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1942年の日本計画?で決定していた天皇護持はラスカサス

2016-02-16 13:08:07 | 支配者による儲けとブタ殺しの軍事
天皇護持は1942年の6月に決定していた

彼らの頭にあったのは神父の書いた「ラスカサスのインディアス破壊についての簡潔な報告」である
モンテスマ王をどのように扱ったかの記載が鮮明にある 1942年に日本の扱いを決めたのはどの討論者も読んでいるラスカサスの本が共通項になっていた スピンとして昭和21年11月13日に帰国した野坂参三(田布施マフィア)の主張(延安からソ連経由で帰った)が國體護持の結論になったと御用学者は述べているがそうではない ソ連で野坂参三は國體護持を述べたはずであるが、彼らはラスカサスのことを確信させる野坂参三の話だった 天皇陛下をモンテスマ王として扱う!ということである 彼らの発想は日本人とは真逆である 野坂参三も日本人としてまっとうな主張をしたはずである しかし彼らの頭の中は真逆、いかに料理するか?なのだ いつも戦いに勝利して命乞いしてくる者達をいかに扱うかはギリシャ以前から彼らの得意技なのだ そしてそのノウハウは伝承として彼らの頭にある ラスカサスの報告は彼らはこのように読んでいるのである 命乞いに対して彼らはますます凶暴になる ここにキリスト教文明が白人達に果たした役割はたとえようもない罪として歴史に残る
 モンテスマ王はどのようになったか? しかし天皇陛下はそうはならなかった ガーター騎士団の助命嘆願があり、そうでなくても1942年に処遇は決めていた 天皇陛下は明治クーデター以来の権限(現人神)を戦後も同じように行使していたのだ これが沖縄であり、日本人評価(日本人は操りやすいとマッカーサーに語った)である これが彼らのTalmudに基づく賞賛すべきものである いつから8日目に割礼をほどこしたる者となったかはわからないが? 聖書にはこのことが書かれてある どの章だったかは調べないとわからない 38だったか?

ゴールドを扱ったのは秩父宮殿下である 小野田少尉に命令したのは竹田宮 天皇陛下を生かしておかなければゴールドのありかは聞き出せない 笹川とかなんとかを、山下将軍を、ピーチクパーチクやっている御用学者であるが、彼らはモンテスマ王の扱いをよ~くわかっているのである
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