「中国脅威論」は、プロレスらしいこと。2023/09/23
Unknown (宇宙人)
2023-01-21 13:32:09
昭和ノイド @okina1id 4時間
中国国内に暗躍してるのは、⭕️国際⭕️ねずみ講です。
中共とは?
中華人民共和国の正体は、
⭕️ねずみ講による⭕️植民地支配政策だったと。そういうことです
佐 @dhTBzMl96Kq1Def 1時間
中国も日本と同じで西欧の属国だよ
中国脅威論はプロレス。
世界を支配しているのは✝️
✝️をヒーローで居続けさせるための悪役を引き受けた
というだけの話。
【中国が過去最大の大暴挙!遂に日本領海目前まで侵入してきやがった!日本政府『かつてない危機』】しかも、中国の新法『外国国家免除法』がヤバい!中国政府
https://www.youtube.com/watch?v=2aJ6eDcOJQ8
Unknown (宇宙人)
2023-01-21 13:32:09
昭和ノイド @okina1id 4時間
中国国内に暗躍してるのは、⭕️国際⭕️ねずみ講です。
中共とは?
中華人民共和国の正体は、
⭕️ねずみ講による⭕️植民地支配政策だったと。そういうことです
佐 @dhTBzMl96Kq1Def 1時間
中国も日本と同じで西欧の属国だよ
中国脅威論はプロレス。
世界を支配しているのは✝️
✝️をヒーローで居続けさせるための悪役を引き受けた
というだけの話。
【中国が過去最大の大暴挙!遂に日本領海目前まで侵入してきやがった!日本政府『かつてない危機』】しかも、中国の新法『外国国家免除法』がヤバい!中国政府
https://www.youtube.com/watch?v=2aJ6eDcOJQ8
2021年3月23日 尖閣
DeeplyJapan
で、なんで中国とロシアはさっさとくっ付いて各国に働きかけているかというと、
アメ➕子分の世界は混乱するからその間に仕組みを作ろうとしている、と。
「奴隷制度」と言う言葉が
「移民」、「難民」、「海外出稼ぎ」、「植民地協力者」、「外人部隊」に変わっただけでは…
労働時間とかサマータイムとか
夏時間 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%99%82%E9%96%93
労働中心の時代(近代以後の労働)【後編】
https://www.recruit-ms.co.jp/issue/column/0000000764/?theme=diversity
他には「働かぬものは食うべからず」とか言う言葉による洗脳とか…
↓
「働かざる者、食うべからず」は新約聖書が出典だった
新約聖書の「テサロニケ人への手紙II」の一節に「働かない者は食べる資格がない」があります。 そのため、キリスト教世界の倫理観として「働かざる者、食うべからず」があるようです。 レーニンも、キリスト教世界の人間だったため、無意識に新約聖書の一節を唱えたようですね。
福澤諭吉のあの本の名言、実はアメリカ独立宣言をマネていた?
https://benesse.jp/contents/history/yukichifukuzawa/
【参院選2022】総力特集・カルト候補ぜんぶ載せ!
https://dailycult.blogspot.com/2022/07/2022.html
目ざめよ! wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E3%81%96%E3%82%81%E3%82%88!
目覚めよ日本党って実はエホバの証人(キリスト教系)と何かしらの繋がりでもあるのかな…。
精神医療=キリスト教
「集団ストーカーを撃退」「電磁波攻撃の対策」統合失調症患者をカモにする悪質な探偵や業者たち
7/3(月)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7f3fc401d2be877adcb1cd24bd120cbf798c3aa
「統合失調症の患者がカモにされる現状に憤り…探偵会社が医療機関につなぐ新たな試み」
統合失調症の患者がカモにされる現状に憤り…探偵会社が医療機関につなぐ新たな試み
https://www.bengo4.com/c_18/n_6761/#:~:text=%E6%8E%A2%E5%81%B5%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%8C%E5%8C%BB%E7%99%82%E6%A9%9F%E9%96%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AA%E8%A9%A6%E3%81%BF,-2017%E5%B9%B410&text=%E5%B9%BB%E8%A6%9A%E3%82%84%E5%B9%BB%E8%81%B4%E3%81%8C%E7%89%B9%E5%BE%B4,%E5%A4%9A%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82
探偵会社が医療機関につなぐ新たな試み 幻覚や幻聴が特徴的な精神疾患・統合失調症を患った人を医療機関につなげている珍しい探偵会社が広島市にある。 その会社「総合探偵社フォーチュン広島」の社長、重川亮さん(43)によると、異色の活動を始めたきっかけは元々、依頼者の中に統合失調症を患った人が多かったことだという。
「集団ストーカーは実在します」統合失調症の患者の不安につけ込む、探偵会社のセールストーク
9/18(月)
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb9fe1adbf7b35b431b1e39d89a847592eaa9a80
佐
よく出来た画像だな。
でも、↓コレやってる奴が普段どんな生活してるかバラしたら
言ってる事の説得力ゼロになるよなw
俺ら被害者がやられてるネガキャンが一気に吹っ飛ぶくらいのインパクトあるぜ
集ストに関わってる奴のチンカスな生態は。
https://pbs.twimg.com/media/FsoAhdOakAINvgP?format=jpg&name=large
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E3%83%AA%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB
天理教 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
天理市 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E5%B8%82
天理市(てんりし)は、奈良県北中部に位置する市。中心部に天理教関連の施設が集中していることなどから、宗教都市として知られている。名称は天理教に由来する。
歴史
1954年(昭和29年)4月1日 - 山辺郡丹波市町・朝和村・福住村・二階堂村・添上郡櫟本町・磯城郡柳本町が合併して天理市が発足。奈良県下で4番目の市となる。
1954年(昭和29年)9月24日 - 市章を制定。
1958年(昭和33年)10月15日 - 磯城郡田原本町の一部(大字桧垣・遠田・海知・武蔵)を編入。
満州天理村「生琉里」の記憶: 天理教と七三一部隊
https://www.amazon.co.jp/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%9D%91%E3%80%8C%E7%94%9F%E7%90%89%E9%87%8C%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6-%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E3%81%A8%E4%B8%83%E4%B8%89%E4%B8%80%E9%83%A8%E9%9A%8A-Aimee-Tsujimoto/dp/4908073481
むいらぶさ
RT:
日本軍で細菌兵器を研究していた部隊は各国で731部隊と暗号で言われてきた。なぜいちいち731なのか?それはイエズス会の紋章の隠語だからです。
↓
〒731-0136 広島市安佐南区長束西2-1-36イエズス会長束修練院とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%9B%9B%E9%83%8E
合言葉は731 〘イエズス会は頑張り屋さん〙
https://water9393world.hateblo.jp/entry/2023/05/24/185337
満州基督教開拓村
http://onecolor.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_004d.html
わたしは、「宗教と社会」学会の分科会(プロジェクト)である「社会的コンテクストのなかのキリスト教」の研究会にかかわっている。その研究会のメーリングリストに東京のM大学のK先生から「満洲基督教開拓村」の関する投稿があった。
この「満洲基督教開拓村(団)」については、以前、天理大学おやさと研究所『戦争と宗教』に論文に書いたことがある(わたしが原因で発刊が遅れている)。この中には、天理教や金光教、仏教、神道、そして、キリスト教と戦争のかかわりが論じられているが、わたしはキリスト教の部分を担当し、日本基督教団の戦争協力を地方教会の組織化と海外伝道の2つの側面で論じた。そのさい、この開拓団について二次資料を中心にちょっとだけふれた。
この開拓団については前の日本基督教団資料編纂室室長で東駒形教会牧師の戒能信生氏が研究をされていて、①「知られざる教団史の断面—満洲開拓基督教村—」(『福音と世界』1981年12月)と②「『満州基督教開拓団』のこと」(『福音と世界』2006年3月)という論文がある。
わたしは、この問題に関して一次史料の発掘をしたり、聞き取りをしたりしたわけではないので、本来それを詳しく論じられる立場にはない。事実、わたしの論文は①の論文にまったく依拠して書いた二番煎じのものであった。しかし、わたしがその問題に興味を持ったのはその開拓団の団長であった室野玄一の名前を見たからであった。彼は正確なことはまだわかっていないがかなり長期にわたって戦後沖縄の農村伝道を指導している。室野自身の記述による『八重山伝道の思い出」(『燈台 日本キリスト教団八重山中央教会65周年記念誌』1992年、pp14-16)には1960年6月から1961年3月までの9か月間、八重山で農村センターの指導に当たっている。
室野はこの他にも農村伝道新学校の設立にかかわっており、戦前から戦後まで一貫して農村伝道に心血を注いでいたことを、その経歴を見ただけで一目瞭然のことではある。しかし、なぜ満州開拓団から沖縄の農村伝道なのであろうか。このことが、解けない謎として自分のなかにある。その架橋の部分に確かに解かなければならない謎と課題があるような直感がある。
沖縄キリスト教史が包含する課題は、実は沖縄外のさまざまな方向に放射されている。もちろん日本と米国のキリスト教へ。また、台湾や韓国のキリスト教へ。そして、小笠原や南洋群島へ。そして、満州か………。けっこう道は遠く、そして果てしない。が、しかし、歴史研究にとっての宝庫でもある。だから、これからもひとりで道を「開拓」する気概で研究を続けたい。
https://www.google.com/search?q=%E6%BA%80%E6%B4%B2%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E5%9B%A3&sca_esv=567587230&ei=wVwOZfzFG_Hf2roPh5CoyAE&ved=0ahUKEwi8qtu25r-BAxXxr1YBHQcIChkQ4dUDCBA&uact=5&oq=%E6%BA%80%E6%B4%B2%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E5%9B%A3&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiHua6gOa0suOCreODquOCueODiOaVmemWi-aLk-WbozIFEAAYogQyBRAAGKIEMgUQABiiBDIFEAAYogQyBRAAGKIESIZoUJMLWINlcAJ4AJABAJgBhAGgAYgbqgEEMzMuNrgBA8gBAPgBAagCE8ICHRAAGIoFGOUCGOUCGOoCGLQCGIoDGLcDGNQD2AEBwgIWEAAYAxiPARjlAhjqAhi0AhiMA9gBAsICDRAAGAQYgAQYsQMYgwHCAgYQABgDGATCAggQABiABBixA8ICChAAGAQYgAQYsQPCAgcQABgEGIAEwgIHEAAYigUYQ8ICCxAAGIAEGLEDGIMBwgIFEAAYgATCAgkQABgEGIAEGArCAggQABiJBRiiBOIDBBgAIEGIBgG6BgQIARgHugYGCAIQARgK&sclient=gws-wiz-serp
植民地支配下のキリスト教 満洲国の場合
http://mswwres.meijigakuin.ac.jp/~kiriken/wordpress/wp-content/uploads/2018/09/%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E6%94%AF%E9%85%8D%E4%B8%8B%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88.pdf
渡辺祐子
明治学院大学
はじめに
1930 年代以降、日本及び日本の植民地におけるキリスト教会・キリスト教界が直面した深刻な問題のひとつはキリスト教学校に対する神社参拝強制。
植民地朝鮮や台湾では日本以上の抵抗。ex.崇実学校(平壌)、台湾長老教中学(台南)。
満洲国の場合:キリスト教学校は外国宣教団が設立。神社参拝が広く実施される以前にキリスト教教育から撤退。神社参拝の直接的影響は受けていない。
だが、それ以前に「神ならぬもの」=「孔子廟」参拝の強制に抵抗⇒キリスト教学校が「まつろわぬ」存在となる。
満洲キリスト教開拓団
倉橋正直
https://www.google.com/search?q=%E6%BA%80%E6%B4%B2%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E5%9B%A3+%E5%80%89%E6%A9%8B%E6%AD%A3%E7%9B%B4%E3%80%80%28%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%B3%95%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%29&sca_esv=567769929&ei=kWEOZYnWLaPi1e8PrZ-_6A0&ved=0ahUKEwjJ4qiC67-BAxUjcfUHHa3PD90Q4dUDCBA&oq=%E6%BA%80%E6%B4%B2%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E5%9B%A3+%E5%80%89%E6%A9%8B%E6%AD%A3%E7%9B%B4%E3%80%80%28%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%B3%95%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%29&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiWua6gOa0suOCreODquOCueODiOaVmemWi-aLk-WboyDlgInmqYvmraPnm7TjgIAo5aSn6Ziq57WM5riI5rOV56eR5aSn5a2m44Ki44K444Ki56CU56m25omAKUjKU1AAWKFGcAR4AJABAJgBV6ABowGqAQEyuAEMyAEA-AEBwgIIEAAYogQYsAPiAwQYACBBiAYBkAYF&sclient=gws-wiz-serp
敗戦前後 満州キリスト教開拓団長の手記
https://honto.jp/netstore/pd-book_00694129.html
満州キリスト教開拓村
https://www.t-kagawa.or.jp/selling-books/selling-books-758
エルムの鐘: 満州キリスト教開拓村をかえりみて 榎本和子
https://www.google.com/search?sca_esv=567769929&q=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E9%90%98:+%E6%BA%80%E5%B7%9E%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E6%9D%91%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8A%E3%81%BF%E3%81%A6+%E6%A6%8E%E6%9C%AC%E5%92%8C%E5%AD%90&si=ALGXSlZ3904Yafbxub-8ySOpbRJyPTbRcTtJ86fQJ_WQkblQHqq9VKW4ICDwKAXPyjkM_DFyTKqfOkcq1RolBs4Zy_lYibiUScqT_nywE8ph_QL7FenO1rCNgL-cCnYdPE7_3Cz-0Kvn78BGD2r5rNPckwcuntU0y-nHwXVMdoVwiIsva-MP-5E7kN3QP4rglcuQABBqybIWQfPnbRBT24koyUyF2KPZC0CgekO_nTkd0LaDC497hm3hFmUW1OtM0e31UAfkkbVf&sa=X&ved=2ahUKEwimhs7d6L-BAxWTB94KHbAzBa4Q6RN6BAgQEAE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%B9%B1
「中国」とは中華人民共和国のみにあらず――豊潤な華僑・華人の世界
https://book.asahi.com/jinbun/article/14919583
太平天国/太平天国の乱
https://www.y-history.net/appendix/wh1303-073.html
雲南ムスリム・ディアスポラの民族誌
http://www.fukyo.co.jp/book/b218004.html
神戸市 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82
1935年 - 日本初のイスラム教モスク、神戸モスクが完成。国鉄 (JR) 摂津本山駅開業。
https://www.y-history.net/appendix/wh0802-081.html
1723年、清の雍正帝がキリスト教の布教を禁止した。清朝に使える宣教師は北京に残留を許したが、それ以外は国外かマカオに追放した。
天津条約 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E6%9D%A1%E7%B4%84
北京条約 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%9D%A1%E7%B4%84
天津条約・北京条約を簡単にわかりやすく解説【内容・目的・背景をバッチリ抑える!】
https://manareki.com/treaty-of-tianjin-beijing
今回は、アロー戦争の際に清が結んだ「天津条約」「北京条約」について、わかりやすく丁寧に解説していくね!
天津条約の内容
清は、外国の外交官が北京に滞在することを認めること
清は、新たに10港を開港すること
清は、外国人が国内で自由に旅行することを認めること
清は、国内でのキリスト教の布教を認めること
清は、イギリス・フランスに賠償金を支払うこと
・・・など
https://www.y-history.net/appendix/wh1203-078_0.html
アメリカ工業発展の労働力とされた中国人、インド人などアジア系労働者。
苦力は「クーリー」と読む。アメリカ合衆国で黒人奴隷制が廃止され奴隷売買が出来なくなった後に、発展期に入った鉱工業や鉄道建設で労働力となったのが、インド人移民や中国人などの移民であり、彼らは苦力(クーリー)と言われた。特に中国人移民が多く、もともとインド人を指す言葉であったクーリーには「苦力」の文字があてられて彼らを指す言葉となった。
中国ではアヘン戦争の結果として締結された1842年の南京条約によって開国し、外国との自由貿易が始まり、さらにアロー戦争(第2次アヘン戦争)の結果として1860年に清朝がイギリス・フランスと締結した北京条約で、中国人の海外渡航が解禁となったため、中国人は安価な労働力として海外に出て行くこととなった。
中国人移民排斥法
https://www.y-history.net/appendix/wh1203-078_2.html
アメリカ合衆国で、1882年に制定された、中国人移民を禁止する法律。中国人労働者入国禁止法とも言う。1860年代に急増した中国人移民にたいする白人労働者の反発を背景に制定された、アメリカ最初の移民制限法であった。
移民・難民は白人のケツ舐め売国奴と心得よ。
隣国のスパイではない。バチカンイエズス会が植民地支配をやりやすくするために置く内通者だ。
苦力 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6%E5%8A%9B
苦力(クーリー、タミル語: கூலி、英: coolie)とは、19世紀から20世紀初頭にかけての、中国人・インド人を中心とするアジア系の移民、もしくは出稼ぎの労働者である。
主に大英帝国の植民地、旧植民地であるアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ペルー、南アフリカ共和国、スリランカ、マレーシア、ハワイ、フィジー、モーリシャス、レユニオン島、西インド諸島、香港、シンガポール、ロシア等で低賃金で過酷な労働を強いられた。 苦力の移民は「客頭」などのブローカー結社により組織的に行われ、こうした労働力を売買する商行為は「苦力貿易」と呼ばれた。
歴史
奴隷制度が廃止された後、ヨーロッパ諸国の多くの植民地やアメリカで労働力が不足した。イギリスの植民地であったインド亜大陸の貧民層や、アヘン戦争後には、広東・福建両省を中心に、汕頭市、アモイ、マカオなどから労働力としてのクーリーが世界各地に送られた。当初はインド人労働者を指した呼び名であったが、後に中国人労働者に「苦力」という漢字をあてた。
アヘン戦争後に清がイギリスと結んだ南京条約や虎門寨追加条約、アメリカと結んだ望厦条約など、列強と結んだ不平等条約に規定された領事裁判権によって、列強国人は、清国人を誘拐まがいに連れてくることが容易になり、そうした行為を代行する清国人を保護することも簡単になり、貧乏農家の男の子を誘拐する手助けをし、それを清国政府が取り締まろうとするのを妨害した。
アメリカは1847年と1849年に、苦力貿易をアメリカ商社が行うことを禁止する法律を成立させたが、その条文にはアメリカ商社が外国の港から外国の港へ運ぶ行為を罰する規定はなかった。
その抜け道を利用して、ラッセル商会、オリファント商会(英語版)、オーガスチン・ハード商会(英語版)、ウエットモーア商会といったアメリカ商社は、誘拐や姦計によって集められた若い男性労働者をキューバやラテンアメリカ諸国に輸送した。オリファント商会がペルー政府と結んだ契約書には、「第3条 ペルー政府はオリファント商会以外の会社と苦力購入契約を結ばない。
オリファント商会は最高品質の苦力を厳選して供給する」「第15条 一隻ごとに船積みされる苦力の数は500頭を下回らないこと」と記されている。アメリカ本土の苦力は、アメリカ雇用主に期限付きで奉公し、前借りを返済し次第自由になる契約移民やアメリカまでの船賃を工面して新天地で金を探そうとやってきた自由移民という形式をとっており、建前上は自由意思による移民であった。
清は自国民が外国に出ることを禁止していたが、1868年7月28日にアメリカのウィリアム・スワード国務長官と、元アメリカの駐清公使で、清の外交使節の全権のアンソン・バーリンゲームによって、清の主権の尊重とすべての国が清と均等で自由な通商ができることを確認したスワード・バーリンゲーム条約が結ばれた。
その第5条は、両国民の自由な移住を認めるというもので、スワード国務長官の狙いはカリフォルニアの労働力不足を解消することであった。後世の歴史家によって低賃金労働者供給条約と揶揄されている。
アメリカには大陸横断鉄道建設の労働者などとして使われ、中国からカリフォルニアに10万人以上が送られた。オーストラリアやマレーシア、マダガスカルなどにも、各々10万人程度が移住したとされる。また、ロシアでもシベリア鉄道建設の労働者などとして10万人以上が送られた。 こうした19世紀の移民によって、世界各地に華人社会の原型が形作られていった。
正式な海外渡航は北京条約締結以後になるが、それまでにも事実上、中国からの苦力輸出は行われていた。その背景は失業対策ともされる。
苦力は劣悪な環境で扱われたため、航海中や作業中に死亡することが多く、現地でも最下層の生活を送った。 さらに、渡航費用などの諸経費はすべて苦力の借財となる労働契約だったが、当時はブローカーの仲介なしに他国での就職や定住は望めない実情があった。
また日中戦争時には満州や日本の占領地でも苦力が使役されたが、第二次世界大戦後に社会主義国家である中華人民共和国が成立すると事実上鎖国政策や強制労働(労働教養、下放)が採られ、自国に労働力が振り向けられることになり、苦力は消滅した。