でも『投げ槍』という武器は存在して。
投げやりで投げた槍は、良い結果がでるのかどうか。
そこに、力を抜くという積極さが含まれてない感じですので、良い結果が出る場合はたまたま結果的にそうなるのでしょう。